集中とリラクセーションの共存について      
柳下 彊
 

 1991年に東京で行われた世界陸上競技大会で、100m走レースに986という当時の世界記録を樹立して優勝したカール・ルイス選手は、テレビ記者のインタビューに答えて、「身体の筋肉をリラックスさせて走ることができたので、良い結果が得られた。」という意味のことを話しました。私には、このルイス選手の言葉がとても新鮮に感じられ、さすがに「世界のトップ・レベルの運動選手は、素晴らしいことを話すものだ。」と感銘を受けたことを憶えています。極度の緊張を強いられるレースの瞬間にあって、リラックスできるという事は稀有なことのように、その時の私には感じられたのでした。

 その後、色々なスポーツ・シーンを注意して見るようになり、リラックスと集中を両立させることが競技者にとっては不可欠とも言うべき大切な要件であることを理解できるようになりました。琴錦がまだ大関候補の一人としてスピード感溢れる相撲振りを見せていた頃、横綱貴乃花を評して「横綱の相撲はゆっくりしているように見えるが、実際に対戦して見ると、一つ一つの動きが正確でとても早い。」と言ったことがあり、この言葉も、好調時の横綱貴乃花が、極度に集中しつつ精神をリラックスさせて勝負に臨んでいることを裏書しているように私には感じられます。臨床心理学を専門とする河合隼雄氏の著書「心理療法序説」の中に、次のような一節があります。

 『
(心理療法の技法には)言語的、非言語的な技法にいろいろあるとしても、そこに共通に認められるところは、何らかの意味でのリラクセーションという点にあると思われる。通常の生活において緊張している部分をリラックスさせる。しかしそれは全面的なものであってはならず、何らかの緊張と共存していなくてはならない。』
 『対面によるカウンセリングなどのときでも、カウンセラーのとるべき姿勢として緊張と緩和の適切なバランスということが大切とわかってくる。いわゆる「マジメ」とか「一所懸命」とかいう表現で示される態度ではなく、カウンセラーはリラックスしていなければならない。といって、それは単なるリラックスではなく、相当な緊張を必要とする。このような姿勢は、スポーツ、芸術などすべての技法
(art)に必要なことと言っていいのではなかろうか。』  

 臨床心理学に基礎をおくカウンセリングについて私の知識は皆無に近く、河合氏の文章の意味するところを正確に理解している自信はありませんが、クライエントの発する様々なサインを正しく受け止め適切に対応するためにカウンセラーは緊張を強いられるでしょうが、リラックスできずに緊張しているだけではそのようなサインを十分には受け止められなかったり、カウンセラーの緊張がクライエントに伝わればクライエントの方がサインすら出せなくなってしまい、カウンセリングの目的を達する事が難しいという事を河合氏は記述しているのではないかと思います。ただ私にとってこの一節が特に印象深く感じられるのは、斜体で示した一行が上述のスポーツ・シーンの解釈とも重なってよく理解できるためであり、また、私自身の日常生活の中で「集中(または緊張)とリラックスの共存」をどのようにしたら実現できるかということに関心を持っていたからでもあります。

 この点に関しては、まだ学生気分の抜けない半人前のサラリーマンだった20代の終り頃に親しい友人と一緒に読む機会のあったAldous Huxleyのエッセイ集を最近、再読したところ、次のような一節を発見しました。  

 The education of an amphibian (両性類の教育) から
In all the activities of life, from the most trivial to the most important, the secret of proficiency lies in an ability to combine two seemingly incompatible states –a state of maximum activity and a state of maximum relaxation. The fact that these incompatibles can actually coexist is due, of course, to the amphibious nature of human being. That which must be relaxed is the ego and the personal sub-conscious, that which must be active is the vegetative soul and the not-selves which lie beyond it.   The physiological and spiritual not-selves with which we are associated cannot do their work effectively until the ego and the personal subconscious learn to let go.

