[シリーズ投稿・枚方通信(その
4)]
 

 枚方の小さな戦士たち啓光学園高校ラガーたちの活躍   丸中 正量


 はじめに
  

枚方市 にある啓光学園(注1が、第84回全国高校ラグビー大会(代表51校)で優勝し、全国875校の頂点に立った。通算6度目、そして戦後初の4年連続優勝という偉業である。119日、 枚方市 で優勝パレードと祝勝会が行われ、市長から4回目の「 枚方市 民スポーツ賞」を授与された。

元々ラグビー音痴のわが身ながら、同校が 枚方市 にある中高一貫のミッションスクールであるという理由だけで同校のロイヤルブルーのジャージを追いかけ始めた。毎年暮から正月にかけて近鉄花園ラグビー場( 東大阪市 )で開催される全国大会に詰めて4年になるので、計らずもこの間の4連覇と凱旋パレードに全部立ち会う光栄を得た。毎年部員が入れ替わる高校スポーツにあっては連覇というその偉業振りが目立ち、異業(異様)と揶揄する人さえいる。啓光ラグビーの魅力を探りたい所以である。

花園ラグビー場、ロイヤルブルーの旋風(05.01.09    枚方市 での祝勝会(05.01.19
   

84回(2004年度)全国大会優勝の経緯

今大会は啓光学園フィフティーンにとって例年と大きく異なった。

それは、同校の生え抜きで保健体育科教諭でラグビー部を30年間育てて来た名物監督・記虎敏和氏(52(注2が、2004年春、龍谷大監督に転出し、教え子で同じ保健体育科教諭の杉本誠二郎・新監督(33(注2に交代したことである。共に選手から指導者へと歩んだ生え抜き同士のバトンタッチは見事だが、若い新監督にいきなりかかる4連覇という重圧は察するに余りある。柔和、謙虚、沈着冷静な好青年である新監督は、何事にも物怖じしないタイプのようだが、百戦錬磨で全国大会3連覇、通算5度目の優勝実績をもつ重量級の前監督に比し、この下で4年のコーチ経験しかない新監督はいかにも軽量級の感が拭えない。「よし、4連覇だ」という手ごたえより、「それはないな」という一般の下馬評が勝っていたのはやむを得なかった。

これまで3連覇を許してきた他校の4連覇を阻まんとする執念の包囲網が取り巻く中で、これほどにまで因縁の対決のドラマが待ち伏せようとは蓋を開けるまでは誰しも想像できなかった。

日    程

対  戦  結  果

概       況

1回戦

20041227/28

<試合なし>

 シード校のため

2回戦

20041230

啓光学園(大阪第345 6 報徳学園(兵庫)

啓光らしい鋭いタックルと組織的な防御で報徳をノートライ(報徳は2PGの6点のみ)に抑える反面、攻撃面では前後半で計6トライをあげた。危なげなく初戦を突破

3回戦

200511

啓光学園(大阪第31412  大分舞鶴(大分)

2004年の決勝戦と同じカード。その際零封負けして雪辱を期す強敵。キックオフ直後から両チームとも激しいタックルを見せ、一進一退の攻防。
後半に啓光がまずトライをとり、勝負が決まったかに思えたが、大分舞鶴も終了間際にトライを取り返しノーサイド。トライ数では同数であったがゴールキックの差による啓光の薄氷の勝利。(結果的には、これが事実上の優勝戦だったと言えまいか。)

準々決勝

200513

啓光学園(大阪第31712  東福岡(福岡)

03年と02年の決勝戦と同じカード。試合開始早々東福岡が効果的なキックとサインプレーで先制。啓光は防御の強さで徐々に盛り返し、2トライを返して前半を終了。後半はラインアウトで優勢に立つ東福岡がよく攻め、1トライは取ったが啓光は1チャンスで突き放した。その後は東福岡が再三啓光ゴールに迫るも、持ち前の鉄壁の防御で凌ぎ切りまたも接戦をものにした。負けてもおかしくなかったが、啓光のここ一番の集中力がモノをいった、これまたヒヤヒヤの勝利。

