[シリーズ投稿・枚方通信(その
13)]
 

 冬支度を急ぐ    丸中 正量


 はじめに
 

遂にわが家でも、介護に明け暮れる毎日が始まった。同居している89歳の母が道端で倒れ(930日)、腰椎の圧迫骨折で入院したが、3週間の療養が終わると、即、退院(1021日)を通告され、以後自宅での介護生活を勧告されたためである。

毎朝リュックを背負ってゲートボールに通う母の姿は、結構この地域の人たちに知られ、本人は、皆さんが「足腰が強いね」と褒めてくださるのがとても嬉しく、誇りにしていた。骨を丈夫にするためと称して牛乳を日に4合を欠かさず飲むなど、ゲートボールのために生きて来たようなものだ。“おさんどん”のために家内は家を空けることができなかったが、それ以外は全く手のかからない同居人は、われわれ夫婦にとって長らく有難い存在だったので、突然こんな形で“介護”がわが家を訪れようとは思わなかった。

 母を受け入れるために、畳の部屋をあわてて整理し、病院仕様に近い電動ベッドをレンタルすることにした。搬入を退院の前日(1020日)と決めていたが、その日は丁度、台風23号の近畿地方通過にぶち当たり、まさに風雲急を告げる日となった。


 前哨戦 〜ひざの油切れと痴呆症の進行  

母のゲートボールは、今から約20年前、同じ歳の父が胆管ガンと脳梗塞との闘病後、‘82年、67歳で死別したあと、心に空いた穴を埋めようと慮って下さった近所の人のお誘いで始めたものであった。忽ち腕前を上げて何度も団体優勝する選手として起用されるほか、公式試合の審判資格も取得するなど、唯一といってもいい生きがいとなっていた。

それが、今年(2004年)に入った頃から何となく様子が変わってきた。新年を祝うお膳がすんで、掘りごたつ式の食卓から立ち上がろうとした時、バランスを崩して仰向けにひっくり返った。この時はてっきり酒量の行き過ぎと思い、爾来、グラス1杯のウィスキーの晩酌をカンビール1缶に減らした。しかし、家の中での尻もち事件はその後も続き、アルコールのせいではなく足腰が急に弱くなったことが分かった。

また、対外試合のため遠隔地の会場へ出かけるのに、2時間も早く現地に到着しても平然としているのは、幼児の無邪気さに還ったものとつい気を許していたが、間もなく、試合開始時間になっても着いていないという連絡が入るようになった。家はとっくに早出をしているのでおかしいと家内が探りを入れると、乗継のバスの路線を間違えたらしい。目の前に到着したバスに、行き先に無頓着に乗車し、あらぬ方向に出向いたことが判明した。帰ってきた時は、どこかで転んで頭に瘤をつくっていた。どうやら仲間内から疎まれ始めたらしいことを遅まきながら察知した家内が、同好会の代表の方に密かに連絡をとると、練習日の参加は問題ないが、公式試合には遠慮して欲しいと言われてしまった。

この頃から、カレンダーの日時の観念や行き先場所についての感覚が大幅に狂い始めたように思える。待ち合わせ場所と時間のすっぽかしを喰らった母の友人から電話を貰って慌てて出動し、行方不明になった母を共々捜索していただいたこともある。それ以来、行き慣れた特定の箇所以外への外出時にはできるだけ同道するよう改めた。とみに痴呆が進み、まだらボケ状態になったのは明かだった。

「家の中でゲートボール用の手袋が再々無くなって困る」と家内に何度もぼやいては、一緒に探すのを手伝うと奥深く仕舞いこんだ所から出てくるのを繰り返していた。ある日、家内の外出時を狙って、大事な公式審判資格証がなくなったと私に告げ口をしに来た。お金が無くなると言っては家族までも疑うという、よく聞くパターンの症状がいよいよわが家にも来たなと痛感した。その時は、それでも痴呆は頭脳の病気であり、痴呆症に伴う言動は当人の人格、或いは責任感や倫理意識の欠如から来る行為では決してないということも内心再確認した上で、意を決して、生まれて初めて、親の理不尽を咎め説教を垂れた。それは、かなり効き目があったと思える。以後、その手の愚痴はキッパリとまったからである。アルツハイマーの奥さんを介護している知人が、あるとき奥さんの理不尽さを諌めてお尻をぶったら好転したという経験談を直接聞いたことを思い出し、応用実行したことになる。

