[シリーズ投稿・私の読書体験から(その
)]
 

 私の好きな文章           柳下 彊

 志賀直哉の随筆で「ジイドと水戸黄門」という作品があります。作家(志賀直哉)が寝室で横になって本(ジイドの「狭き門」)を読んでいるところへ、息子の直吉がもぐりこんできて、背中合わせになって、クスクス笑いながら何かを読みはじめます。作家は気が散ってしまい、何を読んでいるのか息子に聞くと、「水戸黄門」と、上の空の返事が返ってきます。息子の夢中になって本を読む姿が如何にも面白そうで、作家は「私のジイドの比ではない、ジイドではそれ程(夢中)になれなかった」と慨嘆します。誰にも直吉のように夢中になって本に読みふけった記憶があるのではないでしょうか。以下では、直吉と共通する楽しみを私に与えてくれた作品を思い出しながら、その文章の魅力について書いて見ようと思います。  

1 三国志(三国演義)

  三国志は、中学生の頃、姉が借りて来た吉川英治の作品で初めてその魅力に触れ、その後は、岩波文庫の赤帯版を何度も繰り返して読んだ。三国志に登場する数多くの英雄・豪傑の中で最も好きなのは関羽である。魏の曹操の捕虜となった関羽が心ならずも一時期、曹操の禄を食んだ後、劉備の消息を知り、勇躍赤兎馬にまたがって脱出する場面の解放感は例えようもなく素晴らしい。また、後に赤壁の戦いに敗れて戦場から逃れようとする曹操以下の一行を待ち伏せて、討ち果たす絶好の機会を得た関羽が、曹操に受けた恩義を忘れることができずに、一行を見逃してしまう場面の描写も情誼に厚い関羽の性格を表現して余すところがなく、感動的である。後世の中国の人々が関羽の事跡を慕い、各地に関帝廟を建てて、尊崇する習俗があるのも納得できる。私も横浜の中華街を訪れて食事を済ませた後は、なるべく関帝廟にお参りするように心がけている。関羽に関してはこの他にも数多くの素晴らしい活躍場面が活写されており、また関羽以外にも豪快・粗放な張飛、勇敢・俊敏な趙雲、知略抜群の孔明、冷徹・酷薄な曹操など、魅力的または個性的な登場人物を挙げればきりがないが、ここでは三国志に登場する主要な英雄たちの殆どが世を去った後、蜀の暗愚な後主(二代皇帝)劉禅を支えて孤軍奮闘する諸葛亮孔明の活躍と、その最後について見てみたい。赤壁の戦いでの活躍に代表される三国志前半の孔明の八面六臂の活躍振りは、まさに超人的で、魅力的ではあるのだが、半面において知略や洞察力、行動が余りにも人間離れしているために、人間というよりは鬼神か、魔法使いのように見え、そのため歴史に実在した人物としての現実感が希薄になっている点が惜しまれる。孔明が蜀国の丞相として魏が支配する北方の中原への進出を目指して、先ず蜀の南部の未開地方の経営に乗り出し、南部を完全に支配下に置いた後、中原での戦闘を繰り返し、最後には志を果たす事ができず戦陣に倒れるまでの経過は、孔明の性格描写という点でも、また孔明の死後、蜀の滅亡に至る悲劇を描く点においても俄然生彩を帯びてき、三国志全巻の中でも魅力的な部分である。

兀突骨(ゴツトツコツ=南蛮軍の将軍)は四方に草や木もないと見て、さのみあわてず、逃げ道をさがさせた。と、左右の山上からたいまつをめったやたらに投げおろし、地面に落ちるや地中の導火線にもえついて、鉄の丸(たま)が飛び散り、谷間一面に火が飛びかい、藤の甲(よろい)に当るやいなや、みんなもえあがってしまう。鉄の丸がない所でも、兵糧の車が一つ残らず爆裂した。中に硫黄、焔硝などの火薬がつめてあるからで、その火花がめまぐるしく飛びかい、兀突骨をはじめ三萬の藤甲軍はだき合ったまま盤蛇谷に焼け死んだのであった。

孔明が山上より見下ろすと、蛮兵は焼かれて拳を伸ばし足をつっぱり、大半が鉄の丸に頭を打ちくだかれて谷間に死に、鼻もちならぬ臭気がただよう。孔明は『わしは国のための功とはいいながら寿命をちぢめられよう。烏戈(ウカ)国のものを一人も逃がさなんだとは』と涙にくれ、左右の将士も、いたましく感じぬものとてなかった。  

