高校野球とサラリーマン 玉置 彰宏
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今年(2000年)も智弁和歌山高校が優勝して、夏の高校野球が終わった。甲子園に近い神戸で生まれ育った私は、小学校の低学年の頃から高校野球の熱烈なファンだった。それは還暦を迎えた今も変わらない。だから高校野球には、いろんな思い出が残っている。特に夏の大会には、その思い出以上のたくさんの「想い」もある。 (左: 甲子園の風景) |
その「想い」の1つは、「夏の大会の終わりが、私の楽しい時期の終わり」というものである。夏の大会は8月10日頃に始まり、二週間ぐらい続く。今年の場合も8月8日(火)に始まり、雨による順延がなかったので21日(月)に終わった。14日間の日程だった。 夏休みに入ると毎年すぐに母親は、「早く宿題を片づけなさい」と言った。私も毎年、そうしたいと思った。思うだけではなく、それなりの努力もした。だから夏の大会が始まる頃には、得意な科目や好きな科目の宿題は一応終わっていた。
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満員の内野スタジアム |
夏の大会の期間中、試合が行われている間は宿題もせずに、私はずっとラジオにかじりついていた。準々決勝の日まで、連日朝早くから夕方まで、毎日3つか4つの試合が行われた。この間は毎日がたいへんに充実していた。準決勝の日は、試合が2つになる。だから試合開始は11時に繰り下がり、試合終了もそれまでより早かった。充実している時間が短くなった。優勝戦は午後1時に試合開始になり、だいたい2時間で決着が付く。時間的にはもっと短くなった。それでも試合そのものの充実感は一般にそれでの試合以上のものだから、時間の短さは我慢ができた。 |
問題は、優勝戦の翌日である。もう心から熱中するものが、なくなってしまった。まもなく夏休みが終わり、そのうち毎日学校に行かなければならない。宿題は、まだたくさん残っている。しかも残っているのは図工とか家庭科とか、私の嫌いなものばかり。日記帳にも空白のページが続いている。昨日までの充実感は一挙に消え失せ、虚しさ、はかなさだけが残った。
これが私にとって、「高校野球の終わり」が意味するものだった。その頃校庭の片隅に、毎年赤い夾竹桃の花が咲いていた。赤い夾竹桃の花は、50年経った今も私にそのわびしさを思い出させる。だから私は今でも、あの赤い花が大嫌いである。
2つ目は、高校三年生の時に気付いたことから始まる。夏の大会の予選で私の高校が早いうちに負けて、二年強の間野球部でがんばっていた私のクラスメートの「高校野球」が終わった。それ以降彼は、毎日が所在なげだった。多分その時彼は、私が毎年感じていた何百倍もの空虚感を感じていたのだろう。彼だけでなくほとんど全ての高校球児は、夏の大会が終われば「高校野球」をやめなければならない。高校三年生の夏に、まずそれをしっかりと認識した。
さらに数年たって、トーナメントが持つ「非情さ」に気付いた。試合には必ず一つ負けるチームがある。トーナメントでは、負けたチームはそこで消えてゆく。今年の夏の大会の参加校は四千百十九校だったそうだから、予選と甲子園の試合を含めて四千百十八回試合が行われた。その数だけ「負け」があり、負けた学校が消える。そして最後まで消えなかったのが、優勝した智弁和歌山ということになる。繰り返すがトーナメントでは、一つを除いて全てが負けることで終わる。たいへんに「非情な」仕組みである。この2つを組み合わせるとどうなるか。ほとんど全ての高校球児は、「負けて」高校野球を終えることになる。
社会人になって十年ほどたって、サラリーマンは高校球児と同じだと気付いた。社長になるのがサラリーマンの「目的」だとしたら、そこにたどり着けるのは何千人に一人、それ以外の人はどこかで負けて、実質のサラリーマン生活を終える。私が以前勤めていた会社では好不況で採用人数が著しく増減したが、平均毎年五百人が入社し、社長が平均四期八年勤めるとすれば、割合は高校野球と同じだと思った。
優秀なセールスマンが幅を利かせる体質の企業で、営業のセンスも経験もない理工科系出身のコンピュータ技術者が社長になれるわけはない。これに気付いて以来私にとって重要なことは、「何時、どういう形で負けるか」と言うことだった。できれば自分で、負ける時期と場所、負け方を選びたいと考えていた。結果は、必ずしも私が思うようにはならなかった。
厳密に言えばサラリーマンは、新入社員の時からトーナメントで競争させられているわけではない。トーナメント方式、つまり「一つの失敗が命取り」に変わるのは部長職くらいからだろうか。それまでは、いくつかの失敗は許される。その間に良い仕事をし、大きな成果を上げた人が次に抜擢される。だからこの段階は、リーグ戦方式と言うべきかも知れない。そういう意味で、サラリーマン生活は高校野球ではなく、ワールドカップやオリンピックのサッカーと同じかも知れない。高校野球はサラリーマンよりも、もっと厳しいのかも知れない。
このことに気付き、さらに私がサラリーマン生活で「負けて」から、一層高校野球が好きになった。特に負けた後すがすがしい表情を見せる選手に、たいへんな好感を持つようになった。だから今年の東海大浦安高校の浜名主将を、私は多分いつまでも忘れないだろう。これからの長い人生での、彼の健闘を祈りたい。