本人は決して言わないが、その後も再々道で転んだらしい。ランニング中の学生に足を引っ掛けられて転んで左ひざを打撲した時は、さすがに隠しきれずに近所のW整形外科クリニックに罹った。溜まった水抜きで通院を重ねるうちに、先生が母の異常に気がつき、付き添いの家内の同意を取った上で痴呆度テスト(長谷川式簡易知能評価スケール*)を行った。初期の痴呆症状態だが、痴呆症の新薬「アリセプト」を処方して貰うことにした。これまで知らなかったが、日本人が開発した画期的な新薬で、アメリカではミラクルと呼ばれるくらいアルツハイマー型の痴呆症に効果があり、痴呆はこれまでどちらかといえば介護や看護の世界に委ねられていたものを医療の世界に引き戻す貢献をしたと言われている。飲み始めの頃、わが母もその恩恵に浴する兆しも見えたが、残念ながらボケ防止薬というので抵抗し、目下、拒薬している。                                                    *長谷川式簡易知能評価スケール http://www.okayama.med.or.jp/okayama/hitokuch/kanri/kanri13b.htm


 3週間の入院  

9月末日の午前中のゲートボールを終え、徒歩20分弱のいつもの帰り道の途中で転んだらしい。腰痛のため途中のスーパーのソファに半時間位だろうか休憩して、それでも自力で帰宅した。いつもとは様子が違う母に気付き、あわてて掛かりつけのW医院に連れ込んだ。診断結果は即入院で、ベッドのある近所の総合病院〜S病院への紹介状を貰って、即日入院をした。

S病院とは、自宅から500m位の至近距離にある総合病院で、不肖この私も今年6月初、下血による失神のため救急車で搬入され、入院した病院である。(当研究会<投稿広場>・049月号「大事の前の不覚」)

経過は順調で、身体の他の部位も検査をしたが異常がなく、1週間過ぎた頃には注文したコルセットが早や完成し、待ってましたとばかりにリハビリを開始したかと思ったら、退院の運びとなった。医療にも、クリティカル・パスという最短期間・最低コストでの治癒を目指す目標管理制度が導入されたようだ。母は、治療のフェーズは終了し、後は日常生活に復帰するための介護のフェーズに入ったと見なされたのであろう。

最近の介護保険の状況に付き何かと見聞する機会があり、早めに介護申請の手続きを病院に相談した。かって精神病院に配置されたソーシャルワーカーという専門要員の存在を事務長として頼もしく思った実体験を有する者であるが、S病院にも地域医療室という組織に、退院後のリハビリと介護につき<病院―家庭―施設>間の調整支援をするソーシャルワーカーが配置されていた。ケアマネジャー資格保有者もいて、患者並びに家族にとって希望と趣旨を述べるだけで、すべての調整と行政への申請手続きが代行される仕組みは何よりも有難かった。母の介護認定のための面接が、<ケア・マネ+ドクター+看護師>間だったろうか、いつの間にか済んで、下表のような結果報告を得た。 枚方市 の介護認定審査会による認定は申請後1ヵ月を要するが、「要介護12のレベル相当」という見通しまで説明を受けた。このレベル認定が下りれば介護保険サービスが受けられ、介護にかかる直接費用の1割負担で済むこと、また認定前に遡って適用されると聞くに及び、自宅の介護装備を迅速果敢に決定できた。

リハビリテーション総合実施計画書(一部転載)

区分

内容

自立

一部介助

全介助

寝返り

 

 

起き上がり

 

 

座位

 

 

立ち上がり

 

 

立位

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

動 

ADL*  (BI)

自立

一部介助

全介助

食事

10

5

0

移乗(座れるが移れない

15

5

0

整容

5

0

0

トイレ動作

10

5

0

入浴

5

0

0

平地歩行(車椅子操作が可能)

