サクラチル(15年桜花賞敗戦の記)       高嶋 宏尚                   

 4月になり、ファン待望のクラシック・シーズンの幕が開いた。JRAの競馬には、1年のうちに春と秋の2回、ビッグ・レースが続く時期がある。春シーズンは、4月中旬の桜花賞に始まり、皐月賞、天皇賞、NHKマイルカップ、安田記念、オークス、ダービーと、5月の末までGTレースが毎週のように行われるのである。人間が創り上げた最高の芸術品と云われ、宝石の輝きを持つサラブレッドが、緑のターフに躍動する様を思うだけで心が躍る季節でもあるし、もともと軽い財布が更に心許なくなってしまうのも毎年のことでもあるのだが。
 殊に、3歳馬達によって争われる桜花賞、皐月賞、オークス、ダービーは、本場イギリスのレース体系に範をとったもので、クラシック・レースと呼ばれている(注1)。サラブレッド達にとっても、栄冠のチャンスは3歳のこの時期ただ一度のみ。しかも未だ成長途上にある若駒達のレースでもある。心身とも未熟な少年・少女が、歴史に刻まれる栄光を賭けて、生涯ただ一度限の勝負を繰り広げる訳で、そのことだけで見るものに様々な思いをさせずにはおかないのだが、牝馬だけで争われる桜花賞は特に、満開の桜の下でレースが行われることでもあり、若い女性がもつ華やかさとともに、競走の過酷さとも相俟って、もの悲しさを感じさせるところがある。また、桜花賞史は、大波乱の歴史とも言えるほどであり、レース結果を推理することは難く、その奥行きも深く、馬券を買う上での面白さには格別のものがある。

 今年の桜花賞は、最有力候補であった2歳チャンピオンのピースオブワールドが故障してしまい、混戦模様との下馬評ではあったのだが、桜花賞トライアルのチューリップ賞で、勝負所で前が詰まる不利がありながら、馬体を立て直しゴール前で勝馬に鋭く迫ったスティルインラブの脚色は迫力十分であり、敗れてなお強しの印象が強かった。スティルインラブが2着に敗れた時「桜花賞を勝つのはこの馬だ」との思いがしたものだ。
 スティルインラブは、父がケンタッキー・ダービー馬のサンデーサイレンスであり、サンデーサイレンスの産駒は、この10年来、日本のビッグレースを総なめにしてきている。また、母の父ロベルトもイギリスのダービー馬である。「桜花賞馬」としての血統的裏付けは申し分なく、十分なスピードと先行力もあり、かつ、鋭く確かな末脚も持っている。桜花賞のレース展開にぴったりはまりそうな予感のする馬である。何より、素直な性格であり、騎手との折り合いがつき易いということも、とかく乱ペースになりがちな若駒のレースでは有力な武器である。さらに、ローテーション、体調、距離適性など、懸念される材料は全く無く、1番人気にはなりそうもないのも好材料である。雨で馬場が渋ったりしたところで、この馬は不良馬場での圧勝の実績もあり、他の馬達より有利になるばかりである。スティルインラブという名前も、いかにも女の子らしく可愛らしい。枠順が発表になる随分前から、桜花賞はスティルインラブで行く、と決めていた。37年もの間、馬券を買いつづけてきているが、レースが始まるはるか以前にこれほどの確信を持って買う馬を決められるのは何年に1回かと云うほどの、滅多にないことなのである。唯一の心配は、10年選手ではあるが未だGTレースを制したことのない幸(みゆき)騎手が、チューリップ賞のようなミスを犯してしまうことだけだと思っていた。
  
