「盗難記」 黒木 靖生
8月7日の朝5時半頃(少し早いようですが、通勤の関係上、これが私の起床の定時です)、家内の「門が盗まれた!」という声に起こされました。パジャマ姿のまま外に出てみると、前夜9時ごろ帰宅した時は確かにあった門扉の片方が無くなっています。慌てて着替えて門扉の構造をよく見てみますと、我が家の門扉(両開き)は、回転部を支柱に付いた棒に上から差し込む構造で、門扉を上に持ち上げれば簡単に外せるようになっています。門扉はアルミ製なので、廃品回収業者に売り払うために、誰かが盗んで行ったものと思われます。
或いは盗んだ後に心がわりしてその辺りに放置しているのではないかと、微かな期待を持って我が家の周辺を見廻ったのですが、それらしき物は見当たりません。仕方ないので朝食をとり、7時を過ぎた頃に110番に電話しました。暫くするとお巡りさんが自転車で我が家を訪れ、簡単な調書を取って行きました。
9時になったので、門扉を付け替える工事を依頼しようと、よく車で買い物に行くホームセンターに電話して事情を説明し、担当者の来訪を依頼したのですが、「今日は予定が詰まっている」とのことで、翌日来てもらうことにしました。また、門扉の片方は、押入れに敷く木製の簀の子(4分の1畳の大きさ)があったので、それを取り付けて暫く凌ぐことにしました。昔、漢文で読んだ「柴扉(雑木で作った粗末な扉の意)」を想い出し、我が「茅屋」にはふさわしい門扉と思いました。
翌日、ホームセンターの担当者が訪れ、いろいろ調査の結果、
(1)支柱に合う門扉が無いので、支柱も含めて交換しなければならない。
(2)古い支柱を取り外す工事も含めると、全体の費用は10万円弱になる。
(3)門扉の製作会社はお盆休みに入るので、工事ができるのは、8月の末頃になる、
とのことでしたが、受諾しなければどうしょうもありません。この結果、8月末まで、例の「柴扉」と付き合うことになりました。
何日か後に、隣家のご主人と話す機会があり、門扉の盗難(「柴扉」を付けていますので、いやでも目立ちます)のことが話題になりましたが、ご主人の話では、門扉の盗難を避けるコツは、
(1)門扉を支柱に「鎖」などで留める。
(2)夜は門扉に「鍵」をかける(門扉の片方だけであれば軽いので持ち去り易いが、両方だと重いので持ち去り難い)
とのことでした。
この会話まで全く気付かなかったのですが、隣家の門扉を見ると、確かに鎖で支柱に留めてありました。
8月の末に、やっと新しい門扉が完成したので、早速くだんのホームセンターに行って、自転車用の金属ロープ製の鍵を購入して、門扉を支柱に留めました。また、夜は必ず門扉に施錠するようにしました(これは、私が帰宅した時の定例の仕事になりました)。
ところで、この短文を書いたのは、曽野綾子さんの著作を読んだからです(そのため、8月の事件を10月に発表することになりました)。曽野さんが『新潮45』に毎号寄稿している「夜明けの新聞の匂い」というコラムをまとめたものが、『部族虐殺』というギョッとするタイトルで新潮文庫で出版されました。この本の中に「泥棒だらけ」という文章があり、これは、貧困国では「盗むことも生活の糧を得る手段の一つである」という悲しくとも事実である現実を描写したものですが、その文章が「日本も経済の根本が揺らげば、すぐこういう泥棒国家になるだろう」という言葉で結ばれていました。
私は、門扉が盗まれた時、家族に「日本も世知辛い国になったものだ」とグチリましたが、この盗難は、ここ数年続く我が国の不況を反映したものかも知れません。曽野さんがこの文章を書いたのは1998年7月8日ですが、曽野さんはこの頃から我が国のモラルの荒廃を予想していたのかも知れません。
(以上)