本二題        高嶋 宏尚

 

 感動した話というには若干ニュアンスが異なりますが、最近本にまつわることでちょっと面白いことが続いたので報告します。

―その1−

 例年秋の読書週間にあわせ、神田で古本市がひらかれていることはよく知られているところですが、小生はこの時に神保町の古書連盟が発行する「古本」という目録を眺めるのをとても楽しみにしています。

 ひとつは、自分が関心を持っている本にどんな値がついているのか、相場感を養うこと(というと大袈裟ですが、古本屋をのぞく時の参考にしようという程度です)と、次いで、自分が持っている本の市価を知り,資産価値を計ること(またまた大袈裟ですが、なんのことはない、持っている本がどのくらいで売れるものかを計算して、にたにたと自己満足しているにすぎないのです。もちろん小生の持っている本なぞそんなに価値のあるものはないのですし、売る気もまったくないのですが・・・)、さらに掘り出し物が見つかるかもしれないとの期待もあります。今年の目録では、二番目のねらいについては、開高健の全集に8万余の値が付いているのを発見しました。「うーむ、定価の倍ほどになっているな」なんて一人で悦に入っていたのです。確か昨年まではかなり低い値が付いていた筈なのです。

 諸兄姉にご報告したかったのはこの後です。気になっていた本にめぐり合ったのです。T書店の目録に「蘆花日記7巻 23,000円」とあるのを見つけました。蘆花の日記についてはだいぶ前に、鴨下信一著「面白すぎる日記たち」(文春新書)に紹介されていて、読んでみたいとは思ったもののこんな本が出版されていることを見たことも聞いたこともなかったのです。古本屋でも見かけたことはないし、きっとずいぶん昔の刊行でめったに出回らない代物だし、手の出ないほど高価なものに違いないと勝手に思い込んでいました。読みたくなったら国会図書館なんて考えていたのです。

 「23,000円なら何とかならないこともないが、どんな本なのか。この値段なら本の程度はどんなのか、きれいなのか汚れがひどいものなのか。もしかしたらもう売れてしまっているかも知れない」など一瞬にしていろんなことが頭に浮かびましたが、ともかくすぐにT書店に行って見ることだと矢も盾もたまらなくなりました。「ちょっと情報収集に行ってきます。すぐに帰ります」と言うなり職場を飛び出し、電車を乗り継いでT書店に駆けつけました。

 ありました。各巻500ページ余り、箱入りの堂々たる全7巻がきれいなままで店頭に並んでいたのです。なんと昭和60年筑摩書房刊で定価は31,500円。何の事はない自分が無知であったということだったのです。

 内容については言うことはありません。まさに「面白すぎる日記たち」に紹介されてあるとおりです。40歳台半ばから日記が始まっていますが、天候、体調、 食べ物、親戚・知人との行き来、奥さんとの行き違い、読んだ本のことなどなどの日常とそれにかかる赤裸々な心の動きが書き記されています。特に驚きなのは、房事のこと、若い女性に対する妄想など性的なことが具体的に記されていることで、内容はここに詳らかにするのがはばかられるほどのものです。あからさまな身辺雑記と言う範疇を超えて、もはや奇書と言うべきではないかなどと思えてしまいます。いやな夢を見たり、女中に毒ついたり、細君の悋気に悩まさせられたりと苛立つことの多い日々との印象ですが、まれにその日にあったことが連綿と綴られたあと、

「誕生祝いのしるしに、みの、せん、よしに各襟一筋宛やる。

 牛乳をのみ、入浴して寝ると一時近くなった。

  交接。 

  今日は好い日だった。」

などと書かれているのを読むと、思わず頬がゆるみ「よかったね」と言いたいような気分になります。

 なにせ大分量なので、読み通すのは大変です。そこで一計を案じ、各ページを斜めに検索し、房事や性的なことに係わる活字を見つけたらそこのところだけはちゃんと読む、ということにしました(こんなことを諸兄姉に報告するのも如何なものかなとも思いますが、事実ですのでお嘲笑いください)。第一巻は我が家の机の上にあり、気が向いたときに読むことにしています。第二巻は会社に置いてあり、昼のお弁当の時間に眺めているという訳です。

―その2−

 ちくま文庫10月の新刊に、別役実著「ことわざ悪魔の辞典」というのがありました。著者が劇作家であることは知っていますが、だいぶ前に出た岩波新書「当世商売往来」を読んだ記憶がある程度で、本来の活動の様子などまったく知らないのです。通勤電車の中の閑つぶしぐらいの軽い気持ちで買いました。これが当りというのか傑作で、微笑、哄笑、爆笑、ニヤリ、ニタニタ、馬鹿笑い、微苦笑などなど一句ごとに退屈させません。地口、駄洒落、語呂合わせ、我田引水、牽強付会など、ことわざ(言葉)の意味を強引に捩じ曲げていく手法は多種多彩で「ムム、やるな!」という感じです。これぞプロの技,というべきものでしょう。

 ちなみに「割れなべに閉じぶた」ではこんな調子です。

 「割れなべ煮」という粗末な煮物がある。「じぶた」は地鶏が上等な食材であるのと同様「地豚」であり高級な食材である。ことわざの意味は「粗末な煮物にと、高級な食材を差し出すことであり、そぐわないことの譬えである」となる訳です。

 何十のことわざが取り上げられているか数えてはいませんが、どれひとつとして同じ手法はないといっていいぐらいのものです。当然性的なニュアンスを巧みに使った手口もたくさんあり楽しめるのですが、ただ一つ困ったことには、当初の目論見どおりに電車の中で読むことが大変な苦痛であることです。読み出したら止められないし、笑いをこらえるのは至難の業で、必ずニタニタしてしまいますから周囲からは「怪しいオヤジ」と思われること間違いありません。人品骨柄を疑われる覚悟で本を開かなければならないのです。小生は「頭のおかしなオジサン」覚悟で電車の中で読んでしまいましたが、職場の同僚、部下10人ほどに配った時には「電車中で読まないこと」を条件にしたのでしたが、もしかしたら何人かの「怪しいオジサン、オバサン」が誕生していたかもしれません。

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