[シリーズ投稿・枚方通信(その4)]
NPO法人落第の記 丸中 正量
はじめに
2月24日付朝日新聞(関西版)の社会面に、次の記事が掲載された。
「池田のNPOに優遇税制 近畿で初
認定されたのは、東南アジアを中心に児童買春をなくす活動を続ける「カスパル(アジアの児童買春阻止を訴える会)」。代表の近藤美津枝さん(67)が89年に発足させた。
全国の中学や高校など約60校を訪ね、国連へ東南アジアなどの被害を訴える手紙を書くよう呼びかけたりした。また、タイとフィリピンに子どもの救済センターや小学校、保育園、寮を計15棟建てた。
だが、近藤さんは「マニラ周辺だけでも保護が必要な子は10万人いる。小学校舎1棟建てるのに2千万円かかる。会員の援助金だけでは足りず、寄付に頼らざるを得ない」と話す。認定NPO法人になれば、個人が寄付した場合、寄付金から1万円引いた額を所得から控除できる。法人も寄付を損金扱いでき、寄付しやすい。」
http://www.asahi.com/osaka/030224d.html
NPO法人の財政自立の必要性が強調されながら、皮肉なことに、ODA資金を筆頭に「官」の資金に大幅に依存しているNPOが大半である。欧米のような寄付金に対する税制優遇制度がないのが大きな原因と言われている。この現状打開の強い世論に、国もやっと重い腰を上げて、平成13年10月以降、一定の条件をクリアした認定NPO法人への寄付金に対して、@個人の寄付金控除、A法人の損金算入、B相続ないし遺贈財産からの算入除外、を制度化した。しかし、ハードルが高いせいか、特に寄付金が総収入の三分の一以上という厳しい条件(実は障壁)のため、これまで認定法人になれたのは全国8,307団体のうちわずか10団体(「国境なき医師団日本」ほか)と、制度は開かれたが門戸は閉ざされている。
上記は、今回新たに2団体が追加され、設立15年目の古株で、
「カスパル」との出会い
私は96年、35年間勤続した生保を57歳で早期退職し、精神病院の事務長に転身した。(この経緯は、99年にこの研究会ホームページに投稿済み=精神病院の事務長に転身して)
4年間在籍した病院時代の最大の仕事は、いきなりの新病棟建設であった。わが国の経済界より先に冬の時代に突入していた病院経営にとって、医療行政に沿って入院ベッド数を減少させた上で完成後の床面積を2倍にする病棟新築計画(並びに旧病棟の改装計画)は、年収相当規模の投資を要する過大なもので、しかも、設計から建築完成に至るまでの期間がわずか1年半と短兵急過ぎる、困難な計画のように見えた。それでも、<新しい精神医療を追求するための新病棟>と説く理事長の理念と情熱に抗することが出来ず、最後はただ理事長の英断と運のつきを逃すまいという一念で、全面サポートした。結局97年5月に着工、翌98年4月に無事に竣工披露を行ったのだが、規制と許認可の世界と時間を争い、背後には利権を嗅ぎつけて群がる狼を防御しながらの突貫工事だった。いま成功の要因を問われても、「夢の実現に向かっての求心力と結束力」としか言いようがない。
カスパルの情報は、新病棟建築設計の委託先であるデザイナーO氏と、新病棟の竣工式取材に来ていてその後病院広報関係業務を委託したローカル紙の女性編集長Sさんから入手した。奇しくも、両氏はカスパルの理事だった。
その後、新築後の病院経営も計画どおり推移することを見極め、更に99年の暮には、幸いにも事務長の後任候補の採用に成功した。かくして、半年の同道引継ぎをした00年5月末、4年間の短期在職を終え、待ってましたとばかり定年退職を果たした。
「カスパル」の概要
特定非営利活動法人「アジアの児童買春阻止を訴える会」が正式名
CASPAR
(カスパル)は、「CAmpaign to Stop
the Prostitution of Asian
children and to protect their Rights」という英文名から取った略称
<小史>
89(H1)年設立 30年前から日本人男性による悪名高きセックスツアーの中で7,8歳の子どもまでが餌食になっているという買春の実態に愕然となった近藤代表は、一人で世界世論を盛り上げるための活動を開始。各国領事館、マスコミ、学校、教会、ボランティア団体を巡って協力依頼。
