辻 淳二

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昨年夏に母が亡くなり、その前年に兄が先に亡くなっていたことから、杉並区にあった実家が空き家になってしまった。数年前には思いもしなかった「後をどうするか」という課題が私を年長とする3人の兄弟の預かり案件となった。一家の求心力となる場だし、「活かす道はないか考えよう」ということにしたが、名案は出なかった。3人とも都下や千葉県に住んでいて、都内に関心はあっても現住所の方に馴染みが深くなっているからである。 4ケ月くらい経って、「折角二人が建てた家だけど、売るしかないな」と腹をくくった。幸いにも、中央線沿線の手頃な家ということで、買い手さんは呆気ない程すぐに決まった。そして、「実家の家財をきれいに片付ける明け渡し大作戦」を3ケ月余りで完了すべく、3家族の共同作業が始まった。最初の課題は、「空き家になっている家に風を通し、呼吸をさせてあげること」だった。これには、私の次女が「自分が売れるまで移り住む」とサッと手を挙げた。「都内に住んで見たい」「独り暮らしをして見たい」というちょっとした夢を叶えると共に、仏壇の花や線香を絶やさないことや家財の廃棄処分をこまめに進る前線役を託することで相互の意味付けができ、その後彼女は一連の経過の中で貴重な役割を果たすことになった。 今年に入って最初の一月は、兄弟の間で、仏壇や大きな家財をどうするかの方向を決めることに費やした。買い主さんに見て貰って、本棚などの一部の家具類を使って頂けることになったこともあって、程なく大物の処理のメドは立った。そして、家分まるごとあった「中小の家財」の処理へと局面を進めた。その過程で、節々に「ちょっとした感動場面」があって、手間暇は掛かったがそれなりの手応えのある体験となった。自分の思い出になった場面をいくつか記そう。 [その一] 2人の娘が手伝ってくれた2月初めの休日、台所の食器戸棚の中に一式デンとある食器類を玄関先に並べてみようということになった。そして、先ずスペースさえあったら自分たちでも使いたいと思う「魅力ある食器類」から、ガレージセールよろしく玄関先に並べ、「自由にお持ち下さい」と張り紙をした。するとどうだろう。品物を出し体裁良く並べる役を買って出た娘たちが、散歩などで通りすがる人たちが屈み込んで選んでは持ち帰ってくれるのを面白がって、「また、なくなった」「また、人が来た」と嬉々として中に報告に来るような結果となった。近所の人らしい人が「あのおばあちゃんが使っておられたものなら大事に使っておられただろう」と言いながら持ち帰ったという話も、ちょっと心に染みた。そして、当初は「これは持ってって貰えないな」と引っ込めていたものも全部出して、一時他の用事のために皆で出かけた。その夜、用事を終えて、「残った食器類を部屋の中に戻そう」と思って実家に立ち戻ったら、1、2点のものがあるだけで、きれいになくなっていた。これに元気付けられて、引き取り手がなかった冷蔵庫や洗濯機などから、母が愛用していた座椅子、さまざまな飾りもの/工具類/文房具まで、毎週末に全部で6回に渡って次々と出した。それも、私などはついがさつに並べがちだが、女たちは見栄えがいいようにうまく並べ、都度そこそこの品揃えになった。これらはさすがに、出す傍からとはいかなかったが、それでも昼食に一時外出した間に気持ち良いくらいきれいに捌けて行くということが続いた。その他に衣類がかなりの量あったが、肩身として一部を持ち合った後、家内が知っていた多摩市のリサイクルの仕組みに委ね、使って頂ける可能性に繋いだ。その結果、都の大型廃棄物処理サービスに頼ったのは大型の食器戸棚一つと、布団13枚だけになった。 [その二] やや思い通りといかなかったのは、兄が持っていた蔵書の始末だった。長年翻訳を業としていたことから米欧の多国語と日本語の間の辞書類や百科事典、様々な専門分野ごとの辞典などが大量にあって、いまあらためて揃えたら数百万はかかるだろう書籍が7つくらいあった本棚にズシリと場を占めていた。「これは、人に恵まれれば結構の価値がある筈」と考え、先ず、神保町の古本屋街に出かけ、その向きの店と思しき所に「実物を見てくれないか」と頼んだ。しかし、「使って古くなったものは売れないのですよ」とのツレナイ返事。仕方なく、近くで見に来てくれる所を探すことにした。最初に来てくれた古本屋は、やはり兄の蔵書の特徴だった部分には興味を示さなかった。やむなく、「持っていってもいいと思うのを引き出していい」と言ったら、文学書や写真集、新書版などを中心に80冊くらいを抜き出した。「なるほど、目を付けるのはこの辺なのだな」とプロの目を感じさせる選び方だった。そして、「5千円で引き取ります」と言った。兄貴を悲しませそうな言い値だったが、些細な値決め交渉をしても詮無いことと、売ることにした。多分、先方には「おいしい買い物」だったろう。当方には確たる心構えもなく、明らかに相手が上手だった。そして、どうやら売れそうもない書籍がドサリと残った。その後、もう一度娘が粘りを発揮して、近所の古本屋に来て貰った。この人も、同じような選択眼で50冊ほどを選び、3千円で買ってくれた。彼の方が、商売っ気は少なかったようだ。これで、すべてを割り切り、後は適当に束ねて多数の塊を作り、杉並区の廃棄物処理の流れに乗せることにした。合わせて8、000円の収入は、当日の整理作業の疲れを癒す「飲み会」の費用として使ってしまった。兄は天国で苦笑しているかも知れないが、「雑に処理したのではない」ということで許して貰おうと思っている。 [その三] 引き渡しの日が近くなった3月の上旬、長年お世話になったご近所の知り合いのお店やお宅に挨拶に行った。母たちは45年近く住んだ町で、常連のお客だった魚屋/八百屋/ソバ屋/米屋さんの店先で、思い出話がしばし弾んだ。その中で、暖かい日差しに老犬が気持ち良さそうに寝そべっている家があり、「母も、こののびやかさでもうしばらく生きられたら・・」とフト思いを馳せるひとときになった。 [その四] あらかたの後始末が終わった3月半ば、最後に残していた「実家に折々に3家族が届けた写真の集まり」を仕分けて、それぞれ自分の家の関連のものを持ち帰ることにした。そうしたら期せずして、各家族の結婚式の時のものから、子どもが生まれ成長して今に至る「母を中心とするファミリー」(父は、私の結婚の前に亡くなっていた)の記録がイメージ的に再現されることとなった。1,000枚近くあった写真を手渡しで見合いながら、主に女性陣が「まあ可愛い」とか「ああ何て不細工」とか、自分や親族の写真に感嘆の声を上げるひとときが続いた。それは図らずも、大明け渡し作戦に力を合わせて来た3家族が、最後に肩の力を抜いて交流しあう「感動のシーン」となった。 引き渡しの前日、最後の掃除や公共機関との一連の手続き、買い主さんにお渡しする書類の整理などのために、何十年ぶりかでアメ横で買った寝袋を持ち込んで実家に泊まった。そして翌日、3家族が揃って立ち会って、買い手さんご家族への引き渡しを無事に完了した。振り返って、心置きなく時間をかけられて、さほどの山谷もなく進めることができた「3家族共同のプロジェクト」だったと思う。ただ、終わったその日の、肩の荷を下ろした「脱力感」はかなりのものだった。 [99年4月17日] |