我が家の「小さな揺さぶり」の顛末   辻 淳二

 

 「朝日新聞なしの生活」に踏み切る 

  この5月から、引越直後の暫くとかを除いて、物心ついた頃から還暦を過ぎるまで私の家に必ずあったものがなくなった。「それは何でしょう?」とすると連想ゲームの出題になりそうだが、何ということはない『朝日新聞』なのだ。小学生くらいになって、新聞というものがあるんだと知った時に見たのも朝日だし、所帯を持ってからも(親しい友人が同紙の敏腕記者だったこともあって)取る新聞に関して「朝日は無条件」だった。まさに、我が生活文化の中で「あるのが当り前」の空気のような存在だったのだ。それが、還暦になった一年くらい前から、家人も「朝日、この頃面白くないわね」と言い始めていたし、私自身も「我が家がやや惰性的に夜なべ型(夜遅くまで起きている)」の一因に新聞を何となく(絶対の必要と言うことでなく)読んでいる時間があるなと感じていて、その「不動の位置」に揺らぎが生じていた。

  かくして、「一度、新聞を今の2紙から1紙に絞ってみてもいいな」との思い付きが私の頭の中を占めるようになり、家族の様子を見ながらその機を窺う感じになっていった。因みに、近年の我が家の購読紙は朝日と日経で、日経の朝刊は私が出勤時に持って出て夜に持ち帰る、従って家人や娘にとっては「購読紙は朝日と日経の夕刊」というイメージだった。見ていると、特に家人において日経の夕刊の評価が高くなっていて、“女性優位(家人と次女の2人に対し男は私1人)家庭”ながら「絞るなら、残すのは朝日」という強い声がないことが分かってきた。

  決め手になった「報道姿勢」

  そして、昨年の12月だったと思うが、私自身が「この軍配を日経に上げよう」と決心するシーンに出会った。それは、NHKのテレビ番組で当時の小渕首相(今は故人)と城山三郎氏ほかの対談があった次の日の報道記事だった。(私自身はその番組を見ておらず、記事それもいま脳裏にある記憶に頼っての話だが)日経はこれについて「城山氏が、小渕氏の当時の(例えば大相撲での首相盃の授与とかの)ちょっとした国民的な行事にやたらと顔を出す“パフォーマンス重視”の行動に触れて、そんなことをしていていい状況ではないでしょと苦言を呈し、それに対し小渕氏は渋い顔をした」ことをきちんと書いていたのに、朝日は「首相と城山氏ほかがNHKテレビで会談した」との形式的報道に留まっていたのだ(いずれも、都下に配られた朝刊での比較)。これが、小渕氏の当時の振る舞いを苦い思いで見ていた私のアンテナにビビッと感応し、「一般紙としての報道姿勢に格の差あり」との判定になったのだ。

  この時点で「一紙に絞る時は、日経に」という線が決まり、後は家人たちとすり合わせるだけになっていた。別に急ぐことではないので、フトした折に「朝日やめて見るか」とか「朝日やめると困るのは、ビデオのGコード予約コードが朝刊ではわからなくなる(これは、日経の場合一週間分まとめて出るのでそれをキープしておけばいい)ことくらいかな」とか声を掛けておいて、ゆっくりと地均しして行った。従って、4月に入って「来月からやめると販売店に言おう」と話した時には、“既定路線”との共通認識ができていたのだった。

  やめて見たことは良し、ただ問題点も少なくなく

  さて、やめてほぼ2ケ月が経った今、「どうしても困る」ということは出ていない。朝日をやめた後の日経紙の利用の仕方は、私が出勤時に持って出るのを企業経営に関する記事のある8ページ分程度に絞って、一面とか裏面の「私の履歴書」とか「連載小説」とかは出る前に目を通して出ることとしている。残りの紙面は家人たちの利用のために残していて、私が「電車の中で早く読み終えてしまって、少し物足りない」感を持っている他は特段の問題は出ていない。さりながら、「これは予測できなかったね」と話題になることは結構あって、「我が家の生活文化に対する思いの外の揺さぶり」になっている。いくつか、やめたことで「見えた!」ことの具体例を記すと、次のようなことである。

1 週末の折り込み広告が手のひらを返したようになくなった!

