エル 椿 正明
我が家の雌犬エルは16歳を過ぎた。ドッグイヤーは人間の7倍とか、すると112歳ということになる。6倍としても96歳だ。昔はかなりきれいな白い犬だったが、歳を取るにつれやや茶色がかってきた。白い犬は次ぎは人間に生まれ変わるとか言う話しがある。「かわいそうだけどもう一回犬をやらなければね」などと話す。昔はきれいな巻尾だったが、このところ差し尾になってしまった。しかも毛が少なくなったのでみすぼらしい。
犬は散歩が好きだ。犬にとってはご飯と同じくらい、生理的要求のように散歩したいらしい。「庭に放し飼いにしているのだから散歩はなくても良いのだ」と言って誰も散歩してやらない。気の毒なので、土日だけだけれど私が散歩に行ってやる。すると散歩係だと心得て心待ちにしている。そんなことで永らく散歩係りを勤めた。
前の犬ハル、正式名「春王」が死んで、しばらく犬がいなかった。犬がいると散歩したり、旅行したりする時不便だ。犬がいない方がありがたいと思っていたのだが、北鎌倉に抜ける山の中に捨てられていたからと言って家内が拾ってきた、それが今のエルだ。家内は「お捨て」とも言っているが、カタカナではかわいそうとか言って「絵留」とも名づけている。
拾われた当時、次男は受験だった。勉強の合間にエルをかまって気分転換をしていたとのことだ。かわいがってはいたが、 散歩は全くしない。犬も次男には散歩をせがまない。人にはそれぞれ役割があると理解しているのだろう。
犬のIQはどのように量るのか知らないが、「おりこうさんねえ」などと言われたことがある。絶対に噛まないし、呼べば来るので、放して散歩させたりしていて、口笛を吹いたり、「エル来い!」というと素直に「繋いで下さい」とでもいうようにと寄って来たりしたからである。白くて絶対噛まないので、「山羊」という渾名をつけたりしている。小鳥をつかまえたり、猫を追いかけるのが好きだ。でも猫が背中を丸めて「かあっ」と威嚇すると「キャンキャーン」と逃げ帰ったりする。
犬散歩のときに気を遣うのは、やはり犬である。放している時は、呼び寄せて直ぐに繋ぐ。「エルも心得ていてよその犬が来ると『繋がなくてもいいのですか』と言うように飼い主を振り返るときがある」と言うと、三男は「そんな馬鹿な」と言って信じない。犬から回答をもらったわけではないので、真偽のほどははっきりしない。しかも、反対に呼んでも聞こえないかのようにどんどんその犬の方に行ってしまうことがある。「この犬はお友達だからいいじゃないか」と勝手に判断しているかのようだ。腹が立つが、ぐっと我慢して言い聞かせる。しかし通じているのかはなはだ頼りない。
家は1965年ころ開発された鎌倉の住宅地にあるので、ちょっと出かけると昔ながらの山林や田圃がある。エルはそんな山の中を駈巡って、鳥などを追いかけるのが好きだった。薮の中をがさがさと駈巡るので、家内は「山岳犬してる」などと表現したりした。しかし、このごろは山岳犬どころではない。せがむので散歩に行くが、直ぐよたよたし始める。最近はあまり放してもらいたがらないので、綱を付けている時が多いが、先導は始めだけで、後からやっとついてくるときが多い。特に登り坂でスピードが落ちる。「四つ足だから山坂を気にしない」などということはない。そんなことで立ち止まってクンクンにおいをかいでいる時、前はどんどん歩かせたが、このごろははなるべく心行くまで付き合ってやることにしている。
私も65歳、立派な老人なので、老化する犬を見ていて身につまされることが多い。犬は、散歩を始めると間もなく便意を催す。以前は一回しっかり出して終わりだったのに、この頃はなかなか出ないし、一回ですまない。私もジョギングが趣味だが、このところ走り始めると2キロ以内にトイレに行きたくなることが多い。しかも、もう一度いきたくなることすらある。57歳までにフルマラソンを4回走ったが、脚もさることながらトイレが心配でもうレースはあきらめている。
目が見えなくなり、また耳も聞こえなくなっているようだ。私が帰ってきても気づかないことがある。また、番犬としての勤め時間も自主的に短縮して、夕方薄暗くなるとさっさと裏の自分の小屋にリタイアしてしまう。私も早晩まねしなければならないと教えられる。
数年前だが、エルを放して山の中かなり遠くまで散歩に出かけた。住宅地に差し掛かった時、不意に出てきたそこの犬に追いかけられて、エルは一目散に逃げ出し、はぐれたことがあった。心配して口笛を吹いたり、名前を呼んだりして帰ってきたら、ちゃっかり家の中にいたということがあった。彼らの頭の中はどんな造りなんだろうと思った。
どうも地図をベースにしたOSやデータベースがあるかに思える。どこに餌があるか、どこに敵や仲間がいるかが、犬がこの世に登場して以来最大の関心事だったに相違ない。散歩しておしっこを振りまくのは、そのデータベースのコンテンツのリフレッシュ活動なのだろう。散歩をするのは、われわれが毎朝テレビを見て新聞を読みたがるような情報生活ではないか。しかし蓼科にいる弟によると、「山の中で放し飼いにしたとき、犬は自分では散歩にいかない、主人と一緒にいくのが好きだ」と言う。そこが野犬と飼い犬の違いということなのだろうか。
真偽の程は別として、散歩の意義はなんとなく納得できたが、まだ分からないことがある。一つは、大便の後地面を後ろ足で蹴ることだ。小さな犬も一人前にやっている。もう一つは、ピーポーピーポー救急車が来た時遠吠えすることだ。仲間となるべき犬でないことくらい分かっているはずなのに。それともハモル快感、音楽生活なのだろうか。