「瀋陽の亡命騒動」 黒木 靖生
中国・瀋陽の日本総領事館に、朝鮮民主主義人民共和国の亡命希望者が駆け込んだ事件は、ようやく鎮静化しつつあるようです。
この事件は、亡命希望者が日本総領事館に駆け込んだ一部始終が、ビデオおよび写真に撮られて全世界に流され、この種の事件の「秘密主義」が通用しなくなったことで、時代を画する事件であったように思います。
日本の外務省は、当初は、日本総領事館に駆け込んだのは「2名」と発表し、後で「5名」と訂正していますが、これは止むを得ないことでしょう。と言うのは、我々はビデオで日本総領事館の正門の騒動の一部始終を見ることができていますから、亡命希望の女性2名と女児1名も、短い時間ではあるものの、日本総領事館の正門の内側に入ったことが判ります。しかし、日本総領事館の建物の中にいた人は、そのビデオを見るまでは判らなかったのは、仕方無いことでしょう。
しかし、問題は、事件発生後の日本総領事館の取った態度です。ビデオを見ると、亡命希望の女性2名と女児1名が、複数の中国の警察官によって、日本総領事館の正門ギリギリのところまで押し(引き)戻された頃に、正門の内側に3人の男性がユックリと歩いて現れます。その男性の中の1名は、正門で起きている騒動は目に入らないかのように、正門の内側に転がっていた警察官の帽子や手帳みたいなものをノンビリと拾い、その後、屈み込んで、警察官に抑え付けられている女性2名に話しかけるような仕種を見せました。
私は、このビデオを見た時は、警察官の帽子を拾った男性は、その態度から判断して、日本総領事館の現地雇用の中国人用務人と思っていました。ところが、その後の新聞報道でこの人が事もあろうに「日本の副領事の一人」であることを知り、「何という体たらく」かと驚き・呆れ、怒り心頭に発しました。
ビデオによれば、亡命希望者の内の男性2人が、中国の警察官の制止を振り切って、日本総領事館の中に駆け込んだ時、日本総領事館の正門の内側の詰め所に居た警備員とおぼしき人(紺色の服、後で現地雇用の中国人と報道された)が、2人を追いかけて、総領事館の方角に消えました。そして、その紺色の服を着た人は、件の副領事と一緒に正門に現れましたから、副領事は少なくとも「複数の男女が駆け込もうとし、その内の男性2名は総領事館に駆け込み、残りが正門付近で中国の警察官と揉み合っている」ことは報告を受けていた筈です(そうでないと、正門に来る理由がありません)。
つまり、この副領事は、正門で騒動が起きていることを知っていながら、ユックリと歩いて来たと言うことは、余り係わりたくないと言う心理の現れのような気がします。そして、正門に着いても、騒ぎの当事者に話しを聴くのではなく、黙って帽子を拾ったことも、同じく無視したい心理の現れでしょう。
この副領事の態度も、阿南中国大使が大使館関係者に「不審者はツマミ出せ」と訓示していたことを後で知り、ユックリ動けば、その間に中国の警察官が「ツマミ出してくれるだろう」と期待していたからだと理解できます。阿南中国大使のこの訓示の当否(責任問題)については、大いに議論されてしかるべきと思います。
この事件が発生して数日後、外務省は現地に調査員を派遣しましたが、その報告書も、要領を得ないものです。
例えば、
(1) 領事館内に駆け込んだ男性2名は、ビザ申請の待合室の椅子に座っていたと報道されていますが、総領事館側は、この男性2名をどのように取り扱ったのか?
(2) 中国の警察官がこの男性2名を連行するために日本総領事館に入った時、本当に「許可を得なかった」のか?
(3) 「無断で侵入した」と判断した日本総領事館側は、どのような抗議をしたのか(もし抗議していなければ、「黙認」と取られても仕方ない)?
(3)については、日本の外務省の発表では、亡命希望者5名が、日本総領事館の正門の外の中国警察官詰所から他所に連行される際、日本総領事館の警備担当の副領事が手を横に拡げ「待て」と立ち塞がったが、中国の警察官が「不穏な雰囲気」になったため携帯電話で総領事に相談し抗議を止めた、とのことのようです。
ここで、この警備担当の副領事が、中国の警察官が「日本側の同意無く総領事館に侵入し、男性2名を連行した(つまり「日本の主権が侵された」)ことに対して断固「抗議」したのであれば、「不穏な雰囲気」になったくらいで抗議を止めるのが、外務省の正しい態度であるかと言う疑問が湧きます。
この「不穏な雰囲気」とは、一体どのような事態だったのでしょうか。具体的に「生命の危険」を感じたのでしょうか。私は、そのような事態では無かったように思います。もし、このようなことで外交官の生命に危険を及ぼすような事になれば中国側の大失態で、この警備担当の副領事は安心して「断固たる抗議」を続けても良かった筈です。これを「不穏な雰囲気」などと言うレトリックで誤魔化すのは、外務省も「救い難い」と言う他ありません。
川口さん、本当に、あの報告書で納得しているのですか?
もっとも、外交は「高級な騙し合い」ですから、外務省も本当のことは言えず、苦し紛れの言辞を弄しているのかも知れません。ここのところは、中国と違って、開かれた国家の辛いところです。
閑話休題: この事件で私が腑に落ちないことは、ビデオの後編、即ち、中国の警察官が日本総領事館に入る(侵入する?)場面と、男性2名を連行して総領事館から出て来る場面が何故公開されないか、と言うことです。
このビデオは、亡命を支援するNGOの国際連合の連絡を受けて、日本の通信社が撮影(写真は韓国の通信社が担当)したものです。恐らく、このビデオの後編も撮影されていると思いますが、それが放映されないのは相当な理由があると想像されます(正確には、後編については、有・無も明言されていませんが、マスコミがこの点を追求しないのは何故でしょうか?)。
仮に、後編はビデオに撮影されていない場合でも、撮影者は現場に残っていて、後編の一部始終を見ていたかも知れません。この点も、(撮影者の人権を守るためか)マスコミは追求を避けているようです。
ビデオの他に、韓国への亡命が叶った5名が、(おおよその)真相を知っているものと思われますが、その真相は、日・中いずれかに都合の悪いものであるでしょうから、後難(今後、亡命に協力してもらえなくなる)を恐れて、明らかにしないものと思われます。
しかし、いずれにしても、日本の外交官の体たらく(外交官はその国の顔ですから、日本の体たらく<首肯します>になります)が世界中に明らかになった訳ですから、外務省は外交官の再建をどうするか、そして、根源的には、文部科学省は日本人の再建をどうするか、重い課題を背負ったことになります。
(以上)