上の引用文は、孔明の南征最後の戦闘において、南国軍全軍を谷間に誘い込んだうえで地雷に似た火薬兵器を利用して皆殺しにしてしまう場面の描写である。蜀軍にとっては大勝利であったが、勝利によって得られたものは大量殺戮という思わぬ無残な結果であった。この場面は孔明と、孔明が率いる蜀の運命の暗転を暗示する印象的な箇所である。南方を安定させた孔明は休む間もなく、北方中原を支配する魏を討って漢王朝を復興するべく辛苦を重ねるが、兵糧不足、部下に人を得なかったこと、有能な好敵手司馬懿(シバイ)に阻まれるなど様々な事情から目的を達することができず、無理を重ねた結果、戦陣に病を得て倒れる。この蜀・魏の戦いにおける孔明と、魏の司馬懿仲達の間の虚虚実実の知恵比べは本書中のクライマックスであり、最高に面白いところではあるが、残念ながら長文が多くて引用できない。  

李福が辞去したあと、孔明は病体をおし、側のものに支えられながら、小車に乗って陣ごとに巡閲したが、秋風は顔より骨にとおって寒気をおぼえたから、涙を流し、歎息した。『ふたたび合戦に出て敵をうつことはできぬな。ああ「遠き蒼天よ、極みはいずこぞ。」』  

  孔明が自らの死に臨んで思わず口にした一句「遠き蒼天よ、極みはいずこぞ」は、訳注によれば詩経中の一句で、原文は「悠悠蒼天、曷其有極」とある。この一句には、先主劉備玄徳の三顧の礼に感じて、草廬を出て以来二十数年余の間、漢王朝再興という夢を追って人知の限りを尽くして戦ってきた孔明の、志半ばで去らねばならない運命に対する無量の思いが表れていて感動的である。

  三国志の背景となった時代は期限二世紀末から、三世紀初頭の時期で、日本では卑弥呼が活躍する有史以前の時代だった。明初(14世紀)に書かれたとされる三国演義は史書ではなく、創作であり、人物や事件の記述には誇張が多く、記述内容をそのまま史実と受け取ることはできないが、孔明が後主劉禅に上奏したとされる「出師表」や、正史三国史の記述などを併せて見ると、諸葛孔明が時代の水準を遥かに超える優れた知識人であったことが窺われる。

  三国演義には引用箇所のほかにも、数多くの魅力的な文章があり、また古人の知恵に満ちた言葉がちりばめられていて現代人にとっても教訓的である。例えば論語にある『小さきに忍ばざれば、大謀を乱る』という一句は、本書中随所に例話とともに出てきて、一時期の私はこれを自戒の言葉としていた。もっとも、私自身は小心のうえに気短かでもあるので、大謀と言えるほどの野心を抱いたこともなく、また小事を忍ぶべきときに忍べないことも多かったので、折角覚えた名言が戒めとして役に立つ機会はほとんどなかったのではあるが。  

2 中島敦の「李陵」

  中島敦の「李陵」を初めて読んだのはいつのことだったか思い出せない。今でも手元にとってある新潮文庫版「光と風と夢・李陵」には発行年の表示頁が欠けていて分からないのだが、多分小説類を濫読していた学生時代(昭和30年代)ではないかと思う。最初に読んだときの記憶はないのだが、読めない漢字が多くて辟易しながら読み進んだのではないかと思う。今の文庫本と違い、ルビは殆どなく、注記もない、旧かなづかいの原文によるものである。表紙は手垢で汚れ、各頁とも赤茶け、活字のインクは薄くなって読み難い古本ではあるけれど、長い間所持して、繰り返し読んできたため愛着があり、手離し難い一冊である。中島敦の作品のうち、「弟子」、「山月記」、「名人伝」などは内容を理解したかどうかは別にして、「李陵」に比べれば読みやすかったので、すぐに親しむことができたが、「李陵」に親しむのには時間がかかったために、初めて読んだときの記憶が残っていないのかも知れない。読みなれるうちに、次第に文章のリズム感、高雅な格調に魅せられるようになっていった。 

