「世界遺産のハシゴ」             黒木 靖生


 今般、家内・娘と一緒にスペインに行き、思いがけなくも世界遺産を「4つ」ハシゴしましたので、ご報告します。

(1)出発

 6月8日(土)、12時成田発の飛行機でロンドンに向かいました。家内と海外に旅行するのは8年振りです。成田空港および機内には、サッカーのユニフォーム姿の外人さんも多く見られ、「さすがワールドカップ」と思いました。ロンドンまでは約12時間のフライトですが、この間、機内では3回、エコノミークラス症候群に罹らないための体操のビデオが放映され、私たち夫婦もビデオに合わせて体を動かしました。

 同じ土曜日の16時すぎにロンドンのヒースロー空港に到着し、迎えに来た娘の車で彼女のアパートに直行し、その夜は、そこに一泊しました。ロンドンでは、イングランドの旗を掲げた家や車があちこちに見られ、ワールドカップの応援気分を盛り上げていました。また、以前来た時もそうでしたが、こちらでは午後9時すぎまで空が明るく、夜の時間の感覚が狂います。

 翌9日の日曜日の夕方の飛行機で、ロンドンからスペインの南西部に位置する都市・セビリアに向けて飛び立ちました。この時、ロンドンのヒースロー空港には、車の駐車場として、空港に隣接した短時間(1日以内?)向けのもの(「ショート・ステイ」と称する)の他に、空港から離れた場所に、料金の割安な長時間(1日以上?)向けのもの(「ロング・ステイ」と称する)があり、無料のシャトル・バスで空港と結んでいることを知りました。後者の駐車場は、シャトル・バスの停留所が3ケ所あるほど広く、また結構混んでいました。

 セビリアの空港に到着したのは午後9時前でしたが、まだ太陽が燦々と降り注いでいるのにビックリしました。空港からタクシーで市街部に向かう途中、運転手さんが盛んに風景を説明してくれるのですが、スペイン語のため、半分も理解できません。ホテルにチェックイン後、夕食に出掛けましたが、夜10時を過ぎていると言うのに、まだ宵の口のような賑やかさでした。

(2) セビリア大聖堂

 10日(月)から観光地巡りです。市街をブラブラ歩いて、先ずセビリア大学に行きました。ここは、歌劇「カルメン」の舞台となったタバコ工場が大学に転用されたとのことで、周囲は日本の城のように堀がありましたが、これはタバコ工場の警備を厳重にするためのものだったとのガイドブックの説明です。

 大学から少し歩くと、1929年の万国博覧会の会場となった広大なマリア・ルイサ公園があり、その中心に直径400mほどの半円形のスペイン広場があります。この広場を囲むような大きな回廊の建物が残されており、この建物は万博のスペイン館として建てられたもので、現在は官庁など公共の施設として使われているようです(厳重な警備が印象に残りました)。

 公園の南端にあるアメリカ広場まで行って、博物館に入ろうと思ったら修理中で休館だったので、公園から市街のほうに戻って、本日のメインの観光先であるセビリア大聖堂を訪れました。この聖堂は、バチカンのサン・ピエトロ大聖堂、ロンドンのセント・ポール大聖堂と共に、世界3大聖堂に数えられており、世界遺産にも登録されています。私たちは、たまたま前日、ロンドンでセント・ポール大聖堂も見学していましたので、2日間で、世界3大聖堂の2つを訪問したことになりました。

 この大聖堂は、イベリア半島を制圧したイスラム国王により12世紀にモスクとして建設されたものですが、カトリックによるレコンキスタ(国土回復運動)でイベリア半島からイスラム勢力が駆逐される中で、13世紀中葉にキリスト教徒の聖堂に転化された後、1401年に大聖堂として改修する方針が出され、15世紀(ゴシック様式)、16世紀(ルネッサンス様式)、17世紀(バロック様式)の3世紀に渡って建設が進められた、巨大な(幅83m、奥行126m、天井高37m、建物部分の総面積2万3500平方m)聖堂です。なお、鐘楼塔(96m)の下部3分の2は、モスク時代の塔(ミナレット)が使われています。

 この大聖堂に入って感じたことは、これほどまで大きな聖堂を建てたエネルギーの根源は何だったのだろうかと言うことです。この聖堂建設のためには、建築家や多くの職人と共に、多大な財力が必要だったわけですが、その財力はどこから出て来たのか。多くの信者の喜捨によるものか、国王の寄付によるものか。また、聖堂の内部は細かい漆喰細工が施されていますが、この漆喰細工の職人はどこから集められて、工事終了後はどこに行ったのか。

 レコンキスタは、元々その土地に住んでいた人達にとっては何だったのか。支配者がイスラム教徒からキリスト教徒に変わって、その土地の住人の心に何か変化が生じたのか。外から新しいグローバル・スタンダードが侵入して来て、キョトンとしていただけなのか。何だか現在の我が国と似ているな、等々です。
 なお、この大聖堂には、コロンブスの柩も安置されています。

(3) アルカーサル

 11日(火)は、最初に、15世紀にイベリア半島から追い出されるまでユダヤ教徒が住んでいた旧ユダヤ人街(サンタクルス街・・・今は土産物店が軒を並べている)を散策した後、昨日の大聖堂の横にあるアルカーサルの見学に行きました。

