「政治ワイドショー劇」ヤブ睨み         辻 淳二
 

 小泉キックオフ改革劇の第一幕に見えたアヤ

 小泉内閣が誕生して、まもなく一年になる。党員票を集めての就任とあって、私自身期待を込めて改革確信犯内閣とネーミングしていたが、改革の進捗ははかばかしいとは言い難く、「実行は難し」だなとの感を強くしている。その要因としては、かって改革を標榜した内閣の場合と同じように、「政、官、業界に根ざす抵抗勢力の存在」、「改革プランの、彼らをぶっ飛ばす程の切れ味/突破力の不足」が大きいだろう。ただ、今回はもう一つの要件の「国民の支持」はあって、今までと違う展開に持ち込める余地は大きかったのだから、「それでもこの程度なのか」との失望感は大きい。ただ、政治のワイドショー化で改革のプロセスを国民が情報共有できるようになり、私にもテレビ等の報道に接する中で「改革というゴールに向かおうとする関係者間のパスがうまく繋がる/繋がらないアヤ」が見える感があり、今までよりは前進していると受け止めている。

具体的に、先般の“田中・鈴木両成敗型の更迭”までの第一幕においては、「“改革を成し遂げる”という大義のために結束力を最大にしないと勝てないのに、小異にとらわれてブレーキを掛け合ってしまった改革キーパーソン達の浅慮/狭量」が“パスの組み立てのメリハリ”を殺いだところが随所に見られ、“流れに棹さすアヤ”になっていたと私には見えたのだが、いかがだろうか。

 最初から息が合っていなかった両主役

実は、ここまでの推移で、上記の視点から、私にもしキーパーソン達に接するチャンスがあったら「ぜひ、問いかけて見たい」との衝動を感じたシーンが2つあった。

その一つは、昨秋に小泉総理が外務省内での人心掌握に関連して田中大臣に江戸時代の儒学者・佐藤一斎作の『重職心得箇条』を読むように助言したと報じられた時。その時にとっさに「総理にそういう感性があるなら・・」と私が思い当たったのは、「その本もいいけど、2人で藤沢周平著『用心棒日月抄〜刺客〜』を読み合ってくれればもっと良かったのに」ということだった。これには、藩の存亡を左右するかもしれない密命を一分の隙もない連携で果たしたヒーローとヒロインが登場する。これに比べれば、現代の2人のコンビは内閣発足当初からギクシャクしていた。なお、この件で問い掛けたかったのはご当人達にではなく、「内閣発足時点で、側近たちの中に、2人に“これをぜひ読んで、これに負けない隙のない連携で・・”と助言する人がいなかったか」ということ。  

ズレていたヒロインの“演じ方”

もう一つは、田中氏が辞任直後から「小泉批判」を内外の記者に語るシーンを見たとき。これを見て、これでは、「同氏の“この国における存在価値”を本人自らが矮小化させてしまう」と直感した。外相としての同氏には、「省内“大”改革の突破口を開いた」プラスと「本務の外交では成果を出せなかった」マイナスとの両面の評価があるが、「室長級ほかの公費横領/私物化を許した組織の緩み」と「鈴木議員に錚々たる外務官僚がひれ伏していた実情」を合わせて改革への道筋をこの短期間につける事は他の人ではできなかったと読めば、“国にとって、長期的に見たらかなりのプラス貢献”とみてよいだろう。国民の多くがそう思っているのも、辞任直後の内閣支持率の急落がはっきりと示している。とすれば、同氏に冷静な状況認識があれば、「クビを切られた怨念(敗北感)」と「一役果たしたフッキレ(達成感)」のどちらを表に出した方がいいかは、考える余地がないほど明白だった筈。自分がまた場を与えられてこの国の改革の一翼を担うことを期すとしたら、談話の一部に見られる「未熟な自分を外相に任命して頂いた・・」感謝に続く言葉は、「“最初のキッカー”としての一役は果たしたので、この先は“パスの繋ぎ役”の川口さんに期待・・」との連携メッセージであって欲しかった。そういう、「改革劇の第一幕は、(遅すぎるけど、轍は改革に向かって回転しているとの)次幕への余韻を残して引かれた」とのプラス・イメージを国民に残す“深慮”こそが必要だったのではないだろうか。ここは、同氏の好き・嫌いには中立の私から見て、「その直前の“女の涙”論争よりも遥かに大きい、“やるなあと大向こうを唸らせる”格好のチャンスを失した」と惜しまれるシーンだった。なお、ここも、問い掛けたかったのは渦中のご本人にではなく、「同氏を真に支えようとしている側近たちに、こういう助言を冷静にかつ体当たりでした人がいなかったか」ということ。

今は幕間、この間の投票行動が“次のアヤ”

良くも悪くも第一幕は終わって、ワイドショウの関心は与野党入り乱れての“叩き合戦”に移っているが、小泉改革の“政官癒着打破”劇という視点から見れば今は幕間である。ここで、我々国民は、この幕間の乱闘劇で“目くらまし”を食らわないように気をつけなければいけない。それは、外務省問題のような情けないことが他の省庁にも大なり小なりあって、この根源には「もう全く時代にそぐわなくなっている自民党が、騙し騙し命脈を保っている」所にあり、それを明るみに出したのが第一幕なのだから、これを確かな布石として第二幕に臨まなければいけないということである。そうなると、我々ができる一番基本となる行動は選挙での投票、つまり、(全選挙区ではないのが残念だけど)近々補選とか首長選とかがある県で「今の連立政権色の濃い候補」にNOを突きつけること。これが、改革がゴールに近づく“次のアヤ”として大切と、あらためて感じさせられている。

産業界の改革リーダーにも欲しい「冷静な助言者と聴く耳」

いうまでもなく、日本において改革を必要としているのは政/官界だけではない。私もその片隅にいる産業界も、新世紀の経済社会に展望を拓いていくための改革が必須と分かっていながら「結果が出せる流れを掴めている」企業はごく少数に留まっている。多くの企業において、成果に至るスピードが遅いのはなぜだろうか。その一つの要因として、「上に書いたような、改革キーパーソン達の浅慮/狭量」“思い当たるフシ”はないだろうか。こう考えてきて、フト思い当たったのが「社外取締役の活用」だった。日本では「まだ社外取締役は機能しない」との見方の企業が多いと聞くが、「ある時は毅然と、ある時は柔らかく、(社員ではできない発想と動きで)改革に向かうパスの流れを繋いでくれる外部者」の存在が“改革を遅滞させないアヤ”になり得ると連想したのだが、いかがだろうか。「2002.3.24」

投稿広場 目次へ