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最西端への旅で出会った心のふれあい |
辻 淳二 |
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一路、本州西端の町へ 秋も深まった11月20〜21日の両日、本州最西端の町に出かけた。長崎空港から車で3時間以上かかる北松浦郡生月町の、晩秋に多くの自治体で催される収穫祭/物産展的な行事に参加したのだ。「遠路はるばる酔狂に」と言われそうだが、同町を活気ある町にしたいとの志を持つ人たちと「情報化による活性化」構想作りを機縁に知り合っていて、絶ち難い連帯感で繋がっていてのことである。その中でも身近かなのは、共に30代後半の二人のKさん。一人は件の構想作りで町側の推進役だったKaさんで、このホームページの創刊号に「Kさんとの出会い」と題して柔らかい発想と行動を紹介したその人。もう一人は東京での情報畑のコンサルタント業からUターンして町議になって二期目のKoさんで、町と私を繋いでくれた人。そして今回は、今年の町役場の定期異動で水産商工観光課にキャリアパスしたKaさんの、持ち前の力を新任務で発揮する初戦の場にエールを送るという大義名分があって、夏頃にその行事の話を聞いた時に行くことを即決したのだった。直前に届いたプログラムを見ると、その企画は、江戸時代に140年間で約21,000頭の鯨を捕獲して勇名を馳せた同町の鯨組(鯨を捕獲し加工するビジネス組織)の創始者の没後250年を記念して土日2日間の行事を打つという、意欲的なものだった。 |
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往路は、空港からバスでハウステンボスを経由して佐世保駅前に着いた私をKo夫人が車で迎えて下さった。町議の他、家業の酒店主でもあるKoさんを支える夫人は、北海道で生まれ、東京で結婚し、娘さんが10ケ月の時にはるか西端の同町に定住することになってしまった人である。それが、お得意だった英会話力を活かして英語塾を開くことで子供たちと親しくなり、さらに夏には町の潜り名人の指導を得て地元の人も顔負けするほどサザエやアワビ取りに熱中するほど、見事に町に馴染まれているとのこと。道中、その娘さんがもう幼稚園の上級組になって、親もビックリのバリバリの地元弁を話すこと、今年は塾生徒の夏休み特訓コースが忙しくてあまり潜れずにストレスの発散ができていないこと等の近況を伺いながら、70キロ近い海岸や畑を縫う道のりのドライブを楽しませて貰った。 |
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お酒の飲めない酒屋さん一家 町へ入るのもKoさんに会うのも約16ケ月ぶり、先ずはお宅に寄って挨拶をする。出かける前日の帰途、会社の最寄り駅近くの食品専門のデパートで今年のボージョレ・ヌーボが売り出されたのを見掛けた。「ちょうどいい。Koさんの所に持って行こう」と思い付いてすぐ、ご本人は飲めない人と思い出したのを「ワインなら、奥さんやご両親は飲まれるだろう」と打ち消して、上質の奴を一本買った。これを差し出すと、「家内も両親も、みんな飲めないんですよ」とのことで、遊び心は一瞬にしてしぼんでしまった。町では老舗の酒店なのに親子・夫婦が2代に渡って飲めないとは、神様もややこしいことをしてくれるものである。 うまかったアゴ・ラーメン その後、遅めの昼食をということで、同町で秋口に大量に獲れるアゴ(飛び魚のこと)をダシに使っているラーメン店に2人で出かけ、話しながら食べたラーメンが実にうまかった。前に来た時に食べたのより明らかにうまいと感じたのは気のせいだったろうか。こちらからは、「今年還暦して、仕事のウエイトを週3回に減らしたら、いろんな思いがけない変化が出ている」ことを報告する。それから、町と本土を繋ぐ大橋のたもとの公園に今春Koさんが旗振りをし人手は町民のボランティアワークで実現した植栽などの仕上がりを拝見し、今回の行事の会場の一つである博物館に「鯨に関する特別展示」を見に行った。そこには、同町で鯨組を創業した益富又左衛門以降の系譜が展示されていて、初代又左衛門に嫁いだ家がKoさんの先祖だったことを知る。 |