準決勝

200515

啓光学園(大阪第33822  正智深谷(埼玉)

前半で風上に立った啓光がテンポよく5トライをあげ、優位に試合を進めた。破壊力のあるトンガ留学生を擁する東の横綱・正智深谷が後半追い上げたが、啓光の防御力が上回り、前半のリードを守りきった。

決勝

200517

啓光学園(大阪第33114  天理(奈良)

攻守ともに優れた近畿勢同士の試合になった。前半風上を取った啓光が天理のタックルをうまくかわし5トライを上げ勝利。15年前の因縁の対決カードであることを、戦いが済んでから新聞で知った。


 1.
2回戦>  報徳学園(兵庫)をノートライに抑え、6トライの攻撃で456の大差。

        新・杉本丸の順当な船出となり、胸をなでおろした。

2.3回戦>  前回(第83回)の決勝戦で啓光に完封(150)され、「今回は勝たずして故郷には帰れない」と背水の陣を敷いて試合に臨む大分舞鶴(大分)の姿勢は、試合前の雄叫びから、そして試合中の激しいぶつかりに至るまで際立っていた。ところが、近距離からのゴールキックがそれるという不運が重なり、ツキに恵まれた啓光が薄氷の勝利を勝ち取った。今大会最大の山場だった。

3. <準々決勝> 02年(第82回)、01年(第81回)大会と連続の決勝戦で対決している東福岡(福岡)との<準々決勝>。啓光の得意な防御が制せられて苦戦。福岡の先制、啓光の逆転、福岡の同点、啓光の逆転〜とシーソーゲーム、負けても決しておかしくないゲームが続いた。最後は啓光が自陣ゴール前に釘付けになり、身長、重量共に上回る福岡のFWの突進を組織的防衛で対抗、最後の一戦は越えさせない執念、集中力で辛くも凌いだ。

4. <準決勝> 東の横綱正智深谷(埼玉)が擁する破壊力のあるトンガ留学生のパワーと啓光の組織防御の戦いは、パワーの方が4連覇を阻止すると予想された。そんな戦前の予想とは裏腹に風上に立った啓光の怒涛の攻撃を繰り返し、前半310と大量リード。「相手の攻撃のパワーの強さを避け、防御の弱みを突いた」という作戦勝ちだった。後半、風下に立って7-22と追い上げられたが逃げ切った。

5. <決勝戦>  いよいよ4連覇をかけた決勝は、攻守のバランスがとれた近畿の雄・天理(奈良)が相手。これが因縁の対決カードとはついぞ知らなかった。15年前(1989年)の第69回大会、杉本監督が啓光3年の選手のときの決勝戦の相手だったとは。啓光にとって初めての優勝戦は414で破れた。それもSO(司令塔)を努めた杉本選手がPG6本をはずし、はずさなければ(+18点)勝っていたというのだ。杉本選手の無念〜そのことを知っていた選手達は監督(先輩)のためのリベンジを誓ったそうだ。様々な思いが夫々の胸に去来したに違いない。

いざ試合が始まると、啓光は硬さが見られる天理を攻守で翻弄し、前半を127でリードした。後半にも3トライを重ねるなど、終始、試合を優位に進めて3114快勝し、4年連続6回目の優勝を飾った。チームには15年前の因縁のカードであるとの緊張感は微塵も見られず、むしろ、3回戦と準々決勝の山場を越えた自信からか伸び伸びとしたプレイが続き、今大会でもっとも安心して見ておれる試合となった。
  