  漢の武帝の天漢二年秋九月、騎都尉・李陵は歩卒五千を率ゐ、邊塞遮虜鄣を発して北へ向った。阿爾泰山脈の東南端が戈壁沙漠に没せんとする邊の磽确たる丘陵地帯を縫って歩行すること三十日。朔風は戎衣を吹いて寒く、如何にも萬里孤軍来るの感が深い。漠北・浚稽山の麓に至って軍は漸く止營した。既に敵匈奴の勢力圏に深く進み入ってゐるのである。秋とはいっても北地のこととて、苴蓿も枯れ、楡や檉柳の葉も最早落ちつくしてゐる。木の葉どころか木そのものさへ、(宿營地の近傍を除いては)容易に見つからない程の、唯砂と岩と磧と、水の無い河床との荒涼たる風景であった。極目人煙を見ず、稀に訪れるものとては曠野に水を求める羚羊ぐらゐのものである。突兀と秋空を劃る遠山の上を高く雁の列が南へ急ぐのを見ても、しかし、将卒一同誰一人として甘い懐郷の情などを唆られるものはない。それ程に、彼等の位置は危険極まるものだったのである。  

  「李陵」冒頭の一節である。簡潔で無駄の無い客観描写の見本のような文章が美しい。しかも客観的な、写真にとったような描写によって行軍する兵卒達の内心の緊張感や、孤立感までも表現されているのが見事である。洗練された語彙の流れが創り出すリズムとイメージが、美しい音楽を聴くのにも似た快い陶酔境に私を誘う。何度も繰り返して読んだせいかも知れないが、「李陵」のどの部分を切り取ってみても、その切り取った部分が入り口になって、漢代中国の北部辺境の世界に、瞬時に入って行けるような気がする。  

  翌日、李陵韓延年速かに降れと疾呼しつゝ胡軍の最精鋭は、黄白の幟を目指して襲ひかゝった。その勢に漢軍は、次第に平地から西方の山地へと押されて行く。遂に本道から遥かに離れた山谷の間に追込まれて了った。四方の山上から敵は矢を雨の如くに注いだ。それに應戦しようにも、今や矢が完全に盡きてしまった。遮虜障を出る時各人が百本づつ携へた五十萬本の矢が悉く射盡されたのである。矢ばかりではない。全軍の刀槍矛戟の類も半ばは折れ缼けて了った。文字通り刀折れ矢盡きたのである。それでも戟を失ったものは車輻を斬って之を持ち、軍吏は尺刀を手にして防戦した。谷は奥へ進むに從って愈々狭くなる。胡卒は諸所の崖の上から大石を投下し始めた。矢よりも此の方が確實に漢軍の死傷者を増加させた。死屍と纍石とで最早前進も不可能になった。  

  私は昭和20年6歳のとき、両親とともに中国大陸から引き揚げて来て、およそ半年ほどの旅の途中で、いくつかの恐ろしい幼時の記憶があり、また戦後の惨めな貧乏生活をいやと言うほどに味わったので、その原因となった戦争と暴力は大嫌いであり、二度と戦争の体験はしたくないと思っているが、それでも上に引用した李陵の率いる漢軍と、匈奴軍の戦闘の描写には胸の躍るような感興を覚える。もちろん肉体の痛みや、飢えの感覚を伴わない文芸作品の鑑賞と、実際の戦争体験は別物であり、だからこそ、古代中国の戦争シーンを想像の世界で楽しむことができるのだろうが。

  窮地に追い詰められた李陵は、部下とともに夜半脱出行を試みるが、敵の追撃に合い最後の奮戦の後、殆ど全軍の部下を失ったうえ自身は乱戦の中で捕虜とされてしまう。

  捕虜とされた当初は、漢の将軍としての節を曲げなかった李陵は、匈奴の王單于により敬意を払われ、厚遇を受けるに従い、心を許し、單于の娘を娶り、右校王に任ぜられる。ところが、李陵が捕らわれる以前に漢の使節として匈奴に来た旧知の蘇武が同じ捕虜として捕らえられていることを知り、しかも蘇武が漢人として節を屈せずに、北海(バイカル湖)のほとりで単身生活していることを聞き李陵は複雑な思いに囚われる。  