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博物館を出ると、真正面の遠景が海で、夕日がおだやかな光を海に落としているのが見えた。そこで、もっと海が良く見える所に行こうということになり、灯台のある小高い草地で夕日を眺める。ちょうど、大分ナンバーの車で写真を撮りに来ている一団があって、彼らのようなプロも夕日のきれいな場所と注目していることがわかった。それから、今回の行事を封切る町役場隣の文化センターへと移動した。少し早めに着き、現場指揮官役のKaさんがジャンパー姿で諸事に目配りされているのを見つけて、挨拶をする。「いやあ、大変ですよ」といいながら、にこやかな表情なのに安心をする。 |
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旅館に居るのはお客さんだけ?? 9時半過ぎに全ての演し物が終わって、町長とKaさんにお祝いとお礼の挨拶をして、真っ暗になった海岸の道をタクシーで宿に向かう。辛うじて開いていた宿近くのラーメン屋に入って軽く晩飯を摂り、10時半ころにホロ酔いで旅館に帰り着いた。取り敢えず「部屋に入って、風呂にでも」と思いきや、そこで何とも珍妙な体験をしてしまった。玄関をガラリと開けて声を掛けるが、奥の部屋に灯りは見えるのに人の気配がない。どうやら誰も居ないらしいと分かる。昼過ぎに荷物を置きに寄ったが自分の部屋に入っていないので、玄関を上がっていながら部屋に入れないということになってしまったのである。しばらく待てば誰か帰ってくると待っていたが、5分、7分と時間は過ぎて行く。やむなく、玄関のカウンターの上にある電話機で、この旅館の番号をダイアルして見た。すると人が出たが、この家から転送された別の所に繋がったらしい。そして、しばらくして急ぎ駆け戻る足音がして、ようやく部屋に落ち着くことができた。ここは初めて泊まる所でKoさんにお世話になったのだが、初見のお客にさえ特別な身構えをしないこのおおらかさに「ローカルの人情」を感じると言う面白い一幕だった。 風邪を忘れて町創り談義 そのドタバタが収まった所に、英語塾の先生の仕事を終えて一息ついたKoさんが訪ねてくれて、「風邪気味で熱がある」との所を引き留める形となって、今夜のイベントや昨年度の構想作りの時に話題にした関心事についての意見交換にしばしの時間を過ごした。講演については、出席できなかったKoさんに私が、講師の秀村選三先生は25歳の頃に同町の益富家に保存されている「鯨組業という、近世の地域経済活動の盛衰を記した文書」に接して以来50年になる由で、「この国際的にも例がないほど、多面的に具体的に記録されている文書の目録化、資料化、さらにはこれらを解きほぐしての研究に、日暮れて道遠しの思い。町にボランティアパワーによる研究体制を」と訴えられたようだったと報告した。これに対しKoさんは、益富家の親族であることから事情はお分かりのようで、「対馬の宗家では一旦この種の文書が売りに出され、島民の要請で急遽県が買い戻すような騒ぎになったし、この町でもどこまで応えられるだろうか」と話され、講師の訴えをよりリアルに再認識する会話となった。さらに、発掘された温泉の活かし方について、「隣の平戸が観光客誘致に活かしたとなると、ちょっと違う切り口が欲しい。海の輝きが見える気のいい場所で、ヒーリングや気功を活かした心身の健康のサービスを売り物にする辺りかな」といった意見交換をした。また、町への赤ひげ先生のUターンリクルートに関しては、Koさんから「財政的にも、医療サービスの向上にも、町立病院への医師の増員は重要施策」との話があり、その相思相愛になれる赤ひげさんを見つけるアンテナとしても情報化構想に掲げた「町内出身者のデータベース構築」は大切との思いを新たにした。こうした「町創り」の議論はやはり「郷に入ってこそリアルに/ホットになる」もので、当事者意識を持つKoさんと話し始めるとつい時間を忘れてしまう感じになった。 |
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晴れれば祭りは全て良し 翌日は、予報通りの快晴。こちらも9時頃に宿を引き払って、役場前の海寄りの広場で開かれる物産展を見に出かける。バスを近くで降りると、まだスタートしたばかりというのに来場者が続々とあって、明るい喧騒を呈していた。50センチくらいのカツオ一匹1,000円とか活きている伊勢海老一匹2,000円とか今が旬のときさばとかを目玉とする水産業者の店や無農薬野菜を並べた婦人グループの店などはもとよりとして、郵便局や農機具の店や自転車店までがテントを並べていて、まさしく「今日は、町のあらゆる機能がここに集まった」という感じの求心力を見せていた。 |