 啓光の伝統と今年のチームの特徴

啓光ラグビーの伝統といわれるポイントは、3点に集約できる。

1. スター選手、即ち傑出した選手のいないチームであるため、常に組織で戦うということ、個々人が組織の中で与えられた役割を果たすということを常に認識しながらプレイする〜集団と個人の強い(高い)調和を求める。どの大会でも「啓光は、花園の一戦一戦強くなる、進化し続ける」と異口同音に賞賛を受ける。これは、個人の能力は測り知れないということを皆が認識し、個々人の能力向上と組織の調和を一戦一戦毎回、決勝戦まで追い求める結果である。

2. 攻撃よりも守備を旨とする。(このためか、「我慢」「辛抱」「徹底」という言葉を監督、部員全員がよく口に出す。)鉄壁の組織的防御には定評があるが、駒森ながらも相手の一瞬のスキを突いた攻撃を信条とする。(「ディフェンスはオフェンス」というのは啓光発の用語ではないかとさえ思うほど。)得点数を求めない、誇らない。ローゲームを目標にする。

3. 基本技術の習得を愚直に繰り返す。個人ごと、チームごと、時としては夜間闇の中でもやり、プレッシャーのかかる本番試合でのミスを避ける。

新監督は、今年のチームは、「これまでのうちで一番小粒で、一番弱い」と年度始めから言い続けたそうだ。正真正銘、啓光の過去4年間で最も小柄のチームだったようで、今年のFWの平均83.5kgは今大会8強の中でも最軽量だった。「実力のない自分達は組織力で戦うしかない」とキャプテンも繰り返した。そして、個々の部員も自らの足らざる所を謙虚に認め、前項の1.)のチーム力の重要性を認識して自分達のチーム作りをやったということなのだろう。小さな啓光がただひたむきさを武器に、大きな勝利を勝ち取ったと言える。

また、3回戦><準々決勝>で危機的な状況にぶちあたったことが、4連覇をなさしめたとも言えそうだ。小さい戦士が常に危機感を持ち、ひたむきに戦うという啓光の伝統は新チーム、新体制にも見事に受け継がれたようである。
   

啓光学園の戦歴

啓光は、これで<全国大会に16回出場、通算6回目・4年連続の優勝、3回の準優勝、花園公式戦20連勝>という栄光の戦績を伸ばした。戦前の大会史(注3同志社中が<通算9回・5連覇(37回、192024年大会)>という驚異的な成績があるので、4連覇は82年ぶり、史上2校目(注4偉業を遂げたことになる。戦後は、秋田工の3連覇(2729回、194850年大会)がこれに続く戦績で、その他の連覇記録はない。

また、隣接の高校スポーツの野球とサッカーを取り上げてみたい。いずれも全国選手権を大正年間から開始し、現在までに80回内外開催と、同程度の伝統を有している。

野球は、広島商が最多優勝6回、連覇は戦前に中京商が3連覇(第1719大会、193133年)と2連覇が3校、戦後に小倉の2連覇がある。(因みに、戦前戦後を通して5校に春夏の連覇記録がある。)

サッカーは、戦前に御影師範が最多優勝11回と7連覇、戦後には国見が最多優勝6回、2連覇1回。他に7校の2連覇記録ある。

ラグビー、野球、サッカーのいずれの選手権も、戦前は1桁或いは下位2桁位の参加数、現在引き合いに出すのは余り適切でないように思える。また、スポーツ人口の裾野の広い野球やサッカーと比べること自体か必ずしも妥当ではないと思うが、毎年生徒が入れ替わる高校スポーツにあって啓光ラグビーの6勝、4連覇の戦績はやはり偉業と言えよう。
  

過去16年間の全国大会の決勝戦

開催年度

決勝戦の結果

啓光の全国大会出場・戦績  ×不出場    (その他トピックス)

年度

優勝校

スコア

準優勝校

1967年(昭42

46

天理

1410

京王

@2回戦  全国大会初出場

196888

4768

省       略

×(11年間、12回不出場)