一番リアルに変ったのは、これだろう。これまでは一杯入って来て、一部興味のあるのを見て、後の多くはそのまま廃品回収用に束ねていた。それが、全くと言っていいくらいに入らなくなってしまったのだから、こうなると「さすがに寂しい」というのが家族全体の実感である。かくして、多くのご家族でも同じようなことなのだろうから、「ものが売れない/リサイクル問題が深刻化する時代の、広告投資効率の悪さ/大量の廃棄物の発生」という現代社会の矛盾がリアルに見えてきた。ここで目を転じると、いま時代の風を集めているIT(情報技術)はこの辺の問題も解消する力を備えている訳で、こういう切り口からもITの活用を考えていく必要があるなと気付かされたという思いである。

2 「ニュースショー番組向きの情報」にやや疎くなる

朝日も日経もこの手の情報を重視している訳ではないが、これまでは、2紙あればどちらかには(それも、朝日の方に多めに)出ているし、これとテレビ報道との重なりでまあ“世間話で話題になる報道に関して蚊帳の外”ということはあまりなかった。それが、「話題になっている話についてノーマーク」ということがやや増えた感がある。それも、私や娘は通勤電車の中の週刊誌などの吊し広告などである程度補えていて、家人に一番強く出ているようである。

3 「離れて住む人との情報共有」の幅が狭くなる

ごく稀とは言え、離れて(関西など)住んでいる親戚筋の人と電話で話す時に、「この間、そちらの町の話が出てましたね」というような情報共有の可能性が狭まったということはあるようだ。たまたま、朝日をやめて暫く経って、電車の中で吊革につかまって立っていた時に目の前の網棚に朝日新聞が放置されていて、フト「朝日を見たい」との懐かしい気持ちが働いて、網棚から取って読んだことがある。その時に、全く偶然なのだが、父方の実家の滋賀県・五個荘町の町役場で「かっての近江商人のサービス精神に原点回帰する狙いで、商工観光課の職員が和服姿で執務している」との写真入りのカコミ記事が出ていた。ちょうどその時期に、同町の従兄に電話をする機会があったのでその話をしたら「全国版に出たんですか」と応じてくれて、話が弾んだ。今回は、たまたま“天の配剤のように”見せて貰っていたので救われたのだが、「日経だけだと、こういう点では話題が重ならなくなるな」と感じさせられた一幕だった。

4 新聞勧誘員の売り込みは予想以上だった

やめた直後から、販売店筋からの「再度購読」を求めるセールスが足繁くなった。最初は、「他紙に取られたのだろう」という受け止めで、「そちらの購読契約期間が過ぎたらまた朝日を」という感じのアプローチだったという。次に、勧誘員間でこういう情報は流されるようで、「もし取ってくれたら、ビール券やイベントの切符を」という“ニンジン”付きの勧誘合戦。これで見えてきたのが、この種の勧誘で購読紙を次々と変える人が結構いるということ(「何だ!、そんなことも知らんのか」と言われそうなことだし、実際自分も、飯田橋に事務所を持っていた時にその手の勧誘に乗って購読をしていたのを思い出して苦笑い)。とにかく、今回の我が家のように「長年、安全パイだった家」の“造反”は、販売店にかなりの衝撃をもたらしたらしく、思いの外の勧誘攻勢で、矢面に立っている家人を悩ませている。

  その他、細かいことまで拾うと、まだまだある。「情報というのは、やや多めにある方がいい」ということも再確認できて、とりあえずは便法として、旅に出た時には朝日を買ったり、会社の帰りにタブロイド紙(夕刊フジなど)を買う頻度をやや増やしたりして、それを持ち帰っている。いずれにしても、当面は「しばらくこのままで行って、その内に考える」スタンスだが、次なる着地点を見つける会話をまた家族と始めなければと思い始めている。

  「揺さぶりは老化防止の妙薬」

  ところで、本件の“顛末は?”と言うと、『こういうちょっとしたことでも、“固定的な考え方を揺さぶる”ように動けば、気持ちが若くなっていい。それが分かっただけでプラス』というのが私の評価である。 [2000.6.29]

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