(生活の、最も些細な事柄から、最も重大な事柄にいたるすべての活動において、熟達に達する鍵は、一見矛盾しているように見える二つの状態、すなわち最大限の活動と、最大限のリラクセーションの状態を結びつける能力にある。この二つの相容れない状態が実際には共存できるという事実は、勿論、人類の両生類的本性による。リラックスさせるべきものは自我とその潜在意識であり、活動させるべきものは生命力とその奥に存在する自己ではないものである。我々と結びついている生理的、精神的な自己ではないものは、自我とその潜在意識がそうさせることを習い憶えないと、その仕事を効果的に行う事が出来ない。:拙訳)  

 Huxleyの言う「人類の両生類的本質」(the amphibious nature of human being)とは、人間が身体の中に精神を持つ存在として地上に棲息することを余儀なくされながら、その精神は時空を超えて、果てしのない宇宙の全体を探求しようとする欲求をも備えている両面性を持つ存在であることを言ったもので、また「自己ではないもの」(not-selves)とは、他者という意味ではなく、「意識する自己」(conscious self)や、「潜在意識」(sub-conscious)に対する言葉として使用されており、単純化すれば「意識されない自己」と言えると思います。Huxleyは、この「意識されない自己」(not-selves)を意識下の自己を構成する複数の要素として説明しており、例えば「忘れ去られた過去の記憶や習慣」、「筋肉組織、内分泌組織、循環器組織等を調整するもの(生命力)」、「インスピレーションの源となるもの」等の具体例を挙げています。このHuxleyの精妙な文章は難解ですが、私達が何か重要な事を達成しようとするときの状態を巧みに表現しているように思います。

Huxleyはこのエッセイの後半では、人間の教育において、意識を主な教育対象とする、言語を媒介とした伝統的な教育方法の他に、人間の意識下の部分(not-selves)を教育対象とし、言語を媒介としない教育方法の絶大な効果とその必要性を力説し、その具体的な教育事例も紹介しています。Huxley自身が、「今(1950年代)実際には潜在能力のわずかしか発揮していない自分がもしも(そのような教育を受けた結果)もっと高い能力を発揮していたら、どんなにか有難かったろうか!」と書いてさえいます。

 この教育方法の妥当性については、私自身は望ましいともそうでないとも判断し兼ねるのですが、少なくとも、リラクセーションと活動(activity)の共存に関して、Huxleyの言う「自己意識に余計なことをさせず、意識の(獲得した)財産を無意識に任せる。」方法―“Health is the harmony between self and not-selves. And proficiency in any field comes to those who have learned how to place the resources of their consciousness at the disposal of Unconscious.”―には強い共感を覚えるものです。

 私自身は、この問題「集中とリラクセーションの両立」ということに強い関心を持ってはいますが、実際の経験としてここに記述できるようなものは殆どないのです。ただ、困難な課題に立ち向かう場合に、その困難の度合いが大きければ大きい程、合理的な思考だけでは、問題を解決することや目的を達成することは難しいものだと思います。

そのような場合に、その問題に熱中している意識からいったん離れて、深呼吸をしたり、歩いてみたり、音楽を聴いたり、何らかの気晴らしをしたりして、その問題を忘れようとすることはよくやることです。そうしているうちに思わぬヒントを得て、解決の方向へ前進することはありますが、そのような試みが問題を必ず解決してくれるという保証もありません。ただ、難しい課題に立ち向かう場合に、自己を信ずるということは決定的に重要だと思います。自己を信じると言葉では言えても、その気持をどんな場合にも維持し続けるのは容易なことではないのですが、自分が持っているかもしれない大きい力を信じられる事ほど、困難な局面で自分を支えてくれるものはないと私は思います。自分の今の力では達成できそうもないけれど、もしかしたら達成できるかも知れない問題にぶつかったら、迷わずに、自分の力(Huxleyの言う「生命力」―vegetative soul―と「意識されない自己」―not-selves)を信じて挑戦する事を若い人には奨めたいと思います。  

[追記] この小文は、当研究会において1119日に行われた辻淳二氏による“『直感、即行動』は日本を明るくするキーワードなりや?”と題した発表に触発されて記したものである。発表内容のうち、辻氏の言われた「熟考/こだわりのすえのヒラメキ」、「自分の直感力を信じられること」、「直観力とゆとりとは深いかかわりがある」、「CIM連鎖の中心に個の自立」などのメッセージは、日頃、私が感じていた事と共鳴する点が多く、この機会に整理して置こうと思い立ったものである。尊敬する辻氏とこのような形で共感できたことは、私にとって大変楽しい体験であった。

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