「私の高校受験記」              黒木 靖生


 今は受験シーズンなので、私の高校受験を思い出しました。

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 私が小学生の頃、私の両親は小学校の教員でした。しかし、私が農村部の小学校に通っていたのに対して、私の両親は同じ市内の市街部の小学校に勤めていたので、私の小学校の同級生は私の両親が教員であることを知らず、私も両親が教員であることを余り意識せずに小学生時代を過ごせました。

 ところが、中学校に進むと、私の両親が勤務している小学校の卒業生と一緒になり、私は「黒木 靖生」と言う個人よりも「黒木先生の息子」として見られることが多くなりました。当時、特に田舎では学校の先生は「聖人君子」と見なされており、教員の子供も当然「聖人君子」でなければならないような雰囲気があり、私は何か鋳型にはめられたような「居心地の悪さ」を実感していました。

 中学も3年生になると、当然、高校進学を考えますが、私は、このまま地元の高校に進学してこの「居心地の悪さ」を続けることが苦痛に思えて来て、地元からの脱出を真面目に考えるようになりました。

 3学期になって、ある時、父親から「久留米市(福岡県)にキューダイ・フセツ・コウコウと言う高校があり、キューダイ(九州大学)にも結構合格しているが、この高校に日田市(当時、私が住んでいた町)からも何人か汽車で通っている」との話を聞きました。私は、「キューダイ・フセツ・コウコウ」は、その名前から「キューダイ(九州大学)」に関係する高校だろうと思い、地元から「脱出」するためにはこの高校に進学するしか方法が無いと考え、即座に父親に「キューダイ・フセツ・コウコウに行きたい」と申し出ました。

 翌日、中学校の担任の先生に事情を話して、「キューダイ・フセツ・コウコウ」の受験願書を取り寄せていただきました。何日か経って、担任の先生から渡された受験願書を見て私はビックリしました。その願書の校名には「久留米大学附設高等学校」と書かれていたからです。私は、それまで久留米市に大学があることも、まして、その大学の附属高校が久留米大学を短縮した「キューダイ」と言う名前を冠して呼ばれていることも、全く知らなかったからです。

 私は、思いがけない事実の出現に当惑しました。しかし、私の目的は、九州大学に合格することより、地元(日田市)を脱出することでした。そこで「どうせ乗りかかった船だ。この高校に行っても何とかなるだろう」と思い、そのまま「キューダイ・フセツ・コウコウ」を受験し、合格することができました。

 入学後にわかった事は、この高校は、戦後の荒廃した日本を再建する人材を育成する目的で久留米大学商学部(久留米大学は、この他に医学部を持っている)に附属して設立されたもので(昭和34年入学の私が10回生)、学生は男子ばかりで1学年150名(3クラス)の比較的小規模な学校でした。

 入学して最初に言われたことは「あなたたちを紳士として扱う」ということで、校則などの細かいことにはウルサクなかったような記憶があります。昼食も、休み時間であればいつ食べてもOKと言われましたが、これは、汽車で通学する学生は朝早いので朝食を抜かすこともあるのを救済する目的もあるとのことでした。

 この地元からの脱出は、私にとっては「大正解」でした。勿論、私の地元からも何人かこの高校に通いましたが、大多数の人は「私の両親が教員である」ことを知らず、そのため、特別な目で見られることもなく、私は、高校3年間を周囲に気兼ねすることなく、精神的に全くノビノビと過ごすことができました。

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