言葉の虚飾          黒木 靖生

 

先日、勤務先からの帰途に乗ったバスの運転手さんが、「降車の合図がありませんので、次の停留所は通過させていただきます」と車内にアナウンスしたのに、奇妙な違和感が残りました。この「○○させていただきます」という表現は、民主党の党首だった頃の鳩山さんがテレビのインタビューを受けた時によく使っていたので、おそらく5〜6年前から耳にするようになったのではないかと思いますが、現在では至る所で聞いたり見たりすることができます。会社でも、私の部下が書いてきた社内通達文書の中にこの表現が出てきたので、あわてて添削したこともありました。  

 「○○させていただきます」という表現は、私の感覚では「丁寧」とか「謙譲」の気持ちを表すものです。しかし、先のバスの運転手さんの例では、「次の停留所は通過します」とアナウンスしても、乗客は誰も「失礼な運転手」だとは思わないでしょう。また、鳩山さんは、「国会議員は国民の公僕だから、主権者である国民に向かって話す時は謙譲の気持ちを込めるべき」との信念からあのような表現をお使いになっているのかも知れませんが、私は「政治家たるもの、リーダシップを発揮しているがごとき表現をすべき」と思います。  

 何故、このような表現を好んで使うようになったのでしょうか。「○○させていただきます」と言っても「○○します」と言っても、行為者にとって「すること(行為)」は同じです。ただ、前者の表現には、「自分としては、こんなにへり下っているのだから、私の行為に何か不都合なことがあっても許して下さい」とでも言うようなニュアンスが含まれているような気もします。そして、「○○させていただきます」という表現が適する場合も確かに存在します。しかし、ほんのちょっとした行為に「○○させていただきます」と言うのは「大げさ(言葉の虚飾)」ではないかと思います。  

 また、病院においても、相当前から「患者さま」という表現を使っているようです。私などは、「患者さま」と呼ばれるよりも「患者さん」と呼ばれるほうが親しみを感じて好きです。この表現に変えた思いはおそらく、病院間の過当競争を勝ち抜くために、「病院の中の主人公は患者」で「患者あっての病院」という意識を、病院の医師や看護士あるいは事務職員に植え付けるためであろうと思いますが、私には行きすぎのような気がします。また、言葉の上だけで「患者さま」と言って、医療行為そのものが旧態依然であれば、何の効果もありません。「患者さま」という言葉を徹底させるよりも、病院の医療行為の質を高める努力をするほうが「患者に選ばれる病院になる王道」ではないでしょうか。  

 どうも、最近の日本語は、言葉の「虚飾」に向かいつつあるようです。[05.1.30


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