能楽見物 柳下 彊
能楽見物は、映画、音楽の鑑賞とともに、私の楽しみの一つである。そしてここ数年来は、家族(私、妻、息子)で能楽堂に行くことが多くなったので、家族共通の楽しみの一つにもなっている。能楽を時々見るようになったのは、小学校で一度だけ見せられた舞台を除くと、30代の初め頃、労演の公演「羽衣」で眠気をこらえながら舞台を見ていたところ、ほんの一瞬だったのだが、天女が本当に天に舞い上がるように見えるという経験をしたことがきっかけであった。その後、「羽衣」は何回か見たのだけれど、天女は二度と天に舞い上がることはなく、あの記憶も今となっては単なる錯覚だったのか、それとも本当に眠ってしまって見た夢だったのか、判らなくなってしまった。ただ「羽衣」は好きな曲の一つで、特に天人の「いや疑ひは人間にあり、天に偽りなきものを。」という言葉は作者と伝えられる世阿弥の理想を表現しているように感じられ、「羽衣」鑑賞の際はいつもこの言葉だけは聞き漏らさないように耳を凝らしている。
もう一つ、今も鮮やかに記憶している舞台は、10年程前に芝の増上寺で見た薪能「船弁慶」の公演である。夕刻まで降っていた雨が公演の始まる頃にはすっかりはれ上がって、薪の灯火と演者の影が舞台に映えて、これも夢のように美しい舞台であった。
こういう忘れ難い経験はまれなことであり、退屈半分の気分で帰ってくることも多いのだが、しばらくするとまた面白そうな演目を探しては、能楽堂通いを繰り返している。能楽の演者の言葉は文語体であり、特にシテの言葉は能面の下からでてくるためにこもって聞き取り難いので、毎回、見る前に謡曲原本を読んで行くことにしている。家族三人で見るときは、原本の写しをとって各自で読んで行くことになる。9月28日の土曜日に、久し振りに目黒の喜多六平太記念能楽堂に、喜多流青年能の公演を見に行った。いつもは予習としての脚本読みに不熱心な妻と息子が珍しく熱心に読んでいたようで、今回は反って私の方が一度だけ走り読みして参加することになってしまった。当日の演目は、能楽「半蔀」、「黒塚」および狂言の「痩松」などであった。
以下は、三人で公演を見て、帰宅した後、感想を話し合った会話の記録である。
私:「黒塚」の前場と、後場との間で、シテの像(前場の里女と後場の鬼女)が、よく結び付かないように思うのだけれど、どう思う?
妻:それは、鬼女が、里女に化けていて、旅人の山伏を騙そうとしたということでしょう?
私:それには違いないんだけれど、私が言っているのは、里女は、例えば山伏一行が一夜の宿を頼んだ時には、初めは断っているとか、また親切なもてなし振りとかに、善良な心がこもっているように感じられるのに、後場では恐ろしい鬼になってしまうところが、前場と後場で同一の人物としてつながらないように感じたということなんだけれど。
息子:それは、でも里女の言葉から、感じられるんじゃあないの?
例えば(読む。)、
「げに侘び人のならひほど悲しきものはよもあらじ。かかる憂き世に秋の来て、朝けの風は身にしめども胸を休むることもなく、昨日も空しく暮れぬればまどろむ夜半ぞ涙なる。あら定めなやの身上やな。」
「賎(しず)がうみその、よるまでも世渡る業こそ、物憂けれ。(浅ましや人界に生を受けながら)、かかる拙(つたな)き世に生まれ、身を苦しむる悲しさよ。」
彼女は、自分の苦しい身の上を嘆くばかりで前向きのところが何もないから、そういう面が鬼につながるんじゃあないのかな。
私:彼女(里女)の孤独な生活が、彼女を鬼にしたということかね? 後場の鬼女の演技は勿論、前場の里女の演技にも、真実味が感じられたということなんだけどね。
妻:でも、単純に鬼が阿闍梨を騙そうとしたと考えてもいいんじゃあないのかしら?
息子:そうだけど、それだけじゃあ面白味がないと思うよ。
私:「黒塚」は、比較的判りやすかったよね。「半蔀」の方はどう感じた?
息子:後場の、夕顔の霊が出てきて光源氏の思い出を語るところは、面白かったと思うよ。
私:後場で出てきた夕顔は、衣装のせいもあったかもしれないが奇麗だったね。
妻:でも能の舞は、長くてしつこいわね。夕顔の舞は、なんであんなに長いのかしら。「黒塚」の方も、鬼女を折伏するのに何故、あんなに何度も繰り返し数珠を手繰る必要があるのかしら。
私:「半蔀」の夕顔の舞は私も退屈してしまったけれど、「黒塚」の方は面白かったと思うよ。鬼が簡単に退治されてしまうのは、反ってつまらないんじゃあないかな。それと「黒塚」のラストは、太鼓も入った囃子方の音楽的効果も雰囲気を盛り上げて素晴らしかったと思うよ。
息子:そんな風に見ると、能の世界は単純だとも言えるよね。
[参考]
黒塚の主題: 安達が原の一つ家に泊った山伏が、初めはあるじの女の歓待を受けていたが、見るなと言われた閨の中をのぞいて、鬼女の罪状を知ったために、あるじの女は鬼女の本性に立ち戻って追い迫り、ついに山伏に折伏される。
半蔀の主題: 光源氏に愛された夕顔の上が、立花供養をする僧侶に現れて、年月を経ても消えやらぬ恋慕の情を舞言葉に託して表現する。女主人公が垣根の夕顔の花をなかだちとして源氏と契りを結ぶようになった楽しさが主題。(野上豊一郎氏編「註解 謡曲全集」から引用)
以 上
投稿広場 目次へ