  最初の感動が過ぎ、二日三日とたつ中に李陵の中に矢張一種のこだはりが出来てくるのをどうすることもできなかった。何を語るにつけても、己の過去と蘇武のそれとの對比が一々ひっかかってくる。蘇武は義人、自分は賣國奴とそれ程ハッキリ考へはしないけれども、森と野と水との沈黙によって多年の間鍛へ上げられた蘇武の厳しさの前には己の行為に對する唯一の辯明であった今迄のわが苦惱の如きは一溜りもなく壓倒されるのを感じない譯にいかない。それに気のせゐか、日日が立つにつれ、蘇武の己に對する態度の中に、何か富者に對する時のやうな――己の優越を知った上で相手に寛大であらうとする者の對度を感じ始めた。何處とハッキリは言へないが、どうかした拍子にひょいとさういうものものの感じられることがある。繿縷をまとうた蘇武の目の中に時として浮ぶかすかな憐愍の色を、豪奢な貂裘をまとうた右校王李陵は何よりも恐れた。

 十日ばかり滯在した後、李陵は舊友に別れて悄然と南へ去った。  

  上の引用は、蘇武に対して降服を勧告するよう單于から依頼された李陵が、やむを得ず蘇武を訪れた場面の描写である。「李陵」全文の構成は三つの章から成っており、一は李陵が遮虜鄣を出立した後、匈奴軍との激戦を繰り返した挙句、生捕りにされるまで、二は、李陵が匈奴の虜になったとの報せを受けて激怒する武帝の面前で、李陵を弁護したために帝の怒りに触れ、宮刑に処される司馬遷の屈辱と、その身を噛むような屈辱感の中で続けられる「史記」の執筆、三は虜になった李陵の胡地での生活と、蘇武との出会い、蘇武と比べて節を保持することが出来なかった自己の運命に対する悔いと苦悩が叙述されている。どの章もそれぞれに緊迫感に満ちた文体でつづられ、また三つの章を全体としてみても破綻がなく、緊密に構成されていて、全文を読み通した後は、例えばモーツァルトのピアノ協奏曲27番や、クラリネット五重奏曲の全楽章を聴き終えた後のような切実で深い感動を覚える。最終章の李陵の苦悩は、第一章で勇敢に戦い続けた武将に似合わず女々しく、また剛毅、朴訥な古代人と言うよりむしろ自意識に毒された近代人の苦悩のようにも読めるが、一方で大我慢を続ける蘇武の存在があって、また李陵は苦悩に身を焼かれる一方では、武人らしい潔さや不器用さを随所で発揮する場面が描かれているので一と三の間で主題が分裂している印象はなく、むしろ李陵の苦悩と悲哀は自然に読者に伝わってくるように思う。  

  考へることの嫌ひな彼はイライラしてくると、いつも獨り駿馬を驅って曠野に飛び出す。秋天一碧の下、嘎々と蹄の音を響かせて草原となく丘陵となく狂気の様に馬を驅けさせる。十里かぶっとばした後、馬も人も漸く疲れてくると、高原の中の小川を求めてその滸に下り、馬に飮(ミヅ)かふ。それから己は草の上に仰向けにねころんで快い疲労感にウットリと見上げる碧落の高さ、廣さ、潔さ。ああ我もと天地間の一粒子のみ、何ぞ又漢と胡とあらんやと不圖そんな氣のすることもある。一しきり休むと又馬に跨り、がむしゃらに駈けだす。終日乗り疲れ黄雲が落暉に曛ずる頃になって漸く彼は幕營に戻る。疲勞だけが彼の唯一つの救ひなのある。  

  胡地にあって独り苦悩する李陵の寂寥感や焦燥が、そういう感情とは無縁のようなリズムと明るさを持ったドライな文体の行間に漂ってくるように感じられる。中央に司馬遷の恥辱という挿話的ではあるが、重要な部分を挿んで「李陵」の前半と後半は危ういような緊張感を保って均衡するように構成されており、繰り返しになるが主題の分裂した印象はなく、後半の文章が前半に重ねられることにより、作品全体の厚みと輝きが増幅されている。私の知る限り、「李陵」は日本近代文学史上、比類のない傑作ではないかと思う。

  中島敦は短い作家活動によって「李陵」のほか、数編の傑作を遺して、昭和17年に33歳で夭折した。せめて後10年の寿命が彼に許されたら、どのような素晴らしい作品が生み出されたのだろうと想像したくなるが、彼の生きた時代は太平洋戦争の渦中(遺された主要な作品に戦争の影さえ見えないのが不思議である。)にあり、生きながらえたとしても、敗戦の混乱に遭うことになった訳で、作家活動を続けられたかどうか疑問であり、また中島敦は儒家に生まれ、その教育を受けて血肉となった深い漢学の教養と、子供のように鋭敏な感受性の両方を併せ持った奇跡のような存在だったから、そのような悪い時代を生き延びることは所詮叶わぬ夢なのかもしれない。  

