熊野漫歩記 柳下 彊
かねて行こうと思っていた熊野に4月の始めに行って来た。熊野に行こうと思った動機は、一昨年の春、私の二男が紀伊半島を一周する旅から戻ったときの土産話に那智の瀧の話を聞いた事、また同じ頃に京橋のフィルム・センターで小林正樹監督の映画「食卓のない家」を見て、その中での那智の瀧と参詣道の映像が美しかった事、また熊野古道の存在を知り、古人の歩いた古道というものを自ら体験したいと思い始めた事である。
「熊野御幸」と言う言葉は、昔習った日本史や古典文学の断片的な記憶として頭の片隅に残っていたけれど、この言葉と藤原定家、藤原秀衡、平重盛といった人物名とがつながったのは、今度、実際に熊野の土地を踏んで見た後のことだった。
出発に際して考えたことは、熊野三山と言われる熊野本宮大社、新宮の速玉大社、那智大社の三社に参詣すること、熊野古道のごく一部でも実際に自分の足で歩いて見ようということであった。
朝7時に家を出る。午前9時東京駅発の「のぞみ」で名古屋まで、名古屋から紀勢線特急「南紀5号」に乗り換え新宮まで、新宮で鈍行に乗り換え、午後2時少し過ぎに那智駅に着く。紀勢線に乗車したのは初めてだったが、単線で、特急でも3輌編成、しかも平日とは言え、乗客の姿が疎らであるのに驚く。那智大社近くの青岸渡寺の宿坊尊勝院というところに宿をとっているので、バスを待って、先ずは青岸渡寺へ急ぐ。終点の山上展望台から少し戻り、参詣道らしく土産物店の立ち並ぶ急な石段を400段上って青岸渡寺に着いたときは、午後3時半になっていた。宿の主人は、「風呂に入れます。食事も5時過ぎには用意できます。」と言ってくれたが、まだ、瀧も見ず、大社にも参詣していなかったので、荷物を置いて直ぐに出かける。主人は、「5時過ぎには食事にしますので、5時までにはお帰りください。」と念を押す。何故、こんなに急がすのだろうと思いながら、外へ。
先ず、青岸渡寺本堂にお参り、線香を上げる。バス・ツアー客らしい団体客等でかなりの賑わいである。直ぐ隣の那智大社にも参る。こちらは、お線香ではなく、木片を上げる参拝である。神社とお寺が隣接していて、それぞれが由来の古い建造物である事が不思議に感じられる。明治の廃仏毀釈の折には、このお寺はどうしたのだろうかと考える。
境内はいずれも清掃が行き届き、特に大社には清浄な空気が漂っている。
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宝物館の前に、秀衡桜と呼ばれる山桜の古木があり満開であった。関東では、今年の桜は、開花した後、短期間のうちに散ってしまい、花見の機会を逸してしまったが、思いがけず、那智山上で花見をすることが出来た。 (左:那智大社宝物館前の秀衡桜) 時間がないので、青岸渡寺境内から山を下って大瀧へ向かう。境内から展望できる瀧の遠景が美しい。寺から瀧まで徒歩15分程の距離だが、鎌倉期に積まれたと言う石組みのかなり険しい坂道を下った後、那智大瀧の直下に立つことが出来た。 |
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流れ落ちる水の量、その音、想像していた程大きくはなかったが、周囲の清浄な空気は清々しく、快い。しばらくはその場に立っていたかったが、「5時過ぎには…」の言葉を思い出して宿に戻る。まだ5時ちょっと過ぎだが、青岸渡寺境内には参詣客の姿が全く見えない。入り口のところに「参詣は午後4時30分で終了」の旨を記した立札があり、宿で急いだ理由も何となく納得した。山の夜は早いということか? (左:青岸渡寺境内からの那智大瀧遠景) |
