地震との決別
〜私の1999年〜 瀬川 滋
今年は会社生活において大変変化が多い年でしたが、このホームページに寄稿したのは仕事以外のことばっかりでしたので、今回の与えられたテーマもプライベートなことで書き進めたいと思います。
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阪神大震災復興を祈念して始まった光の祭典・神戸ルミナリエに5年目の今年は過去最高の515万人の人が集まったといいます。しかしルミナリエ実施に6億円のコストがかかるのに、内2億円の調達の目処が立たないので今年限りで中止されるかもしれないと言われています。大変寂しい限りですが、震災の悪夢との決別という意味では一つの区切りになるのかも知れません。 |
私にとっても1000年代最後の今年はあのいまわしかった地震の余波から決別する区切りの年でもあったということがと出来ると思います。
私が東京に単身赴任していた'95年1月17日に自分の留守家族や親・兄弟の殆どが住んでいる我がふるさと・神戸が大震災に遭遇しました。わが家の一部損壊対応、ライフライン復旧までの応急処置、地震のショックで寝たきりになった母の応急対応・病院探し、全壊した実家の整理、同じく全壊した実家の貸家の店子対応等につきましては、以前その顛末を会報にも書きましたが、とりあえずの処置はその年に済ませました。
しかし取り壊したが更地にしたままの実家・貸家、実家から出せず廃棄した仏壇、倒壊しとりあえず起こしたが傷がついたままの墓等大きな案件は手が付かず、そのままにしてありました。昨年母親が亡くなったのを契機に、又私も単身赴任が解除されて神戸に戻っていましたので、一挙に解決してしまおうと決意し、何とか形をつけたのが今年でした。
母の葬儀が済んでまず必要になったが仏壇。本尊・脇仏・位牌・過去帳は持ち出してそれだけを仏壇無しに祭ってはいましたが、やはり落ち着くべき仏壇が無いと座りが良くありませんでした。しかし病院に入院中の母がいるのに新しい仏壇を購入すると不幸が起こると言われそのままにしていました。それをやっと決意。しかし以前の仏壇が大き過ぎ普通サイズにすると本尊が窮屈。さらばといって今迄の大きさだと私の家の座敷には入りません。そこで少し大きめのが入るように座敷を改造してやっと解決。倒壊した時に手首が折れていたのを元通りに修理してもらった本尊もやっと落ち着き場を得て鎮座ましましたという次第。
それに墓。昔からの菩提寺が活断層の真上にあり、本堂もろとも地震の直撃を。重い瓦の載った本堂はたまらず全壊。墓地の墓は全て倒壊。私の家の墓は倒壊した時に礎石の角にあたったのだろうか棹石の角が大きく欠けてしまいました。しかし墓も仏壇同様さわらない方が良いとの声が強くそのままにしていたが、母の死で重い腰を。
全部やり代えるのは簡単ですが、それでは先祖代々の何も残らないことになります。少しでも昔の物は残そうと痛みの少ない礎石は残し、棹石のみ新しくすることとしました。とすると礎石は第二次世界対戦の神戸空襲を受けて黒ずんでいるのに、その上の棹石はおニューで真白と非常に不自然になります。えいままよ、不自然さも我が家の歴史だと墓に「平成7年1月17日阪神大震災により損壊 平成11年10月再建」と銘記してチョン。
墓に刻まれた第二次世界大戦と阪神大震災の歴史を何代後まで語り継いでくれることか。尤も我々の歴史が何時まで続くかの方がもっと深刻かも知れませんが・・・。
神戸の復興は全て7割といわれています。震災で他市へ避難した人の戻り・倒壊した家屋の復旧・商店の復旧・神戸港取扱高の戻り・ケミカル産業等地場産業の復興・そして神戸経済全体の復旧等々・・・全て7割です。このため倒壊した貸家を再建しても、借り手の確保に追われるのではないかとずっと空き地にしていました。しかし震災特例法で、更地のままでも5年間は建物が立っているものとして減税されていたのが平成12年からは更地としての本来の課税がされるとか、再建のために銀行から借金をしても金利が減免される(1年延長されていた)特例が無くなるということがきっかけになり、いよいよ着手を決意しました。
今年の正月から具体的実行に入り、この秋一応完成に漕ぎ着けました。敷地から遺跡が発見されたり、色々慣れぬこと故紆余曲折は有りましたが何とか恰好を付けることが出来ました。今のところ心配した店子の確保も順調で、ほっとしているところです。
そして自宅。地震で色々な所に問題が発生しましたがそれなりに解決していって、一応住み続けることは出来てました。住む家を失って途方に暮れている人が大勢いることからみればとてもラッキーだったといえます。特に実家が全壊して母が避難して来たので余計にそう言えます。
ところが地震以降年に1、2回座敷の間が雨漏り。私の家は明石海峡に面しており、家から紀伊半島や淡路島が望まれますが、台風のそれも海から吹き上げて来る突風が吹き荒れる時に限り雨漏りがします。普段の雨では全く何もありません。その度に出入りの大工に見て貰い多分ここだろうと手は入れてくれるます。しかし直ったかどうか検証するには次の大型台風を待たねばなりません。1年間待ってダメの繰り返しが続き、年々雨漏りの程度は少なくなってはいきますが一向に完全には直りませんでした。今年も春先に大雨が降り又々修理。この時これぞ核心と思われる修理をしてくれました。その結果が利いたのか秋の台風でも何ともありませんでした。もっと大きな台風が来た時どうなるかは確かなことは解りませんが一応直ったと判断することとしました。原因が目に見えないだけに始末が悪いのですが、やれやれと言った心境です。
ミレニアムに沸くこの年の暮れ。震災関連の大型案件を片づけ、私個人にとってあの忌まわしい震災は震災として再建した墓にその痕跡を残しながらも、生活の上ではそれと決別する区切りを付けることが出来たと思います。折しもそろそろ会社生活の最終フェーズを迎え、今迄とは違った新しい生き方を見い出す必要があります。来るべき新しい2000年代、これまでとは異なる歴史を築き上げていきたいと志を新たにしているところです。
神戸ルミナリエも一人3000円消費するとして150億円強の経済効果。停滞する神戸経済にとっては大変魅力的催しと言えます。2000年以降これまでの復興祈願の祭典から決別し、1900年代最後に発生したあの大震災のメモリアルイベントとして変身し装いも新たに再開してくれればと思います。そしてこの新しい祭典が2000年代の新生神戸を作り出してくれる起爆剤になってくれればと祈念する次第であります。