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もう10年余り昔に、私が住む住宅地の自治会で輪番制の役員をした時に、副会長として秋祭の実行責任者をやったことがあり、その時も当日が見事に快晴になって「晴れてさえくれれば、全て良し」を実感したことがある。前夜祭もいいけれど、町民の動員力の点では「お天気に恵まれた青空ショッピングセンター」にはとても敵わない。Kaさんもこの天気でもう成功を確信しているだろうなと、往時の自分に思いを重ねた。昼前には、主催者側の見込みとして、「去年は参加者延べ4,000人くらいだったのに、今年は6,000人くらいになりそう」との情報が商工会青年部の幹部としてテントに詰めているKoさんからもたらされた。たかだか人口約8,000人の町だから、まさに「町民みんな参加のお祭り」ということになる。 |
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私も会場の熱気に促されて、最初はとにかく一回りする、次は「今日は、お土産やら、帰りの道中の消費物やらは全てここで調達」と決めて品定めをするというように、三回くらい会場を廻った。一時間くらい経つと、会場の横に設営された特設舞台で郷土芸能のパフォーマンスが始まり、Kaさんが出場者たちとの渉外などで走り回っている様子を拝見する。最後の、30人くらいの若者集団による前衛的なダンスがなかなかの迫力だった。 |
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早くも別れの時 その後、昨夜の会場に入って捕鯨映画「鯨捕りの海」というのを見たら、もう帰途に向かう時間になった。そこで、買い物で貰った福引券の抽選会場に寄ったら、一枚が当って500円の商品券が貰えた。普段こういうのはついぞ当ったことがないので、「これはついている」と思った。急いでテントに引き返し、帰路の食事用に巻き寿司とおこわ飯を買うとちょうど500円になった。それからKoさんに送って頂いて、平戸へのバス停に向かった。 バスが来て、「次は東京での再会を」と挨拶して乗り込む。5時25分長崎空港発の便に乗るために12時25分町役場裏発のバスに乗らなければいけないのはこの町の如何ともし難いハンデだが、「やりたいことは一通りやった」と満ち足りての離別だった。ただ、「後は帰るだけ」と思ったその先にちょっとしたハプニングが待ち構えていた。「空港でのチエックインぎりぎりまでバスに乗った時間から4時間40分。行きに迎えて貰った時は待ち時間がなしで3時間10分くらいで行けたから、平戸と佐世保でバスを乗り継ぐとしても大筋として大丈夫」との読みはあったが、各中継点で乗り継ぎがうまくないとしくじる可能性はある(バスはおよそ、一時間に一便のペース)、ここからは一人だから乗り継ぎには用心しないとという思いはあったのにである。 行きはよいよい、帰りは? 平戸桟橋のターミナルでバスを降り、すぐ時刻表を見ると、佐世保行きは13時20分発と14時発となっていた。時計を見ると20分を少し過ぎている。「さて、20分発は出たか」と身構えると、その瞬間に到着したのが佐世保行きだった。「先ずはセーフ」と乗り込むと、概ね時刻表通りで2時45分に佐世保駅前のターミナルに着いた。そこで、次の空港への時刻表を見ると、3時5分発と35分発となっている。佐世保から空港までは1時間40分だから、3時5分発に乗れば4時45分着でちょうど良い。「これでもう楽勝だな」とのんびりバスの来るのをターミナル内の椅子に腰掛けて待っていると、県内外各所に行くバスが次々と入って人を乗せて出ていく。その時に、必ず到着/出発のアナウンスがある。「アナウンスがあったら乗車ゲートに行けばいい」仕組みだなと受け止めた。そして、定刻に少し遅れて空港行きのバスらしいのが入ってきて停車したが、アナウンスがない。それでも腰を上げて歩き始めたが、アッという間にバスはバックしてターミナルを離れてしまった。一瞬、嫌な予感がした。