はじめに
現役時代は会社一辺倒の生活をし、地域のことはすべて妻任せだった片手落ちを埋め合わせ、何か地域にお役立ちする機会がないものかと意識し始めていた矢先、「社会福祉法人・
「“くらわんか(*3)”ふくしのまちづくり、プランナー市民40人募集」要項
・対 象:乳幼児家庭(親子)、小学生家庭(親子)、中学生、高校生、20歳代から70歳以上の各世代別に数名ずつ計40人
・期 間:04年1月〜05年3月まで、2ヵ月に1回程度の委員会に出席できる人(交通費支給)
・応募条件:「わたしの想う“ふくしのまちづくり”について」の作文(800字以内)提出
・締め切り:03年12月22日
・結果発表:03年12月開催の地域福祉活動計画作業委員会で選考・決定し、年内に応募者全員に通知
以上は、03年12月1日発行の「ひらかた社協だより」による。私は、60歳代5人の募集に応募したことになる。
私の応募作文
12月に入ってから、ある方の連絡で公募を知り、社会福祉協議会の組織や枚方市の福祉の現状などをあわてて学習し、課題の作文を書いて提出した。
『シニアライフの生きがいには、三つのレベルがあろう。一つは、「楽しむ」〜食事、旅などの領域(でもこの分野は慣れると飽きが来る)、二つは、「喜ぶ」〜趣味、習い事や学ぶジャンルで、学べば学ぶほど奥が深くて飽きるどころではない、三つ目は、「思いやる」とか「支えあう」〜ボランティアなど家族や地域のためお役立ちする役割発揮で、張りのある充実した生きがいを感じることができる。
時代は少子高齢化、核家族化、主婦労働(共稼ぎ)が進み、かって日本の強みであった家族共同体が弱体化し、これをカバーする地域コミュニティの役割がますます重要になっている。また、時間資源の豊かなシニア層に、この福祉づくりの推進役を買って出ることがますます期待されていると言えるのではないだろうか。
そこで、私の想う“福祉の町”づくりを箇条書きにすると、
1.お互いに顔が見え、心の通い合う、できるだけ小さな地域コミュニティを作る。
2.計画(能書)づくりに力を注ぐより具体的な実行(理論より実践)を、それも推進委員中心の実行でなく住民ぐるみの運動にするための工夫をする。そして、必ず事後の評価をする。
3.委員任せにしないため、住民の一人一役運動を起こしたい。総花的な計画より具体的で着実な全員の運動にするため、一村一品運動に学びたい。
4.行政の肥大化と赤字財政を避けるためにも、福祉サービス提供の自前化を心がける(行政は補完的役割に徹する)。またサービスの担い手に時間資源の豊かなシニア層を活用する。
5.福祉の対象はコミュニティの全員。特に社会的弱者に注力するが、外国人もこの輪の中に加えたい。
6.かって物の面では貧しかったけれど、心豊かに生きていた時代があったことを思い起こそう。大人も子供も挨拶し合い、皆で家の周りを掃除するところから始めよう。』
結局、社会福祉活動の何たるか、住民参加とはどうあるべきかについて生半可な認識のまま書いたので、応募動機中心の記述になった。800字を優に超え、学校の試験なら入り口で即アウトだろうが、果たしていかが相成りましょうか。
枚方への転入、転出、再び転入
私は1972年(S47年)、それまで新婚時代に7年間住んでいた大阪府・吹田市の千里ニュータウンからこの大阪府・枚方市へ引越して来た。両親との同居が動機である。
3世代(両親と我々夫婦と子供3人)が同居するための物件を、当初、風光明媚な兵庫県や奈良県で探し始め、結局、経済事情と親子共通の通勤の便から、大阪市のベッドタウンである枚方市で中古の一戸建物件を購入したのだった。
元々神戸っ子を自認している身として、山と海の近い神戸から離れたくない、離れても近場に住みたい、ましてや神戸から遠く淀川を渡って縁もゆかりもない東岸なぞには行きたくないという気持ちは棚上げせざるを得なくなり、已むを得ず枚方市民になった感が深い。枚方は大阪にも京都にも等距離(25km)、そして案外奈良にも近いというのがせめてもの慰めとなった。
それでも、他人が褒めてくれる3世代の枚方生活が続いた。やがて父の退職と父の4人目の孫の誕生が重なり、四六時中家にいてこの末子を猫可愛がりに可愛がる舅と嫁の間が険悪になり、名誉ある別離のため転勤を会社に願い出て、1980年(S55年)に仙台への転出が実現した。
8年間の同居が解消すると、格好の張り合いがなくなったせいか、父は翌々年病死した。私たち親子は、仙台に4年、その後東京に5年、都合2回計9年間の転勤生活を満喫して、1989年(H元年)、老母が独りで待つ枚方に舞い戻ってきた。
仙台、東京のいずれもが立ち去り難く永住したい土地となったが、結局子供たちが転勤の度毎に途中下車し、仙台には長男および次男一家、東京地区には長女一家が住み着いてくれたお陰で、夫々第2、第3の故郷として通える土地となった。
このように転勤先に後ろ髪惹かれる思いで帰ってきた枚方だったが、自宅を構えて32年、9年間の転勤時代を除くと実際には23年(当初の8年+帰ってきてからの15年)住み、今や何にも代えがたい人縁地縁ができた。大家族で通勤の便のよい近郊都市に住むという当初の趣旨がすでに失せたわけだから、最近の老後夫婦の風潮に見られる、むしろ刺激的で利便性のある都心のマンション住まいに切り替えるという考え方もあろうが、私の場合はそれを採らず、枚方が終の棲家となった。
