[シリーズ投稿・枚方通信(その11)]
はじめに
いつの頃からか、還暦を過ぎてからは特に、各種の同窓会会合への出席を欠かさなくなった。また、これまでの幹事任せの受身では申しわけないと思い直し、できるだけ世話役の一翼を引き受けて周年記念同窓会を挙行したり、メーリングリストの管理人やグループ・ネット連絡の世話役も買って出るなど積極的になった。この心境の変化は、一体何だろうか。時間的に余裕ができたのも一つの理由であろうが、もっと根源的なものがあるような気がしてならない。
各種同期同窓会の現状
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学校・会社 |
卒業・入社年次 |
周年記念同窓会 |
規模 |
例会 |
ネットウェア |
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@高羽小学校 |
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卒業50周年‘03年3月29日開催 |
5クラス=265名中 |
例会なし |
グルーピングでメール、メンバー16名 |
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毎年全年次の合同同窓会開催、(毎年、関東地区でも開催) |
第1〜61期性=約9000名中、約200名参加 |
毎月 約20名の出席 |
グルーピングでメール、メンバー47名 |
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卒業40周年‘02年10月10日開催 |
7学部=983名中、 |
毎月 約30名の出席 |
メーリングリスト開設、メンバー約130名 |
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C日生(本社;大阪)の同期入社 |
‘62年(S37)入社 |
入社40周年‘03年4月1・2日開催 |
入社55名中、34名参加(物故者6名) |
隔月、東西別に開催 |
メーリングリスト開設、メンバー28名 |
爾後、中・高・大の10年間(小学校を含めると11年半)、いずれも六甲山の麓で学生生活を送り、特に小・中・高に共通の友だちが多いという幸運を得た。このため、神戸・関西地区のイベントやメンバーが重なり、各種同窓会運営を合体したいほどである。
ローカルな小・中・高に打って変わって、大学はかなり交友エリアが広がったというものの、静岡、金沢以西、中国、四国、九州という特徴のあるエリアだった。その後全国区の会社に就職するが、同期入社という同窓会は番外とすべきだろうか。
さて、このように偶々同年次(さらには同地域)に育ち、肩車を組んで歩んできたわが同期同窓生の特長は、「成績は芳しくないが、それをお人好しでカバーする年次」というのが先生方や他年次の人たちの大方の評価である。同期生が@小学、A中・高、B大学〜のいずれも例外なく、母校や全学の同窓会支援を積極的にやっていることを考え合わせると、わが同期同窓の評価は全く当たっている。
さて、お互いに還暦を迎え、子育てや会社生活を終わるころ、@小学校、B大学、C会社〜の夫々で「周年記念同窓会」をやった。A中・高は、毎年東西で全年次合同の同窓会をやっていることもあって、周年記念はやっていない。
B大学は、何と卒業30周年、35周年、40周年と5年ごとにやってきており、何と次の45周年もやる心積もりである。また、@小学校を除く、ABCとも毎月(または隔月)の例会をもっている。
一堂に会すれば盛り上がり、別れ難い同窓会。しからば何時でも居ながらにして楽しめる井戸端会議をネット上で実現してはとばかり、@小学、A中・高はメールアドレスのグループ化の機能で、B大学、C会社はメーリングリストで交信している。
ところがどっこい、わが年次はメール、インターネット、ITの限界年次か。パソコンを会社で1台ずつあてがわれたのは少数派、その人たちでも退職するとちょっと教えてと頼る若者が周りにいない、まして主婦は、・・ということもあって、キーインは苦手で面倒くさがりのROM派(リードオンリーメンバー)が多く、ネット・コミュニケーションは低迷している。
お互いに顔と名前が一致しない、同期生が約1000名のB大学〜のメーリングリストは、成功すれば画期的。それ一大実験とばかり、管理人を引き受けた。当初は登録が200名にも届くかなという勢いであったが、なかなか一堂の会話は成り立ち難いところに、メールの初心者に多いマナー不足や技術不足からくる雑音が絶え間なく、脱退者が相次ぎ、目下は会合案内などの事務連絡の場に留まっている。
回想法