それでも、また入って来ると思ってしばらく待ったが、他の路線が次々と入るばかりで空港行きは来ない。業を煮やして窓口に聞くと、アナウンスを担当している人も「まだ入らない」と答えた。また暫く待つが来ないので、「さっき、ちょっと入ってすぐ出たように見えたが」と言うと、どこかに電話して「確かにもう発車した」ということになった。 捨てる神あれば拾ってくれる神も まずいことになったと思いながら「35分発で行って、空港のカウンターで交渉しよう」と腹を決めた所に、もう一人5分発に乗り損なった人が出てきた。便を聞くと、彼は4時55分発だと言う。それでは35分発では完全に間に合わない。そこで、バス会社に交渉したら、当事者だった年配のアナウンス担当氏が「確かに自分が見落とした」と認めて、車で途中の川棚駅で合流できるように追い掛けようと申し出てくれた。自分一人だったら、「まあ、乗る便は満席ではあるまい。まだ出発していない時間に着く筈だから、何とかなるだろう」と断ったと思うが、目の前にもう一人のそれでは間に合わない人がいる。とっさに、その申し出に便乗することにした。ところが、会社の車を取りに行ったアナウンス氏が、なかなか出てこない。おそらく、彼の仕事を他の人に託すなどに時間を要したのだろう。その間、少なくとも5分以上、気が急いているからとても長く感じた。そこで、とうとう緊急度の高い相方氏が焦れて、「タクシーを拾って行く」と言って抜けてしまった。私はそこで、彼に同乗するか、このまま待つか考えたが、車で追いかけることを申し出てくれたアナウンス氏を裏切り難く、一人残った。程なく彼の車が出てきて事情を話すと、「一人でもいい」と言ってくれた。「それでは」と乗り込んで走り出したが、5分発のバスからは25分くらい遅いスタートとなっていて、こちらはハウステンボスに寄らない優位さはあっても「もう追い付きそうもない」感じになっていた。実際、道は結構混んでいて、全然飛ばせない。途中から「なるようにしかならない」と何となく仲間意識ができて、二人で「起こったことの類推」を始めた。そして、「バスは少し遅れて入った。運転手は途中の遅れを気にして、着いた時にゲートに入っていたお客一人だけを乗せてすぐ出てしまった。アナウンス氏は、他の出入りするバスの案内に気を取られて、すぐ出たバスを見落としてしまった。タクシーに乗り換えた相方氏は、5分発に乗っても4時45分着だからチエックインに間に合わなかったかも」という結論になった。 見事だったプロ意識 結局、川棚に着いても前のバスの影も形もない。そこで、JRの川棚駅に寄って、急行がうまく通るようならそれに乗り移ろうと提案するが、アナウンス氏は「こちらが見落としたので、空港まで行きます」と言う。まだ、距離は25キロ近くあるので悪いなと思ったが、駅に寄っても汽車がなければダメ、「もう、彼のCS(お客様満足)に徹する姿勢に甘えよう」と決めた。その後、ようやく道は流れ始めて、もう時間的には大丈夫ということになった。そこで、落ち着いて会話を始めたら、かなり前に今のバス会社の大村にあった営業所を切り盛りしていたことがある人で、その第一線での苦労がCSを重視するターミナルでの判断に繋がったのだろうと納得させられた。年齢的には私の年齢に近く、たぶん最近になってラインの長からアナウンス係に転じられたのだと思うが、その役割もないがしろにせず、自ら運転して追いかける決断をされたプロ意識には感服する思いがあった。ただ、私にとっては「結果オーライでノー文句の対応」となったが、もう一人の相方氏には「車を待ったロスタイムや決して少なくなかっただろうタクシー代で、彼が恨めしく思えただろうな」と、また帰任した職場の上司には「遅か。何ばしちょったか(こんな、長崎弁あるかな?)と冷たく見られなかっただろうか」と、切ない思いも頭をかすめた。 車は、4時50分頃に空港に着いた。アナウンス氏との出会いには感動があったので、生月町で買ってきたお土産から一つを抜いて、ねぎらいの気持ちに代えた。こんな顛末から帰路は落ち着いて食事をする時間もなかったので、福引の商品券で手に入れた巻き寿司を平戸から佐世保へのバスの中で昼食に、おこわ飯を空港での待ち時間にロビーで夕食に食べて済ませるという結果となった。かくしてこれらも、「Everything OK」で旅を締め括る小道具として、「渋い役割」を果たしてくれたのだった。 [99.11.23] |