15

5

0

階段

10

5

0

更衣

10

5

0

排便管理

10

5

0

排尿管理

10

5

0

合計(0100点)

 

35

 

ADL (Ability of Daily Life)

要介護度

要介護度

概要

自立

非該当

要介護

社会的支援を要する状態

要介護1

部分的な介護を要する状態

要介護2

軽度の介護を要する状態

要介護3

中等度の介護を要する状態

要介護4

重度の介護を要する状態

要介護5

最重度の介護を要する状態


 退院と家庭介護

 変な言い草だが、母の3週間の入院期間は、家内にとって常に母優先の“おさんどん”から解放される格好の休息期間になるはずだった。ところが、前々からわが娘が昨年暮に出産して10ヶ月になる孫(母にとって曾孫)を連れて2週間の里帰りの予約をしていたので、結局、BABAにとっては新米・母子の“おさんどん”と育児コーチに取って代わった次第。JIJIには至福の2週間だったが、それも瞬く間に終わると直ぐ母受け入れの準備に入った。

経済的には介護サービスが受けられそうだというのが何より心強いが、かりにそうならなくても母にとって明るく快適で、介助する側も悔いのない精一杯気の効いた生活環境作りのためには今までのように費用を惜しむことなく思い切る、という方針を夫婦で申し合わせた。

病室並みとは中々行き難いが、それを目標に、病院に準じた電動ベッド(レンタル)を搬入し、トイレ、風呂、玄関のそれぞれと廊下に手摺をつける工事を手配した。母の8畳の和室のたんすや机を放り出す犠牲を払ってベッドを部屋に入れたことは、大正解となった。腰にコルセットをつけたまま仰臥し、腰の痛みや疲れを回避するために寝る姿勢を自分で自由にコントロールするにはフラットの布団では不可能であり、また、ベッドの上で食事その他の生活をするためには、オーバーブリッジ型でコロがついた移動自由の机が威力を発揮することが分かった。介助者側も立位、中腰、膝付きと姿勢を自由に選択しながら介助作業ができるのが何よりのメリットであり、ベッド選択で89割方の問題解決と言えそうだ。                
 次にテレビ。入院中もそうだったが、退院後の生活時間もテレビのつけっ放しとなるようだ。仰臥したままテレビを見るためには、液晶テレビの天井貼り付けに如くものはないので、デジタルのテーマ込みで検討しよう。    

室内に置いたポータブル・トイレの使用を嫌がり、どうしても家人の肩を借りてトイレに通おうとする。このため、あわててワイアレスのナースコール・システムを購入したが、要所要所の手摺が実現した暁には、役免となるかも知れない。なお又、浴室に手摺や椅子その他の用具を装備するまでは入浴介助ができないので、デイケアに週2回通所することになった。今回の一連の事件が起こる前には「あんな所に入れられたら殺されてしまう」と言っていたらしい母が、意外にも通所を喜んでいる様子である。従って、本人の息抜きに併せ、家内の休息タイムを確保するためにも続行かなと考え始めている。

終わりに

 泥縄式で準備した家庭介護の生活が10日余り経過した。滑り出しとしてはよしとしよう。「如何に有能な奥方でも、ストレスの蓄積を心配する。細く長い平和を保つためには、家事分担の見直しも必要だよ」とは友人のアドバイス。目下は、山のような洗濯物がすんだと思った途端に新たな洗濯物が追いかけてくる毎日にもめげず、事ある毎に母をあやし褒め上げながらADL (Ability of Daily Life)を押し上げようとしてくれている。その役は代われないが、掃除、洗濯から代わろうと決心した。

母は相変わらず、痴呆新薬については拒薬をしている。もう少し謙虚さが欲しい局面と、幼子の如く小さく可愛らしくなった両面を併せ持つ。母と私は丁度二回り違いの同じ卯年で、24歳離れた母子だが、こちらも65歳の高齢者入りを果たし、家内からは同じDNAを共有する、2,3歳違いの姉弟と見えてもおかしくない年代になった。明日はわが身と思って、姉の面倒を見ようと思う。(20041031日記)

 
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