松本東亜のシリーズ投稿(第回)

 現代のこころを詠む 短歌のページ

                               

[近詠歌]



   

  首伸べて深き闇間に叫べども墜ちゆく声はつひに還らず

 

 
  
 

 歌人たちが歌った郷土熊本(シリー25徳富蘆花
 
この稿は、歌誌「すぎなみ」200月号(編集責任:松本東亜氏)から転載しています)  
  

 
  
世を照らす光はこれと人知るや (おきな)が窓のともし火のかげ

  

 徳富蘆花(とくとみろか)
。本名徳富健次郎。明治元年(1868)10月25日〜昭和2年(1927)
9月18日。小説家。熊本県水俣市生。父一敬、母久子の三男として生まれる。兄は蘇峰
(猪一郎)。九歳の時、神風連の変を目撃、のちこの夜の体験を『恐ろしき一夜』と題し
て発表した(明治28年)。明治31年から国民新聞に『不如帰』を連載。33年『不如
帰』『自然と人生』刊行。39年聖地パレスチナを巡り、6月30日ヤスナヤ・ポリヤナ
にトルストイを訪問。『順礼紀行』刊行。なお、18年熊本三年坂メソジスト教会にて受
洗。以下省略。県近代文化功労者。(熊本県大百科事典ほかより)
 

 掲載歌は、『順礼紀行』からら採歌した。明治39年4月4日横浜を出で聖地を巡り、
途中トルストイを訪問し、シべリアを横断し8月4日敦賀に戻る120日の旅。トルスト
イ宅には4泊し5日の早朝に村を離れ、サンペテルブルクに向かうのだが、その時の歌で
ある。蘆花は英語によりトルストイ翁と文学談義を交わしたり、人間の本来的生き方等に
ついて直接尋ねることにより、大きな精神的収穫を得て別れるのであった。その充実した、
また、尊敬するトルストイへの情感がこの一首に込められていると思われる。この紀行文
の端々に短歌が記されていて、蘆花もかなり短歌に親しんでいたことが理解される。紀行
最後は、厨子に4日帰宅しての作品。


  美なるかな海美なるかな山ねがはくは

  神に献げんこの秋津島


 蘆花と吾が菊陽、阿蘇との関連をこれから書きたいのだが、今回は紙数が切れてしまっ
た。明治16年夏7月、蘆花は阿蘇登山をする。その時のことを『青山白雲』(31年刊)
中の「夏の山」に書いている。そこが、糸口であるが、続稿をお楽しみに。
    

【一相一首】のすすめ「経営と情報通信」研究会員の皆さんへ)

 一相とは、自己のすがた、心の様相を言います。現代社会において、みなさんは仕事や暮らしに多忙を
極めています。その時々に様々な思いを抱かれることでしょう。

 そんな時、自由に一首に心を込め、その思いを大切に歌うようにしましょう。数多く作ることは必要あ
りません。自分の力に応じて一首一首を作ることが肝要です。こころのアロマセラピー、癒しにもつなが
り、きっと豊かな人生が送られることでしょう。短歌を上手になりたい方は、志を高く持って、日々向上
に努めるように続けましょう。

  作ってみたい方は、このホームページに送ってください。編集後、掲載します。(松本)

 

[「松本さん紹介ホームページ」の案内(事務局より)]  

  松本東亜氏については、ヤフージャパンで検索し、調べることができます。


[投稿者の作品]

 今月号は一件です。会員の皆さんの参加を心待ちしています(事務局)。



[ 辻淳二作: テーマは「
歳末の暮らし



 歳末風景


 10日過ぎ暮れの予定を洗い出し賀状書く間を我は確保す


 朝早く人ら集いて落ち葉掃く声飛び交いてしばしの活気


 大雪のもたらしし寒さ経済の縮みを映し歳行かんとす


 歳末の孫との遊び場定めんとライトアップの案内を追う


 若人の急死や挫折の報続きビジネス界の疲れ見えたり


 
人が並ぶは今年最後の宝くじ運試しにと家族分を買う



 初お泊りの孫をエスコート


 大画面に見入りし孫の背向けるは苦手悪役が大写しの時


 一人でよと話しかねたる親をよそに孫は泊まりを受け容れており


 道のゴミ拾いし我に教えんと孫は停まれり先のゴミに走り


 沈む陽を指差し孫と語り居ればしばし和めりモノレールの箱


 嬉々として孫が袖引くその先は気に入りキャラの売り場でありき


 見つけたるライトアップの動物たち孫は跳びはね親をいざなう



 
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