辻
淳二 
10月も20日を過ぎたある朝、通勤乗車駅に貼られた「京王電鉄の各駅で11年11月1日から11月11日まで、オール11(11.11.11)の記念入場券を発売する」というポスターを見て、思わずニヤリとした。実は、いま毎日使っている京王線の定期券の期限が11.11.11になっていて、「その話なら、俺はとっくに持ってるぜ」と思ったからだ。勿論それを意識して買った訳ではなく、買う時に、通常は半年のを買うのに少し前にJR駅の精算機に入れたまま取り忘れてまだ半分以上残っていた定期をパーにしたのを思い出して3ケ月に変えたら、窓口で渡されたのがオール11だったに過ぎない。そしてこれが、最近こういう「数字の揃い」や「瞬間の思い付き、つまり自分の直感を信じての行動」を結構楽しんでいて、たまたまこの二つがピタリと重なって内心気を良くしていた体験だったのだ。
この内、「数字の揃いを楽しむ」感覚は、最近ではソニーが次世代プレステ2の発売日を平成12年3月4日にしていたり、やや古い所では城山三郎著「打たれ強く生きる」の中に「ミュージカルの初演日を11月11日にする」浅利慶太さんや「待ち合わせ時間を3時33分にする」若者の話が書かれていたりに共感したものだ。一方、「自分の直感を信じての行動を楽しむ」感覚は、自分の専門の情報畑のコンサルタント・ワークのビジネスモデルとしている「CIM(Conceptmaking,Imaging &Mapping)連鎖モデル」のC、すなわち「情報化により手に入れたい価値(宝の山)を直感的に掴まえる」という部分を日常の生活に応用しているものだ。一例を挙げれば、あさ駅に向かって坂道を下る所でフトきれいな花が咲いているのに秋を感じたら、これを自然が自分に発したメッセージ(宝の山)ではないかと受け止める。そしてその日は、「行く先々でこういう身近かな秋を探すのを楽しもう」といった感じで、とっさにその日のコンセプトメイク(意味付け)をするといった類のことだ。そして、調子のいい時はこの直感が良く当たり、冴えない時は外れるのを楽しんでいる。
ところで今年、この二つの感覚の重ね合わせを意識的に楽しんでいるものに「株の売買」がある。株は、今までも経験ゼロという訳ではないが、実はもう35年も前に亡くなった父が結構好きで、ただ50歳台になって父が落ち目になり子供の目で見てもやや冴えないなと見えていた時期に罫線まで引いてやっていた残像が反面教師的になっていて、意識的に深く入らないようにして来た世界だった。当時我が家によく来ていて今も当研究会仲間のAさんは、浴衣がけで罫線を引いていた父の姿を脳裏に留めておられるのではないだろうか。
ところが昨年、何とも他愛ないことからこの封印を解くことにしてしまったのである。私と同業のTさんとで指導しているシステム・エンジニア(SE)の研修で、受講者同士が心を開けるようにと飲み会を持ち、そこに全員が「プライベートな自己紹介」を一人一分でやる場面を設けている。そこでTさんが話題にした「週末に競馬を楽しんでいて、年間の投資回収率がほぼ75%」というのに刺激を受けたのだ。競馬は日本競馬会がテラ銭を25%取るから75%の回収率はイーブンということ、忙しく仕事をしながらこの数字は凄いと舌を巻いたのである。そして、自分がこの種の試みをするなら全く知識のない馬ではダメ、株ならできるかもとヒラメイたのだった。それに、自分も還暦、親父が亡くなった歳になったのだから「その晩年の道楽だった世界を共有するのも悪くはないな」との思いが重なった。
かくして、その気になって始めたのが今からちょうど一年位前でやり方は極めて単純、「自分の好きなイメージの会社をいくつか見ていて頃合いのいい値になったと直感した所で売り買いする」、「その時に、値段の指定をきれいに揃った数字にする」を原則としている。最近の具体例で言うと、「友人が経営トップになったのにエールを送る意味合いで、456円/468円という尻上がりのゲン担ぎ値で買う」「下げ幅が大きくてニッチもサッチもいかなくなった銘柄を、前の買い値の400円ちょうど下(こんなに下がる銘柄を租Iんでいるのだから、直感と言っても何といい加減なことか!)でかつ1470円という尻上がりの等差数の並びの値で買い増す」といったやり方である。直感に頼ろうということで、会社四季報などの必携書も買わない。そうすると、一旦勘が当たる流れに入ると暫くは調子良く行くが、一つ二つとしこるのが出始めると勘が働いてもお金がなくてすぐには動けず「悪魔のサイクル」に入るという波動が繰り返される。かくして、「決めた投資額枠の範囲で、自分の勘を磨く/試すためにやる」道楽の一つに位置付けるに至った。因みに、今年の成績を言えば、前半はビギナーズラックで好調、後半に入って流れが逆転し現在は低調、トータルでは一応プラス側にあるという所である。
まあ、こんなことも「還暦後の生き方を創る」一助にしている昨今であるが、フト翻って想うのは、日本人全体として、「自分らしい生きる型を持つという意識とか行動とかが、近年足りな過ぎたのではないか」ということである。自分自身、意識的にメリハリを付けるようになったのは最近のことであるし。ただ気が付いて見ると、これは見過ごしては行けない、極めて大切な気付きのように思える。現に、私が体得しようとしている上記の「型」一つとっても、「自分の直感を信じて動く」という自己責任の剛と「数を揃える」という遊び心の柔との、組み合わせの強さは備えている。とすればこれとて、これから厳しくなる社会環境の中で日本人が輝きを失わずに生き長らえる力になり得ると思うのだが、如何だろうか。
[99.10.30]