 レースの3日前に枠順の抽選が行われるのだが、スティルインラブは18頭立ての9番枠、丁度真中である。先に行くにしても、控えるにしても絶好の枠順であるし、出遅れたとしても内枠のようにつつまれる心配もない。桜花賞は阪神競馬場で行われるのだが、最初のコーナーはきつい右カーブであり、外枠の馬にはかなりな距離ロスが生じ、やはり不利なのである。スティルインラブは最外枠に入ったところで十分に勝てるとは思えるのだが、不利な条件は少ないほうがいい。枠順もスティルインラブに味方しているようである。レース直前の調教もテレビで頻繁に放映されるが、ピカピカの馬体で、脚捌きも軽快、絶好調に見えた。さらに、桜花賞の前日の10レースで幸騎手が400回目の勝鞍を挙げ、一つの区切りをつけた。と思ったら次の11レースでは人気薄の馬を巧みに操り、2着に持ってきた。幸騎手は乗れている。この勢いならチューリップ賞のようなことはあるまい。全ての流れがスティルインラブの勝利に向かって動いて行っているようである。

 さて、買う馬券である。スティルインラブは1番人気にはなりそうもないが、単勝なら3倍程度の配当であろう。これではあんまり面白くない。人気になるであろうアドマイヤグルーヴやヤマカツリリー、オースミハルカはそれぞれ弱点も持っているように見えるし、馬券的な旨味も少ない。最内枠から先行しての2着流れ込みが期待できるレイナワルツをスティルインラブの相手に選んだ。先行力と、なかなかに鋭い末脚を持っており、人気の盲点の感もある。馬連で100倍近い配当が望めるのではないかと考えたのである。騎手が、故障がなければ桜花賞最有力だった筈のピースオブワールドの主戦である福永騎手であるのも何か因縁めいたものが感じられるし、レースの直前になって隣りの2番枠の馬が出走を取り消してしまったのも、レイナワルツにとっては、スタート後2頭分のスペースで位置取りを決められることになり、有利である。
 いつも負けてばかりいる競馬で大儲けが出来る千載一遇のチャンスが来たと気合が入った。スティルインラブ、レイナワルツの馬連をまずしこたま買い込んだ。次いで、この両馬の馬単の裏表も買い込んだ。万一レイナワルツが勝ってしまうようなことになると200倍もの配当が見込めると踏んだのである。
 ただ、同じような考えの人は多かったものと見え、スティルインラブ、レイナワルツの馬連は40倍を切るオッズにまで下がってしまったのだったが、それでも的中すれば、1月からの累積赤字は軽く取り返せる程の配当が貰えたはずなのだった。その他、スティルインラブからトーホウアスカ、センターアンジェロ、ヤマニンスフィアー、チアズメッセージ、マイネヌーベルなど、しまいの脚がしっかりしていると見た9頭への組み合わせを買い込んだ。
 1番人気となったアドマイヤグルーヴは、母のエアグルーヴ、祖母ダイナカールともにオークスを制しており、かつ父はサンデーサイレンスであることから、今の日本ではこれ以上望むべくもない良血である。3戦3勝も牡馬相手に挙げており、末脚の確かさにも特筆すべきものがあるのだが、桜花賞までの臨戦過程に無理があるように思えるし、牡馬相手の3勝目は実に苦しい勝ち方だった。
 母娘3代のクラシック制覇、母も祖母も勝てなかった桜花賞制覇への夢など、やや人気が先行しているきらいもある。もしかしたら、とてつもなく強い馬である可能性もあるが、スティルインラブとの組み合わせのオッズは低く食指が動かない。これが来てしまったら諦める、ということにしたのだ。
 これで当方の準備は万全である。かなり自信がある、と思って買った馬券であっても、ファンファーレが鳴りレースが始まることになると、「大丈夫かな」と不安が胸を過ぎるのだが、このレースに限っては全くそんな心持にはならず、「絶対に的中する」との予感めいた思いが強かった。思い通りのレースとなることを確認しさえすればよい、との感じであったのだ。