4月10日(水)
晴れ
朝7時に宿を出る。バスを待つ時間を利用してもう一度瀧を見ることにして、参詣道の階段を下りて瀧まで行く。殆ど人気がなく、朝の空気が快い。那智駅でも新宮へ向かう電車の待ち時間があったので、駅近くの補陀落山寺に立ち寄って見る。この寺は、平安期から江戸中期までの間、南海にあると言われた極楽浄土の補陀落山への船出の根拠地になっていたそうで、この間25人の僧が補陀落山を目指して船出したとのこと。境内にはそれらの極楽往生(?)した僧の名が刻まれた碑が建っていた。ここでも浄土信仰と熊野の神々への信仰の結びつきの跡が見られ、面白かった。
那智から新宮へ向かう。新宮には、午前9時過ぎ着。本宮へ向かうバスの発時刻は11時5分なので、直ぐに速玉大社に向かう。商店街を抜けた市街地にある大社は、朱塗りの目立つ、明るい建物である。山上の那智と比べると、荘厳さは希薄な感じがする。
境内のなぎの古木などを見て駅に戻り、本宮行きのバスに乗車、熊野川の清流を右側に見ながら本宮に向う。熊野川の水は青く美しいが、テレビドラマ「ほんまもん」で見たほど水量は多くない。この水量では、新宮まで船で下るのは難しい。約1時間で、本宮大社前に到着する。熊野本宮大社に参詣。これで、熊野三山にすべて詣でたことになる。
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牛馬童子像をカメラに収めてしばらく進むと、峠を越してやや下ったところに見晴らしの良い展望台があり、今夜の宿泊地、近露の里を眼下に一望する事ができた。 (左:近露の里全景 左下橋の上の木立が近露王子社) 近露に降り橋を渡ると、左手に近露王子社(古道の中継点)があり、すぐに今夜の宿「民宿ちかつゆ」に着いた。宿での夜、温泉につかった後、本宮で買い入れた小冊子2冊、「熊野信仰について」および「一遍上人と熊野本宮」に目を通す。後者の記述中、一遍上人が本宮証誠殿に参籠中、夢の中に熊野権現の姿が現われるくだりが大変興味深い。 |
4月11日(木)曇り後夕刻雨
午前8時に宿を出て、近露王子から古道に入る。今日歩くのは小広峠までの約6km、時間で3時間弱の行程である。民家の間の舗装された道を2km余り歩き、比曾原王子入り口の道標のところから山道に入る。昨日と同じ杉林の上り坂で、かなり険しく、息が切れる。20分程歩いて再び、舗装道路に出る。昨夜、宿の主人からは、私が歩く行程は見所が少ないので、むしろ小広峠以降の本宮に至る約18km、7時間のコースの方が良いと頻りに奨められたのだったが、山歩きは数年振りで、一人歩きでもあるので、今回は、用心をして楽なコースを選ぶ事にした。
とはいっても、眼下には熊野の森林が広がり、鶯が絶え間なく囀り、所々に山桜が咲き残っており、空気は清々しく、快適な山歩きを続ける。道路に沿って所々に民家があり、畑で作業をしている人の姿も見られる。しばらく歩くと継桜王子と言う所に着き、下の国道に下りたところに「野中の清水」と呼ばれる湧き水があるとの案内あり、古道から国道に降りて見る。「野中の清水」には、ここを訪れた斎藤茂吉、西行、服部嵐雪の歌碑、句碑があり、茂吉の歌碑は、読みやすい楷書で、
いにしへの すめらみかども 中辺路を 越えたまひたり のこる真清水 茂吉
と記されている。茂吉は、昭和9年にこの道を車で通り、田辺から熊野本宮へ向ったらしい。おおよそ70年前の熊野はどんな様子だったのであろうか。