1989年(平1

69

天理

144

啓光学園

A準優勝  杉本誠二郎・現監督が選手として出場した

1990年(平2

70

熊谷工業

19 - 6

天理

×

1991年(平3

71

啓光学園

28 - 8

国学院久我山

B初優勝

1992年(平4

72

伏見工業

15 - 10

啓光学園

C準優勝

1993年(平5

73

相模台工業

19 - 6

東京農大二高

Dベスト8

1994年(平6

74

相模台工業

27 - 12

長崎北陽台

Eベスト16

1995年(平7

75

大阪工大高

50 -10

秋田工業

Fベスト8

1996年(平8

76

西陵商業

26 - 25

啓光学園

G準優勝

1997年(平9

77

国学院久我山

33 - 29

伏見工業

Hベスト4

1998年(平10

78

啓光学園

15 - 12

大阪工大高

I優勝                     (大阪勢の大会連覇開始)

1999年(平11

79

東海大卯星

31 - 7

埼玉工大深谷

J2回戦

2000年(平12

80

伏見工業

21 - 3

佐賀工業

Kベスト8

2001年(平13

81

啓光学園

50 - 17

東福岡

L優勝 「 枚方市 民スポーツ賞」受賞       (丸中による「啓光追いかけ」開始)

2002年(平14

82

啓光学園

26 - 20

東福岡

M2年連続同一カードで2連覇 戦後4校目、大阪勢としては初連覇 同上賞・受賞

2003年(平15

83

啓光学園

15 - 0

大分舞鶴

N54年ぶり、戦後2校目の3連覇 同上賞・受賞   (大阪朝鮮高が初出場)

2004年(平16

84

啓光学園

31 - 14

天理

O戦後初の4連覇 16回(14回連続)出場 同上賞・受賞

啓光の戦績

優勝6回、4連覇

 

準優勝3

全国大会出場16

   

強い啓光ラグビーを育てた背景

啓光ラグビーをつくった背景は、3点に集約できそうである。

1.        激戦の京阪地区

社会人・大学ラグビーは東高西低と言われるが、高校ラグビーは西高東低である。前表の「全国大会・決勝戦」参加の顔ぶれを見ても分かる通り、全国区では近畿と九州、就中、京阪地区に強豪が集中する。伏見工(京都)、東海大仰星、大阪工大付属、啓光、新たに大阪朝鮮(以上、大阪)、そのうち東海大仰星、啓光が枚方以内。よきライバルに恵まれている(というべきか)。

2.        記虎・前監督

何よりも30年の長きにわたって啓光ラグビーをつくり育てた、記虎敏和・前監督の教育方針とリーダーシップである。それを一言で言えば、「自分たちは弱い」と呟き、欠点、不足の点(弱点)を謙虚に認識した部員が一戦一戦強くなる〜自主性、自立性を身につける人間教育だった。

先生も始めはご多分にもれず、自らの経験から「長い苦しい練習が勝ち戦をつくる」という熱血先生だったそうだ。部員をしごいて勝ち負けにこだわった。ところが、大阪の予選では決勝まで行くが、全国にはなかなか手の届かない長い不振をかこっていた。

偶々12年前のニュージランド行きで、現地のラグビーを目の当たりにした。楽しむスポーツ、楽しむラグビー(クラブ・チームのラグビー)に開眼し、指導法を変えたという。指導者に「やらされていたラグビー」から「自らやるラグビー」への脱皮。こうなると体力づくりも技術習得のための練習も試合もみな、それまで強制した監督の顔色を見ながらの苦しい勤行でなく、自らが考えて自ら選んで自らのペースで楽しみながら成長する〜ものへと変化した。やがて、部員自身に試合の流れを自ら読み、自ら判断し、機敏に戦略と戦術を変える能力を身につけるようになる。そういえば、ラグビーの監督は試合が始まると、スタンドの上から観戦するだけで、他のスポーツのように一々の指図が出来ない仕掛けになっている。そして、スポーツのために日常生活や勉強を犠牲にし、スポーツ馬鹿をつくるのはもうよそう。