92(H4)年 第1回国際会議(タイ)
93(H5)年 児童買春阻止法法制化運動、野田聖子議員ほかの協力を得る
94(H6)年 会員制度(会費1口5千円以上)を設け組織化、やがて800名の会員、会報第1号発刊(以後年4回発行)
95(H7)年 フィリピン・ネグロスに保育園建設、その後タイに少女更生施設、フィリピン・マハイハイにストリートチルドレンのための少年寮、同・モンテンルパのスラム街に小学校など、これまでに計15棟を建設
国際ボランティア預金からの助成金受給開始、その後外務省の草の根支援助成金も受給開始
98(H10)年 「NPO法(特定非営利活動促進法)」施行---
99(H11)年 「児童買春・児童ポルノ禁止法(児童買春、児童ポルノに係る行為等の処罰及び保護等に関する法律)」施行、NPO特定非営利活動法人の認証を受ける
00(H12)年 丸中入職
01(H13)年 丸中退職
03(H15)年 認定NPO法人の認証を受ける
<組織>
理事長 近藤美津枝(代表、67歳)、小企業の経理を担当して定年退職した普通の主婦。 インドのカルカッタで行き倒れの人を引き取る献身的活動で生涯を終えたマザー・テレサにも似て、白髪、長身、スリムの麗人、今は辞書にもある「買春」という言葉や買春側の責任を問う法制化の端緒をつけた。フィリピンの週刊誌の特集の近藤評は、「子どもへの心根の優しい、強靭な女性」。英語ができないにも拘わらず、フィリピンで最も有名な日本人女性と言えそう。
理事 4,5人(いずれも非常勤)
専従 2人(代表を含む〜いずれも無給)
支部 フィリピン、名古屋、東京(支部といっても協力者のグループの存在、特にフィリピンには筑波大学の留学経験者の存在が大きい)
顧問 税理士、弁護士、大学の先生等、その都度専門家の力を借りることに代表は達人
<事務所>
月4万円台の古い文化住宅、6&4.5畳の畳の上にパソコン2台、輪転機1台、セコハンの机ほか
コア・スタッフとしての職務遂行
思えば、生保時代35年間のうち仙台・東京への転勤時代を除く26年間、枚方から大阪の都心に向かって南へ25kmを電車通勤した私は、4年間の病院時代には枚方から高槻までの17kmを淀川と渋滞を渡って西へマイカー通勤していたわけだが、リタイア後は皮肉にも、更に倍近い距離の西端にある池田までの30kmを3ナンバーから小回りのきく軽四輪に替えて通勤することになった。
近藤代表と経理担当の専従の2人事務所は、これまでも多くのボランティアから入れ替わり立ち代わりのサポートを受けていたようだ。安定した専従を求めてビラを配ったこともあるという話に、「風で高槻の病院まで飛ばされてきたビラを見て応募した」と冗談で応えて、私は事務所の3人目として快く受け入れられた。
新参者として、法人の現況や歴史の勉強をかねた情報整理、年4回の機関紙の編集、対外折衝、現地との連絡業務を専ら担当することとなった。英語が出来ないことを気にされ、従前は外部のボランティアにその都度翻訳その他を委託していた業務は、内部即時処理に変更した。NPOとはいえ、肩書き社会で対外折衝業務をこなすためにやはり肩書きが有効と気付き、コア・スタッフと勝手に名乗った。
圧巻は、都合3回、代表に夫々1週間程度随行したフィリピン現地訪問である。目的は、建築工事進捗状況のチェックや竣工式出席、郵政事業庁からの助成金の現地監査立会、そしてスモーキー・マウンティンでごゴミ拾いを生業とする家族やストリート・チルドレンの実態調査等である。フィリピンで有名な近藤代表を歓迎するのは、モンテンルパ市長、市庁職員、各種のボランティア団体、施設長(神父やシスターが多い)、元大学教授などで、代表の人脈の広さには目を見張らされた。
貧しいながら家族を大切にする風土、子どもたちの目の輝きを目の当たりにできる喜びは何にも換え難い。スラム街の近くでホテルとは名ばかりの、水も電気も止まる可能性のある所を定宿にするのだが、周辺の人と懇意になると、日本びいきの人が多いことに気がつく。夜が更けると、「実は、第二次世界大戦で日本の兵士に肉親を殺された」という話も出てくる。それでも、「次回の出張時には、自分の貸しベッドに無料で泊まれ」と。