 いよいよスタートである。ゲートが開かれ、一斉に17頭が飛び出した。と思ったら、1頭出遅れた馬がいる。なんと、1番人気のアドマイヤグルーヴではないか。2馬身の出遅れである。1600米、わずか1分半ほどの勝負では致命的な遅れである。スティルインラブは好スタートを切り、先頭に立ちかけたが、騎手との折り合いよく4〜5番手に控えた。スティルインラブの外ではシーイズトウショウが、騎手の抑えをきかずに行きたがって首を上げ、口を割っている。こういった状況になってしまうと、大概最後はスタミナを失って止まってしまうものだ。シーイズトウショウはどこにも来ない、と読んだ馬である。「しめしめ思った通りだ」と些かにんまりしたのである。大方の予想どおり、平均ペースでモンパルナスが逃げ、淡々とレースが進んだ。レース展開の読みが一つ違ったとすれば、内ラチ沿いに先行すると見ていたレイナワルツが中団にいることだけであった。しかし、レイナワルツは鋭く追い込むことも出来る。なんら懸念することはない。「福永焦るなよ」の心境である。
 4コーナーを回って、スティルインラブが満を持して、逃げたモンパルナスの外に並びかけてきた。前走のように、前が壁になってしまうことはもうない。これで、スティルインラブの勝利は確定的である。騎手の手綱に応えて、グイグイとモンパルナスを引き離しにかかった。モンパルナスはもうスピードが鈍っている。後は2着に誰が来てくれるかである。レイナワルツか、トーホウアスカか、センターアンジェロか。ヤマニンスフィアーやチアズメッセージなら、大万馬券だ。
 しかし、買った馬はどれも来ない。いつの間に取り付いたのか、大外から出遅れたアドマイヤグルーヴが凄い脚色で伸びて来た。最内にもぐり込んだのは、なんとなんと、騎手と折り合わず、首を挙げ口を割っていたあのシーイズトウショウではないか。予想通りスティルインラブの圧勝ではあったが、1馬身半差の2着にはシーイズトウショウが入ってしまった。アドマイヤグルーヴは出遅れが響いたと思うが、やはり並みの馬でない強さを見せ3着となった。期待のレイナワルツが先行できなかったのは、スタート後、外側の馬達が内ラチの空いたスペース目掛けて殺到し、福永騎手が大声を出しても誰も退かなかったからとのことである。翌日の新聞にコメントが掲載されていたのだが、他馬に寄られても抜け出す脚があれば良かったろうが、期待した程には力はなかったということだろうか。自分が買った馬券では、最も期待薄と考えたモンパルナスが5着に頑張ったのが最高であった。本当に馬券を当てるというのは難しいものだと思わざるを得ないし、自分の勝負弱さの見本のようなレースであった。力士の世界に「相撲に買って、勝負に負けた」との言葉があるが、今年の桜花賞では、そんな心境になったものだった。

翌週、これも満開の桜の下、中山競馬場で皐月賞が行われた。牡馬の方は有力と見られる馬全てが何らかの弱点を持っており、確たる中心馬が居ないと見られていた。5番人気ではあったが、前走、レース中の落鉄や不利があり、まともに走っていなかったザッツザプレンティから馬券を買ってみた。自信は余りなかったものの、ザッツザプレンティは相当に強い馬だと見ていたのである。人気が下がっているだけに、馬券的な妙味もある。ところがゲートが開いた瞬間、ザッツザプレンティは隣り枠のサイレントディールとぶつかってしまい、抑えが利かなくなり、逃げ馬に競りかけて行ってしまったのである。それでも実力の片鱗は見せ、4コーナーで一旦先頭に立つ場面もあったのだが、いかにも前半のレース振りは無謀であった。結局8着と大惨敗であった。小生が買った馬券は、スタートした瞬間に紙くずになったも同然の衝突事件であった。ついていないとも言えるだろうが、総じて小生の馬券はこんなものである。今年も見事に、「サクラは散った」のである。

(注1) それぞれ1000ギニ−、2000ギニ−、オークス、ダービーであり、イギリスにおいては200年を超える歴史を有している。わが国においても桜花賞、皐月賞は今年で63回を数え、伝統と格式のあるレースである。
                            (2003.4.30)

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