次表は、日経新聞社から出ている「全国住民サービス番付(2003−04年)」(日本経済新聞社・日経産業消費研究所・編)が全国の675の都市と東京23区、計698自治体の住民サービス度と革新度を格付したものを参考に転載した。
|
市 |
行政サービス度 |
行政革新度 |
||||||||||||||
|
人口(万) |
総合得点 150 |
順位 |
類型 |
公共料金 20 |
高齢化対策30 |
少子化対策35 |
教育 25 |
住宅・インフラ40 |
総合(偏差値) |
順位 |
総合評価 |
透明度 |
効率化・活性化度 |
住民参加度 |
利便度 |
|
|
神戸 |
149.3 |
83.5 |
92 |
△ |
11 |
18 |
19.5 |
14.0 |
21.0 |
56.66 |
173 |
BBB |
60.51 |
52.35 |
48.57 |
56.52 |
|
吹田 |
34.7 |
84.0 |
77 |
△ |
14 |
17 |
20.5 |
14.0 |
18.5 |
61.87 |
77 |
A |
70.87 |
60.50 |
48.57 |
50.68 |
|
枚方 |
40.2 |
81.0 |
198 |
△ |
12 |
17 |
20.5 |
13.0 |
18.5 |
58.97 |
126 |
BBB |
57.41 |
61.66 |
55.83 |
50.68 |
|
仙台 |
100.0 |
80.5 |
222 |
△ |
10 |
18 |
21.0 |
13.5 |
18.0 |
67.49 |
35 |
A |
64.66 |
65.15 |
60.18 |
60.76 |
|
|
30.9 |
78.0 |
347 |
● |
9 |
18 |
20.0 |
13.0 |
18.0 |
60.38 |
95 |
A |
68.80 |
45.53 |
54.38 |
59.17 |
|
武蔵野 |
13.5 |
94.0 |
1 |
△ |
13 |
17 |
24.5 |
15.0 |
24.5 |
75.02 |
5 |
AA |
65.69 |
74.46 |
71.79 |
62.36 |
類型:○高サービス・財政良好、▲低サービス・財政良好、●低サービス・財政逼迫、△高サービス・財政逼迫
総合評価:「AAA」「AA」「A」「BBB」「BB」「B」「CCC」「CC」「C」の9段階格付
ここでは、枚方市と社会人になってから移り住んだ3都市、学生時代を過ごした神戸市、東京でバランスが取れていると評判の武蔵野市を抜き出して対比させた積りである。わが枚方市の特徴は判然としないが、全国の都市上位3割以内にランクされる健闘をしていると言える。
また、ダイアモンド社の「全国693都市ランキング(99年版)〜データを読む、ここが暮らしやすい都市だ」(日本統計センター・週刊ダイアモンド社・編)によれば、「暮らしやすさ」の観点では北陸の都市の9割が高評価を受けているのが目を惹く。
「福祉度」といい、「暮らしやすさ」といい、いずれもどの指標(客観的なデータ)を持ってくるかによって結果が変わるものでもあり、福祉活動を計画し、評価する際の目安として今後使ったらいいもののようだ。
おわりに
「応募審査結果は、12月中に本人宛に連絡する」はずのものが、目下未着である。そもそも公募の発表(12月1日)から締め切り(同月22日)までの期間が異常に短期だったことも、年度末に過度に集中しがちの道路工事を思いださせる。年代別に40人集めるという目玉の企画も難航しているのではないかと心配し始めている。
暮れの12月27日に開幕した第83回高校ラグビー大会は、51代表校が参加して、新年1月7日まで
地域福祉度の充実、福祉活動の盛り上げ、満足度の向上には、指標(福祉度データ)探しの前に、市民の理解認識や運動への参画意識、即ち地域コミュニティーの一体感醸成が大きな鍵を握るものと思うようになって、新しい年を迎えようとしている。
(注)
*1:社会福祉法人・
*2:第3次地域福祉活動計画〜「社会福祉法人・
*3:くらわんか〜東海道57次の56宿として栄えた枚方宿の発展は、参勤交代などの陸路として、また大消費地の京と天下の台所・大阪を結ぶ生活物資と人を輸送する淀川水路として発展した。行き交う三十石船は京からの下りが3時間と早いので乗船者が多く、この客を目当てに小舟で「酒くらわんか、餅くらわんか、ごんぼ汁くらわんか」と売りつけたのが「くらわんか舟」の謂れ。枚方のシンボルであり、市章となっている。
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カタカナの「ヒ」「ラ」、「方」の字で描いた図案がおわかりでしょうか。 |
[03.12.30]
追伸:
12月31日、「第3次地域福祉活動計画・ふくしのまちづくり委員の就任について」の手紙(12月29日付)が、第3次地域福祉活動計画策定委員会の委員長名で届いた。なお、ふくしのまちづくりプランナー会議(第1回)(H16.2.11)の出席案内が付いておりました。(2003.12.31)
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