それまでは、先生自らの情熱にまかえて部員を追い込み、部員のためと言いながら、結局、部員を道具にして、勝利という先生自らのエゴを求めていたのではと反省する。「ラグビーを教えるのではなく、ラグビーで(を通じて)人間教育をする」、「ラグビーの指導者の役割は、個を見極めてその最大のものを引き出し、ラグビーの組織に昇華させること」と語る前監督はやはり教育者だったのだ。

ラグビーにおける氏のトレーニング方法を、「記虎メソッド」というかどうかは知らないが、そのいくつかは「監督術」(注5とういうスポーツライターとのインタビューにかなり公開されている。その中で、敵方の人数を増やして試合するというのが面白い。

3.カトリックミッション

  啓光学園も経営上安定した私立学校として継続するためには、受験に注力得ざるを得ない事情は変わらないが、その前に社会のよき指導者をつくるという人間教育を、中高一貫して標榜するカトリックミッションスクールであることに注目したい。記虎先生のラグビーを通じた人間教育論は、特に「山上の垂訓」や「真福八端」を大切にする学校教育に合致するものといえる。

  もう一つ無視できない点は、乏しい財政上からも同校には、スポーツ重視の私立学校にありがちな、スター選手を集めるためのスポーツ選手の推薦制度や特待生制度がない。また、グラウンドが狭い上に、陸上、野球、サッカー各部と併用するという環境面のハンディがある。ここはむしろ貧しさと謙虚さをバネにしたいところである。

教員がラグビー部の監督を兼務しているというのは最大の環境と言えまいか。中高一貫して生徒をきめ細かく見、特に試合に出場できない部員のことををよく配慮しているという。私も時々グラウンドの横でボーイスカウト活動をすることがあるが、いつも部員から明るい声の挨拶が返ってくるのは大変心地よいものだ。

  ラグビーは体力と共に特に知力が要るスポーツ。一学年30人位の部員のうち、半数は学業の成績がトップクラスという。同校のラガー達はやがて東西の大学に巣立っていくが、監督、コーチといった指導者の道を歩む者が多いというのも嬉しい話である。
  

おわりに

ラグビーのスポーツとしての魅力は、サッカーと比較するとわかりやすい。ボールを脚蹴りするばかりでなく、投げる、後へパスする、抱きかかえて走る〜と多様だ。ボールはサッカーのような円形でなく楕円形のためどう転がるかわからない、制御しにくい、従って技術や力を超えた運も働く。疾走のほかタックルやスクラムのような格闘技に近い要素もある等変化にとんでいるため、他のスポーツのようにゲームの間退屈することがない。

このラグビーの魅力を教えてくれたのは啓光学園のラグビーである。歳末と正月の花園の応援スタンドは屋根がなく、吹きさらしで震えながらの、しかし、フィールドの啓光の選手の動きに合わせて力の入る応援の醍醐味は何にも代えがたい。一年後に、まさか5連覇はなかろうという気持ちと、いや、啓光の記録はその伝統を受け継いだ杉本監督率いる新チームが塗りかえるとの気持ち、今は半々である。   (2005.01.31記)

 

(注1学校並びにラグビー部の沿革

年  度

沿      革

備     考

1950年(昭25

1957年(昭32

1960年(昭35

1962年(昭37

1963年(昭38

1967年(昭42

1991年(平3

1993年(平5

1996年(平8

1998年(平10

1999年(平11

2001年(平13

2002年(平14

2003年(平15

2004年(平16

クラレチアン会(カトリックの修道会)来日

啓光学園中学校開設

啓光学園高等学校開設(中高一貫教育のだ男子校)

ラグビー同好会発足

高校ラグビー部創部

全国高校ラグビー大会初出場

全国高校ラグビー大会 初優勝@

ニュージーランド第1回遠征 

ニュージーランド第2回遠征

全国高校ラグビー大会 優勝A ニュージーランド第2回遠征

 