3 永井荷風の「歓楽」

  荷風の描くエロスの世界を直吉君が「水戸黄門」を読むように無邪気に楽しむ訳はないが、荷風の作品の文章のやわらかな調子、東京下町の風物、正確な自然描写などにある時期から強い魅力を感じるようになり愛読するようになった。「歓楽」は、中でも好きな作品である。四十歳を少し過ぎた小説家が過去の三度の恋愛の経験を告白し、経験談に託して自己の芸術観を語るという単純な筋立ての短編である。  

  四月も末の晴れた昼過ぎ、私は文壇の先輩なる小説の大家○○○○氏と日比谷公園の若葉の小径を散歩した。年頃はもう四十歳を越して、学者や詩人にのみ見らるべき思想生活の成熟期を示す沈痛な面の表情が、うっとりとして疲れたような眼の色に和らげられて云うにいわれず優しく又懐かしく見える。血色のよい額にはまだ皺一ツなくその上に長く垂らした髪の毛は真黒であるが、風のたびたび木の葉を漏れる強い日光に照らされて、その濃い口髭には早や数えられぬほどの白髪が銀の糸の如く輝くのが目立つ。  

  これから、過去の恋愛について語り始めようとする本編の主人公「先生」の表情の描写である。ドン・ファンの表情はその性質からして、魅力的に書かれる必要があると思うのだが、この先生の表情も、浮世絵や、歌舞伎の舞台に登場しても似合いそうな、下世話に言う色男の表情である。この文章に出会った当初、「学者や詩人にのみ見らるべき思想生活の成熟期を示す沈痛な面の表情」という言葉にとらわれた私は、先生の表情を思索に疲れた知識人と解していたのだが、今この文章を見直して見ると、それよりもむしろ放恣な感情生活に倦んだ遊び人の表情を写しとったように読める。

先生の三度の恋の一度目は、看護婦に対する片恋、二度目は芸者と愛し合うが、親の反対に遭い、女と情死を約束する。しかし、「芸術の野心と云おうか現世の執着と云おうか、或は人間の単純なる本能と云おうか」そういうものに駆られて女から逃げ、自叙伝とも云うべき作品を書き上げたうえで、自身は支那の叔父の家に身を寄せる。三度目は他人に囲われている妾に一目惚れして誘惑し、逢引を重ねるが、女の方が囲われた旦那に浮気がばれて追い出され、自分()の住居に身を寄せると、途端に嫌悪の情に駆られる。  

「どうしたんです。今頃・・・・・・。」
「手紙からばれたのよ。とうとうお払箱になっちまったの、私もう宿無しよ。却てせいせいしたわ。」

 女は持前の透き通るような声で高く笑いながら、もう身も心も共に投掛けたと云う風で私の膝に寄りかかり、見上げる顔に机の上を見て、

「雨の糸は、われを今、十年の昔に・・・・・・何なの、これが小説なの。勉強して被入
(いらし)ったんでしょう。すみませんでしたね。」

私は実に譬えられない絶望を感じた。ランプの光は依然として静に、雨の音は依然として悲しいのに、突如としてあの美妙なる追憶の夢から、あさましい現実、汚れた畳の上に突落された私はもう永久に詩人の権能を剥奪されたような気がしたのである。  

  恋心が醒める瞬間、夢から目覚めて現実に戻される瞬間を的確に写し取った一節である。荷風の筆先は男女の心理の動きや、季節の移り変わり、東京下町の風物などの対象に焦点をぴたりと合わせた高感度のカメラのようである。また男のもとに身を寄せてきた女を眺める眼は、残酷な程、冷静である。  

  私は小菊の話をそれとなく思い返えした。小菊は死ぬ約束を水にして姿を隠してしまった私の事を今では少しも悪くは思っていない。却て有難いと思っている。あの事があったばかりに、若い人達が楽しい恋に喜び狂うのを見ても、自分の姿の老い衰えて行く今日の身をさして淋しいとも悲しいとも思わずに済むと語った。(中略)

  十八九の若い時分を顧みては、あの時分には「死ぬ」ということまでがたわいも無い冗談であった。悲哀や苦痛はつまり楽しい青春の夢を猶楽しく強く味わせる酒のようなものだと云った。そうに違いない。そうに違いない。  

