電車の中の化粧       黒木 靖生

 

7月の土曜日の朝の7時半ごろ、私は、勤務する会社の 埼玉県草加市 の事業場に臨時の仕事に行くため、西船橋駅から府中本町駅行きの武蔵野線に乗りました。私はベンチ式の座席の右端に座り、その後で体の幅が普通の人の1.5倍くらいある女性が私の横に座りましたので、私とその女性との間には普通の人の半分くらいの隙間しか残されていませんでした。  

 電車が西船橋駅を発車して1〜2駅を過ぎたころに、一人の女性がこの隙間に無理に体をねじ込んで来ました。私は「なぜ、このように無理をして座るのかなあ」と不思議に思いましたが、その疑問は直ぐに解けました。その女性はバッグから化粧品を取り出して、化粧を始めたのです。電車の中で化粧をするためには、「万難を排して座る」必要があります。  

 私は、そのとき本を読んでいたのですが、目が疲れたときに「電車の中の化粧の手順」を観察してみました。私は老眼のため読書のときはメガネを外していますので、化粧中の女性の手の動きがハッキリと見えたわけではないのですが、本当に見事なものでした。その女性は、先ず化粧品(クリーム類)の容器を左手で持ちながら右手で蓋を外し、右手の小指でクリームをすくって左手の親指の第二関節の上辺りに乗せ、化粧品の蓋を閉めてバッグに戻し、次に左手で小さな鏡を持って、右手を使って左手の親指の背に乗せた化粧品(クリーム類)を顔に塗って行きます。  

 この動作を化粧品の種類ごとに何回も正確に繰り返すその女性の右手の動きは、路上でせわしなくエサをついばむ小鳥の頭の動きに似て、何だか感動に似た感慨すら覚えました。しかもこの女性は、化粧をしながら携帯電話のメールを受信すると左手一つで素早く返事を返したりして、「本当に手先の器用な人だなあ」と感心してしまいました。  

 感心したついでに、「この女性はどういう職業の人だろう」と考えました。というのは、その日は土曜日でしたから、多くの企業・官公庁は休みの筈です。「そうすると、デパートとかショッピングセンターなどに勤務している人かなあ。それだと出勤時間が少し早いのではないか」などと考えている内に、私の下車しなければならない南越谷駅に到着してしまいました。西船橋駅から南越谷駅までの乗車時間は約30分ですが、私が下車する際もその女性はまだ化粧を続けていました。  

 なお、私は「車内で化粧するためには万難を排して座らなければならない」と書きましたが、最近、総武快速線の電車内で、つり革にぶら下がりながら化粧をしている若い女性を一度見たことがあります。また都内で、通勤客で混むバスの座席で化粧をしている女性を何回か見たこともあります。本当に、「女性はたくましい」と思います。

(以上)

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