このように人情に厚い英語圏で、さらに熱帯の気候は高血圧の身の体調にすこぶるよく、経済的にも為替と物価差を活かせるなど、誠に居心地がよく、つい長期滞在も厭わなくなる。
一例を列挙<1ペソ=2.2円換算>してみると、
朝刊27円、朝食(ゴートーという鳥入りおかゆ)22円、ご飯13円、夕食(3人)143円、ビール(1缶)37円、
散髪(調髪のみ)140円、ホテル(ゴキブリが出る、1泊)1760円、家賃(広さ不詳、月)17,600円
これを見ても、日常生活費は極めて安く、それに比べると、ホテルや家賃が極端に割高であることが分る。
辞任
15年前の法人スタート時、代表は、買春の悲惨な実態を世に知らせて世界世論を動かすため、まず各国元首と学生を動かすことから始めた。最初に動いたのがソ連の領事館だったというのが面白い。やがて買春阻止の法制化運動に注力し、目鼻がつくと今度は買春-売春の温床の貧困から子どもたちを救援する運動を促進する。そのドンキホーテ的な猪突猛進、そして、その都度周りに(需要側、供給側双方に)専門家やサポーターの人脈を広げるリーダシップには舌を巻くばかりである。フィリピンの週刊誌は近藤代表を、「子どもに優しい心根をもった、強靭な女性」と評した。
その強い代表も、時々弱音を漏らされることがあった。それは、この法人の継続性についてであり、まもなく70歳に届くご自分の高齢化問題と、これまで救貧活動に1億近くの資金を投じた中に2,3割は身銭を切ってきた、あとは切るものがないという本音であった。いつか、代表と私の間にこんな会話があった。
私:「気持ちは有難いがこちらにその器量と意欲がない。この法人は、あなたがすべてのチャネルをつくり、それがすべてあなたのファンであり続けている独特の法人で、代表一代限りのものだ」
途中入職で代表をサポートする私の役目は、従って、財務基盤の強化が最大のテーマであり、ピーク時800名の会員の減少防止、数少ない男性会員の増強、企業からの寄付金募集に注力することと認識した。生保の東京本部庶務課長時代に公共団体や政治団体、業界団体、その他への寄付金業務に多少関わった経験からも生易しいことではないと覚悟はしたが、時代はますます厳しくなっていた。
企業や労働組合などで、フィランソロピーといい医療・福祉・環境地域活動に積極的に参加・協力しようとする人たちにターゲットを絞り込み、効率よく効果的にアプローチする方法はないものかと思案し始めた。
その矢先だった。晴天の霹靂、往復3〜4時間かかる車通勤を精神的に辛く感じ始めた。何とも説明し難いが、代表と私の信頼関係が揺らいだとしか言いようがない。私が出状した英文の手紙をいつもは事後的に説明すればそのまま済んでいたものを、法人発足当時お世話になっていたというネイティブの大学教授に密かに検証して貰っているらしい。同様のことがさらに重なり、何か疑われ始めていると感じた。昔この法人にあった(と聞いている)一職員による寄付金振込口座の独断変更による乗っ取り事件の再来を疑われているのか。その頃から、私が過去の経緯を単純に訊ねる質問に対して、詰問と取られたのか、激しい反論となって返ってくるようになった。
このギクシャクが第三者にも目立つようになり、私を代表に紹介した理事のS編集長が、みかねて仲を取り持ってくれた。それでも、うまく運ばなかった。これが会社組織のようなものであれば、別の解決の方法をひき続き模索したと思うが、ここは幸か不幸か任意自発のNPO法人、お互いに気分を害してまでもの気持ちが働き、身を引くことにした。「半生を捧げる意気込みがたった在職1年半か」という寂寥感はぬぐい難いものがあったが。
最後に
長い駄文をお読み頂き、有難うございました。読者の皆さんには辞任した理由が判然としなかったと思いますが、結局、代表が求めていたスタッフは指示待ち型の秘書だったのに、私は頭が高く扱い難いロートル(老頭児)で、それが身の程知らずにパートナー意識まで持ってしまった・・というのが、目下の結論です。
辞任後の精神的な空洞を埋める努力を幾つかしてきましたが、今のところ、意外にも安い会員制のジム&プール通いが精神を安定してくれています。
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