  小菊は、先生が一緒に死ぬ約束をして、捨てた二度目の恋の相手である。三度目の恋の先行きに悩む先生は、女を根津の家に残して上野から浅草に向かい、浅草の町で偶然小菊と出会って食事と会話を交わす。上の引用はその会話を思い返している部分である。三度目の恋の相手と別れたいと考えている男の前に、かつて男が捨てた女が出現し、過去を責めることもなく却って「有難いと思う」と言ってくれるのだから、男にとっては真に好都合な話だとは思うが、私自身もこの文章を読むと、自分自身の不道徳性を感じる前に一種の嬉しさ、小気味良さや解放感を感じる。私がこの一節の文章から受ける真実な感じは、私が男だから感じるものなのか、女性はこの一節を読んで言葉の詐術としか感じないのかを知りたいと思う。

  伊藤整は、「歓楽」について次のように述べている。

  『荷風が「歓楽」で描いたのは、女性の解放の問題でもなく、自由な戀愛の美しさでもなかった。ただ人生から喜びだけを求める男が直面しなければならぬ我が心の矛盾と男性のエゴイスティックな淋しさであった。情感だけを味はえば、そのあと女に用はないといふ無責任な男性の獨白がその核心であった。しかし獨白はあらゆる男性の獨白であるが故に迫真の力をもって讀者に訴へた。また彼は、巷の情緒、待合の室の様子、女の風情、季節の移りかはりなどの見事な描写によってそのモチーフを美化したのである。』(日本文壇史 大逆事件前後 から)  

  およそ20年ほど前、「歓楽」の「先生」と同年輩だった私は、荷風のこの作品に出会った。労力ばかりとてつもなくかかり、効果が表れない金融システムの開発管理業務に疲れを感じていた私は、荷風の作品と境涯に強い憧れを感じた。職場のある先輩に、宴席で緩んだ気持のままに、「荷風の生き方にとても魅力を感じています。でもあんな風には生きられませんね。」と詰まらない問いかけをしてしまった。先輩は恐い顔をして「出来ないね」と答え、私は恥ずかしくて二の句がつげなかった。荷風のように生きるには、荷風のように孤独のうちに陋巷に死ぬ覚悟がなければできることではないと思う。当時の私自身の半端な気分を思い出すと、今でも恥ずかしく頭に血が上る思いがするが、ただ、ひたすら効率を追いかける生活の中で荷風の作品に出会ったのは、私にとっては幸運だったのかも知れない。効率を追うことに疲れを感じなければ、私自身は当時愛読していた司馬遼太郎や、池波正太郎の世界だけに満足していたかも知れない(決してこの二人の作家を貶めているのではないが)し、荷風に出会ってもさしたる感興を得ることもなかったかも知れない。幸か不幸か荷風の「歓楽」に出会った私の老年の楽しみの一つは、出来るかぎり多くの荷風作品に触れ、その魅力を心行くまで味わうことになりそうである。  

 もう今年も正月をとおに過ぎ、春の気配がそこここに感じられる時期になってしまいました。狭い庭の梅の木には、ほぼ満開の花が付き、毎日のように雀やひよどりが蜜を吸いにきて賑やかです。正月のすべての雑事から解放されたような気分、環境は読書にとって好都合で、この正月は、それこそほとんど何もせずに、二冊の本、R.L.スティーブンスンの「二つの薔薇」と、ビクトル・ユーゴーの「レ・ミゼラブル」を読んで過ごしました。「レ・ミゼラブル」は三が日にNHKでドラマの放映があり、面白かったので原作を読んで見ようと思い立ったのでした。夢中になって本を読んでいるうちにいつの間にか一月が過ぎ、二月になっていました。一月の間、読書を楽しんだついでに、過去の読書のうち、楽しかった記憶についてまとめて見ようと思いつき、10〜20代、20〜30代、40〜50代にそれぞれ楽しく読んだ作品について書いたものです。

 どの本も直吉君の「水戸黄門」と同様に、ただ楽しみだけのために何度も繰り返し読んだ本ですが、蓼食う虫もすきずきと言う言葉もあるので、この小文が楽しみの押付けにならないことを祈りたいと思います(2004.02.27)

《 引用した著訳書 》  

1 岩波文庫版 三国志(三国演義)(全十冊) 小川環樹、金田純一郎訳

2 新潮文庫版 光と風と夢・李陵     中島 敦 著

3 新潮文庫版 すみだ川・二人妻     永井 荷風 著
        
(うち 歓楽)  

4 講談社刊  日本文壇史 第16巻 大逆事件前後  伊藤 整 著


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