人は年をとると、過去を振り返り、懐かしみ、そして繰言も多くなる。1960年代にアメリカの老年精神科医のロバート・バトラーは、それまで否定的に捉えられていた老年期の繰言や回想を肯定的に再評価し、回想を促進して老年期の物忘れや痴呆の防止や改善を図ることを提唱した。この心理療法のことを回想法(Reminiscence
and Life Review)と言う。
老人が生きた年代の昔懐かしい生活用具や玩具をことさら身の回りに集めて、過去の記憶を引き出し、過去の体験を語らせることにより、脳を活性化させ、活き活きとした自分を取り戻させる療法である。
欧米諸国で始まったこの回想法は、既にわが国でも医療や介護の臨床に応用され、病院や施設などで老人個人またはグループに積極的に適用されている。痴呆や寝たきりの防止や改善による医療費の軽減が取沙汰されたり、また、保育園に併設の老人ホームの住人が園児の保母・保父役を努める報告もある。
同窓会活動は、私たちにとって格好のグループ回想法ではなかろうか。同時代に共に生きた仲間たちが、他人からの叱責や嫌悪など何の憚りもなしに、お互いの体験や思い出を分かち合うことのできる、まさしく自然の精神療法と言えそうだ。
少子高齢化社会の到来は、高齢者をかっての社会的弱者や若い世代への依存者と見做すことが許されなくなった。むしろ、積極的に社会に参加してその潜在能力を活かす生涯現役を求められている。同窓会というネットワークは、自立安寧を求めることに留まらず、主として次世代に遺産(金目でない)を継承するという観点に立ってポジティブに生産活動し、自信をもって次世代にメッセージを発信する組織でありたいと思う。
老いの再評価
現代の日本社会は、老いの意味を見失っているように見える。老いは最早マイナスのイメージしか持たず、望ましくないこと、汚らわしいこととして蔑まれる存在であるかのようだ。逆に若さは、ことのほか無条件で評価され、老いが若さに媚びることが多くなったように見受けられる。少子高齢化や情報化社会の到来がこの傾向に拍車をかけている。
「かくのごとく時々刻々われわれは熟していく、
しかしてまた時々刻々われわれは腐っていく」
fromシェイクスピアの「お気に召すまま」(小田島雄志訳)
この言葉は、人生における「時」は人を実らせもし、また朽ちさせもする、一刻一刻の「時」を大切にするようにと、シェイクスピアの登場人物の口を介して教訓をたれる場面である。私はこれを、次のような高齢者や人間存在を言い表す言葉と解したい。
「人間存在は加齢と共にその肉体は腐っていく
その精神は熟していく」
土から生まれた肉体はやがて朽ちて土に還るが、精神は熟達し続け、一時肉体に引きずられて霞がかかることがあっても、やがて真善美を目の当たりに見る幸せを享受し続ける。
私たちが生まれ来しこのかたを懐かしみ、とりわけ同窓生との再交流を求めるマインドは、この肉体が腐り土に還る恐れを払拭し、死んで実を結ぶ喜びを互いに確かめ合う人間の根源的な欲求であると思う。
終わりに〜もうひとつの同窓会
今年の3月に入って、この「経営と情報通信」研究会の会員である瀬川滋さんから突然のメールを頂戴した。「ひょっとしたら、中・高の先輩ではいらっしゃいませんか」と。私の当研究会への最初の投稿(2002年9月号)を読んで頂いたらしい。慌ててHP上で瀬川さんの作品を追いかけると、激務のビジネスマンの傍ら、36年かかって1997年(H9年)に百名山を完登され、引き続く二百名山もすでに150近くクリアされているツワモノで、HPの表紙を飾る山や花の写真を頻繁に投稿されているロマン派とお見受けした。
神戸・六甲の男子校で中・高一貫校の、瀬川さんは20期生、15期生の私とは5年違いだから、瀬川さんが中1のときに私が高3.。
在校時に相見えるチャンスはなかったが、辻さんの研究会のご縁で繋がっている同窓とお聞きしたからにはぜひお会いしたい。IT業界の社長をされている御身、年度末の決算業務を終えてからと約束し、1ヶ月ばかり待って4月末にお目にかかった。予めお見合い写真をメールで交換したこともあって、京阪沿線
小柄だが精悍な山男だった。学生時代の山岳部経験はなく、社会人になってからの山男と伺ったが、背後に母校のスパルタ教育の痕跡を観た。六甲山の麓の学校に通うのにきつい坂道を毎朝30分山登り、午前中の2、3時限の間に中間体操と称して全校生揃って(厳冬の冬も)上半身裸になって運動場をひたすら走る教科(狂科)、パンツひとつになってやらされる便所当番など、ミッションスクールの趣旨とはまるで関係のない軍事教練と思しきスパルタ教育が、確かに山男、瀬川さんの下地になっていることを感じた。
辻さんの同士(ご本人は、辻スクールの学徒と自称)だけあり、アカデミズムを兼ね備えたビジネスマンでかつ座興の名手、会見の時間はあっという間に過ぎ去り、通勤帰りの時間を3時間も費やして、またの再会を期待してお別れした。
(04年5月31日記)