松本東亜のシリーズ投稿(第15回)

 現代のこころを詠む 短歌のページ

                               

[近詠歌]



   

  傍らに君の姿の今日もなく石打つ響きの昼静かなり

 

 
  
 

 歌人たちが歌った郷土熊本シリーズ31=土屋 テル子
 
この稿は、歌誌「すぎなみ」200月号(編集責任:松本東亜氏)から転載しています)  
  


  
阿蘇の山見ゆれば思ほゆ十とせ前恵楓園に立ちて見たりき

  


 土屋(つちや)テル子。明治21年(1888)8月13日〜昭和57年(1982)4月
13日。歌人。土屋文明夫人。群馬県群馬町に生まれる。明治45年女子英学塾(現、
津田塾大)卒業、大正2年栃木県立足利高等女子学校赴任。大正7年3月土屋文明と
結婚。文明、長野県諏訪高等女学校教頭として赴任のため諏訪新小路に住む。これよ
り文明の生涯を支える。昭和51年12月歌集『
の花』発行。昭和57年4月、93
歳で他界。(歌人土屋文明、塙親書などから)。

 この歌集は娘さんら寄り合って母親の歌集を印刷して置きたいとのことで、作者の
あとがきも、あいさつもない。文明と共に地方の旅行に出た折りのことや、友人たち
のことが多く歌われている。テル子の人柄を感じるともに、文明の側面を知ることの
出来る歌集である。

 掲載歌は、歌集の昭和40年、「阿蘇内ノ牧」と題する五首中の一首。10年前、
29年10月18日恵楓園を文明とともに訪れた時のことを思いだして歌ったものだ。
ハンセン病に苦しみ、短歌に思いを託す津田治子、伊藤保、内海俊夫、畑野むめ 等
を激励に訪れたのであった。その津田治子は昭和38年9月に他界してしまった。そ
の時、テル子は挽歌を詠んでいる。

  すこやかに生れ来し友病故に一世苦しむいかにかも云はむ

  病を超えて歌へと励ます夫の言葉に泣き居し津田治子まなかひに見ゆ

 そうした思いが、阿蘇を見ながら再びしみじみと湧いて来るのであったのだろう。
この内ノ牧の宿泊の詳細は、これからの調査にゆだねたい。


 
【一相一首】のすすめ
「経営と情報通信」研究会員の皆さんへ)

 このコーナーを設けて頂いて、早や1
回目を迎えました。辻・新田・山枡氏がこのコーナーを足掛か
りに投稿を始められ、かなり上達されました。月ごとの、メールでの添削指導(改作例を示しますので、
後は作者本人が再考して完成させて下さい)ですが、根気よく続けることで進歩します。多くの方の参加
をお待ちしています。(松本)

 一相とは、自己のすがた、心の様相を言います。現代社会において、みなさんは仕事や暮らしに多忙を
極めています。その時々に様々な思いを抱かれることでしょう。

 そんな時、自由に一首に心を込め、その思いを大切に歌うようにしましょう。数多く作ることは必要あ
りません。自分の力に応じて一首一首を作ることが肝要です。こころのアロマセラピー、癒しにもつなが
り、きっと豊かな人生が送られることでしょう。短歌を上手になりたい方は、志を高く持って、日々向上
に努めるように続けましょう。

 作ってみたい方は、このホームページに送ってください。編集後、掲載します。(松本)


[「松本さん紹介ホームページ」の案内(事務局より)]
  

  松本東亜氏については、ヤフージャパンで検索し、調べることができます。


[投稿者の作品]

 今月号は一件(山枡郁子さんの第2稿)です。

 会員の皆さんの参加を心待ちしています(事務局)。



山枡 郁子作: テーマは「
生活の中から(その2)」



 
山道を先に歩きて振り返り君は気遣う疲れし我を


 秋の夜の水面に映る月揺れて家の明かりの又一つ消ゆ


 葉の上にジッと動かぬカタツムリ背中の殻の重たげに見ゆ


 大輪のバラの花々を支えおるか細き茎のたくましきかな


 来し鳥よすっぱくないか柚子の実を皮と種のみ残しついばむ


 漆黒の墨絵のごとし夕空を鳥群れ飛びて点となりゆく


 
 

 
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