[シリーズ投稿・枚方通信(その1)]
中・高時代の同期生の葬儀に参列して 丸中 正量
過日、神戸の中・高時代の同期生の葬儀があり、参列しました。7年前の阪神大震災で同期生が2名亡くなりましたが、その後3名の病死があり、それにもう一人加わったことになります。
・ 故人は心筋梗塞で逝去(享年62歳)。
夜独り、ソファーでテレビを見ていて心筋梗塞に襲われ、翌朝リモコンを握り締めたままの姿を奥様に発見された由。
震災の後癒えし神戸にもまたわが朋一人逝きたもう
同期生130人という少人数の中・高一気通貫の男子校だったので顔見知りですが、6年間同じクラスの経験は一度もなく、またほとんど口もきいたことのない間柄でした。長身でハンサムな彼は、神戸在住の作家の息子で文学少年かつゴン太くれ(不良)、世にスパルタと評せられる程規制の強かった学校のあらゆる枠組みを超えた存在で、短身で小心翼々の小生とは全く対極にいて、卒業後も付き合いがなかったものですから、44年ぶりに亡骸と再会したことになります。
学校時代のゴン太(型破り)ほど社会に出て活躍するといいますが、彼も、慶応卒業後日本楽器(現ヤマハ)に入社し、5年で本社の課長に抜擢されたそうです。業界で新しい割賦販売方式を導入する為に、一時ミシン販売会社に身を寄せたとも聞いています。ところが彼は、そのキャリアを投げ打って、6年目には義父(奥方)の家業で神戸のローカルな零細企業である<お菓子のコトブキ>を継ぎ、やがて同社を本格的なフランチャイズ制の販売店と地域別に自前の工場を持つ全国有数の菓子メーカーに発展させました。関連会社を立上げると共に戦後のベトナムにいち早く進出するという、今や経済界こぞってやっている東南アジアへのシフトの先駆けでもありました。
彼の商才というのか、その戦略家ぶりは男子校時代にも既にその片鱗が見えました。忘れもしない高3時の修学旅行、九州からの帰りの関西汽船の中で、売店の船酔い薬を買い占めます。彼の筋書き通りに海が荒れ、同じ修学旅行帰りで同船していた女子高生に船酔い薬を配ります。その後、わが阪急沿線・神戸六甲の男子校と京阪沿線・寝屋川香里の女子高との間に男女交際が始まりました。女子高側の父兄の訴えでこのことが露見し、全く埒外でオネンネの小生たちも、連帯責任(今から思えば理不尽な事由)で反省文を書かされました。
結婚生活38年だったとおっしゃる奥様をはじめ、ゴン太生き写しの長男以下3人のご子息とも全くの初対面でした。教会での葬儀は、参会者が終始聖堂内で坐ったまま見守る中、葬儀ミサから告別式へと続くのですが、最後の喪主挨拶では、遺族4人全員が泣きながら夫々思い思いに挨拶しました。4人の挨拶に共通していることは、「事業には厳しく、人情に厚かった父を尊敬している。あと10年生きて欲しかった」。父親が大きくした事業を、バブルの結果の負の資産も含めて、それぞれ30歳代で前触れもなく突然相続することになった息子達の「あと10年生きて欲しかった」という気持ちは、真実痛いほど分かります。男性の平均寿命の78歳迄が許されなくとも、あと10年の72歳ぐらいまではという願いは、事業主とその子息には当然の思いだったでしょう。いよいよ出棺前の家族との最後のお別れとなった時、衆目の注目の中誰憚らずの号泣が聖堂に響き渡りました。
香典をいくらにしたものか思案し、本人との馴染みのなさと年金生活者のわが身を勘案し些少の額を用意して出向いたのですが、受付で固辞され肩透かしをくらいました(そうだ、自分の時もこれを見習おう。いや、密葬のみかな)。家族、親族、地域、会社関係すべて渾然一体型の葬儀が、400名を超える参会者の規模にしては通り一遍でない、全く異例でかつ心のこもったものとなりました。忽然と逝った彼は、自分の葬儀についての遺書も筋書きも書く暇がなかったでしょうが、彼のDNAが見事に受け継がれているのを見たような気がしました。
誇るべし汝が育みし息子らを汝の商神とDNAの流れる
同じ神戸でも、大学の同期生にはサラリーマンが多く、圧倒的多数がすでにリタイアしているが、中・高の同期生には自営(家業)組、従って今なお現役が多い(その中で名が知れた全国規模の企業に、伊藤ハムとミノルタがある)。ウィークデーだったので現役組は霊柩車を見送るとそそくさと帰ってしまいましたが、少数のリタイア組は居残って、近場のレストランで献杯し、昼食をとって解散しました。
[自己紹介]
1939生 (63歳)
1958年 六甲高校卒業
1962年 神戸大学経済学部卒・日本生命入社・結婚
1996年 同社(ニッセイコンピュータ出向中)早期退職・新阿武山病院入職
2000年 同院退職・NPO法人「アジアの貧困と性虐待に悩む子どもたちを救う会」参加
現在 今年が卒業・入社・結婚とも40周年、子ども4人、孫4人
ボーイスカウト・リーダー歴30年。趣味(俳句・水彩・キーボードをこれから始めたい。)
* 約15年前から5年余り(東京勤務の時期)、「経営と情報通信」研究会会員。