古道に戻り、更に進むと次第に人家が少なくなり、左手に林道へ続く大きなトンネルが見える場所に出る。数本の大きな山桜があり、葉桜ではあるがまだ十分美しい。近露から約2時間半で、小広王子着。まだ11時前で、バスが来るまで2時間以上もあるので、この先の古道はどうなっているのかを探るため、前に進む。少し進むと森の中へ降りる道(入り口)があり、この先は険しい山道が続く旨の立札がある。更に進んで本宮まで行って見たい気持もあったが、今回は引き返す。小広峠の手前(近露寄り)の国道へ降りる支道を下り、国道手前の小高くなった、見晴らしの良い場所を選び、宿で作ってもらった握り飯を食べる。国道が眼下に見下ろせ、頻りに車が往来する。背後の森からは、鶯の囀る声が絶えない。眠気を誘われたが、バスを見逃すと更に数時間待つ事になるので、持参の文庫本「指輪物語;旅の仲間」を読みながら時間を過ごす。約2時間バスを待って、本宮行きに乗り込む。運転手さんは、たった5分ほどおくれただけなのに、丁寧に「大変お待たせしました。」と言う。約30分で、今日の宿「ペンション明日の森」に着く。宿に着くと、間もなく雨が降り出した。
4月12日(金)快晴
もう一度熊野本宮大社に参詣し、大社から1時間ほどの伏拝王子というところまで行きたい旨を宿で話したところ、ご主人が親切にも「では、車でお送りしましょう。ついでに発心門王子社も回り、NHKドラマ“ほんまもん”のロケ地跡もご案内しましょう。」と言ってくださる。3月末まで放映されていた“ほんまもん”は毎朝見ており、興味もあったので、ご好意を受けることにし、宿の車で8時半頃出発する。本宮大社右側の国道を過ぎて、しばらく行ってから山中に入る。山の木々の新緑が光を浴びて美しいので、「新緑がきれいですね。」と思わず口に出すと、「あれは、コナラです。」と主人が教えてくれる。
発心門王子社は、きれいな鳥居を備えた小社になっている。「この辺りは、“ほんまもん”のロケで、ヒロイン木葉のお爺さん、山伏の山中定道(佐藤慶扮す)が走り回った場所です。」とのこと。テレビ映像では山奥のように見えたが、実際には山の入り口であった。車中で、熊野川の水量が少ない事を聞くと、「テレビで新宮へ船で下るシーンは、そのシーンを撮影するために上流のダムから放水をしたのです。」とのこと。伏拝王子近くの木葉さんの実家を見物したあと、ご好意に謝して車を降りる。
伏拝王子は、和泉式部がここまで来て本宮参詣を諦めてここから見える本宮を伏し拝んで引き返したとの伝説のあるところで、ここから大斎原(おおゆのはら:旧社地)に現在建っている大鳥居が見える筈で、それを見たいと思っていたのだが、うっかりして先を急ぐあまり眺望する事を忘れ、古道を降りはじめてしまった。後からそれを思い出すと残念である。今回最後の古道散歩は約1時間、無事本宮大社に降り、再度参拝する。
本宮大社は、明治22年に大斎原にあった旧社が洪水で倒壊したため移築された建物で、那智大社、速玉大社に比べて古色があり、また周辺の風物と調和しているためか、目立たないが、反って親しみを感じさせる佇まいである。中央右側の証誠殿には素盞嗚尊が祀られており、平重盛が父清盛を諌めた時に参詣した旨の案内がある。
旧社のあった平地の大斎原には、最近(2年前)建てられたコンクリート製の大鳥居が建っている。背後の杉林の他に何もない広い平地に壮大な鳥居が立つ光景は奇観であり、伏拝王子から眺める事を忘れたのはかえすがえす残念であった。
午前11時52分発の急行バスに乗り、新宮へ向う。4日間の熊野漫歩もこれで終りと思うと少し寂しい。春の熊野は、風光明媚で、人情細やかな素晴らしいところであった。
また来る機会があれば、今度は熊野古道を心ゆくまで歩き、神仏習合すると言われる熊野信仰の実態をより深く知りたいと思っている。
以 上