全国高校ラグビー大会 優勝B・T

全国高校ラグビー大会 優勝C・U

全国高校ラグビー大会 優勝D・V

全国高校ラグビー大会 優勝E・W

校訓 「誠実」・「克己」・「献身」

 

高校の生徒数は580人

ラグビー部 約100人

 

 

テニス、水泳なども全国レベル。

 

 

神戸製鋼の苑田右二

トヨタ自動車の高橋一彰監督

 

 

 

(注2監督の略歴

項 目

記虎敏和(きとら としかず)

杉本誠二郎(すぎもとせいじろう)

生年月日(年齢)/体格

1952428日(52歳)/ 175cm 80kg

  ?   (33歳)/ ?(長身・スマート)

学歴

啓光学園高校、天理大学

啓光学園高校、大阪体育大学

職歴

1975年啓光学園中高・保健体育科教諭

2000年啓光学園中高・保健体育科教諭(日本IBM経由)

指導者歴

1975年監督就任 監督歴30

2004年龍谷大監督就任(啓光学園総監督2年間の限度)

2000年コーチ就任 コーチ歴4

2004年監督就任

現役時代のポジション

CTB、ナンバー8

SO、ナンバー10

トピックス

二宮中2年でラグビー始め、大学2年時にじん帯を痛めて競技を断念

高校、大学時代ともに俊足と判断力に優れたスタンドオフとして活躍

好きな言葉

「辛抱」

「素直で謙虚な自分になる」

 

(注3戦前の大会史〜同志社中5連覇の軌跡

年 度

優勝校

スコア

準優勝校

備    考

1917年(大7

1

全同志社

31 - 0

京一商

 

1918年(大8

2

三高

24 - 0

同志社中

 

1919年(大9

3

同志社中

3 - 0

京一商

 

1920年(大10

4

同志社中

6 - 0

京一商

同志社中2連覇

1921年(大11

5

同志社中

6 - 0

京一商

同志社中3連覇

1922年(大12

6

同志社中

14 - 0

立命館中

同志社中4連覇

1923年(大13

7

同志社中

6 - 0

京一商

同志社中5連覇〜現在も破られていない

1924年(大14

8

京一商

12 - 0

天王寺中

 

1925年(大15

9

同志社中

6 - 3

南満工業

 

1927年(昭3

10

同志社中

11 - 0

天王寺中

 

1928年(昭4

11

同志社中

41 - 0

早稲田実業

同志社中9度目の優勝

1929年(昭5

12

慶応普通

8 - 6

同志社中

 

1930年(昭6

13

京城師範

34 - 3

天理中

 

1931年(昭7

14

京城師範

30 - 5

同志社中

 

1932年(昭8

15

京城師範

32 - 5

天理中

 


  (注
4通算優勝回数

順位

優勝校

通算優勝回数

備     考

@

秋田工

15

戦前・戦後の通算 第2729回大会(194850年)で3連覇

A

同志社中

9

戦前 37回大会(192024年)で5連覇

B

啓光学園

6

8184回大会で4連覇

B

天理

6

 

D

目黒

5

 

D

国学院久我山

5

 

F

保善

4

 

F

大阪工大高

4

 

H

京城師範

3

戦前 第1315回大会(193133年)で3連覇

H

福岡

3

 

H

伏見工

3

 

 

5参考文献

書   名

著    者    他

戮力壹心〜第82回全国高校ラグビーフットボール大会記念

啓光学園ラグビー後援会・啓光学園ラグビー部

戮力壹心〜第83回全国高校ラグビーフットボール大会記念

啓光学園ラグビー後援会・啓光学園ラグビー部

白夜ムック47・監督術(渡辺元智×志波芳則×記虎敏和)

スポーツライターとのインタビュー(他に東福岡高校のサッカー、横浜高校の野球の監督)・白夜書房

情熱と愛情〜子供達の可能性を信じて

記虎敏和( 枚方市 教育委員会主催の人権研修会の講演録)

   
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