 「アルカーサル」と言う単語は、スペイン旅行のガイドブックの中にしばしば発見されますが、スペイン語で恐らく「国王の館・大邸宅」などの意味だと思います。ただし、今回見学したアルカーサルは「レアル(英語のロイヤル)アルカーサル」と呼ばれているように、「宮殿」と言うほうが相応しく(実際、スペイン王室の行事に使用されている)、世界遺産に登録されています。

 この宮殿も、イスラムの王様の宮殿を改修したもので、漆喰や壁画で豪華に装飾された数多くの部屋と中庭(パティオ)、それに広大な庭園から構成されており、正確な面積は分かりませんが、地図で見るとセビリア大聖堂の敷地よりも広く、歩いていて疲れるくらいです。

 このアルカーサルで感じたのは、スペインのレンガの家は案外涼しいと言うことです。これは、洞窟の涼しさと同じようなもので、特にプールのように水を湛えた部屋はヒンヤリとした感じでした。

 この日は、午後遅く一旦ホテルに戻った後、近くのショッピング・モールに買い物に行ったのですが、あまり収穫はありませんでした。その後、翌日、コルドバに行くため、スペインの新幹線の切符を買いに旅行代理店に行きましたが、夜7時でも営業しており、この点は便利でした。スペインの新幹線は料金が3クラスあり、同一日の往復切符は、帰りの運賃が3割引きの特典がありました。

(4) メスキータと旧ユダヤ人街

 12日(水)は、セビリア発バルセロナ行きの、スペインが誇る新幹線(AVE:アベ)に乗り、セビリアから約130kmの距離にあるコルドバという古都に行きました。スペインの新幹線は、出発するとイヤホンが配られ、飛行機と同じように音楽を楽しんだり、通路の天井に吊るされたテレビの音声を聞くこともできます。

 約40分でコルドバに到着しました。コルドバは、コードバン(コルドバ産のなめし革)という日本語もあるくらい有名な歴史のある町です。駅からタクシーで約15分で、本日の目的地であるメスキータに到着しました。
 メスキータは786年から建設が開始されたモスクで、以後3次に渡って増築され、最終的には2万4000平方mの広さに達しました。その後、レコンキスタに伴い、13世紀後半からキリスト教の聖堂として使われていたのですが、15世紀末から本格的にカテドラルとして改修されたものです。ここも世界遺産に登録されています。

 中に入ると、ほの暗い中、約850本と言われる2重の馬蹄形のアーチに支えられた広場が目の前に広がっています。モスクの時は、イスラム教徒がこの広場に座り、メッカの方角に向かって祈りを捧げたのでしょうが、今は、広場の真ん中には大きな礼拝堂が作られ、また四方の壁にも小さな礼拝堂が置かれて、イスラム色とカトリック色が混在した不思議な空間を創りだしています。ここでも、宗教のエネルギーの根源は何かと考え込んでしまいます。

 メスキータを出て、旧ユダヤ人街に向かいます。ここも世界遺産に登録されているのですが、細い曲がりくねった路地に古い建物が並んでいるだけなので、貴重さのほどは実感できません。この一角の革細工店で、コルドバ革のベルトを1本購入しました。この旧ユダヤ人街には、14世紀のユダヤ教会(シナゴーグ)が残っていると言うので行って見たのですが、お昼休みで入れませんでした。
 なお、セビリアにもコルドバにも旧ユダヤ人街があると言うことは、15世紀以前のスペインにはユダヤ人が多く住みつき、結構栄えていたことを思わせます。

 その後、街の土産物店を見て廻ったのですが、収穫も無く、ローマ橋と言われる年代物の橋を渡って対岸の博物館に行きましたが、ここもお昼休み。重い足を引きずって橋を戻り、コルドバのアルカーサルに行きました。ところが、入口の貼り紙には4時半まで昼休みとなっていてガックリ。もう歩き回る元気も無く、喫茶店のようなところで時間を潰し、4時半から見学しました。

 このアルカーサルは、コロンブスが、カトリック両王(カスティーリァの女王イサベラとアラゴンの王フェルディナンド)に謁見した所として有名で、庭には面会する3人の銅像がありました。しかし、アルカーサルとしては、建物はそんなに大きくはなく、逆に庭園が広く立派なものとして印象に残りました。

 このアルカーサルの見学を最後にコルドバを去ったのですが、スペインの施設の見学では、昼休みのチェックが重要であることを思い知らされた1日でした。
 また、この日はワールドカップでスペインが南アフリカと対戦する日で、昼食に入ったレストランでテレビ放送もしていたのですが、人だかりするでもなく、静かなものでした。セビリアもそうでしたが、こちらは闘牛が盛んで、サッカーは余り人気が無いのかも知れません。

(5) 帰国

 13日(木)は、午前中はスペインでの最後のショッピングに歩き回り、午後の飛行機でロンドンに戻りました。そして、14日(金)はロンドンのキューガーデン(植物園)を見学し、15日(土)夕方の飛行機でロンドンを立ち、16日(日)の午後3時すぎ、無事成田に到着しました。
 15日の昼下がりのロンドンは、ワールドカップの2次リーグでイングランドがデンマークに勝った直後だったので、それを祝う多くの人でパブは一杯でした。
                                 (以上)

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