初孫誕生に心が揺れた日々  

            辻 淳二

 

連休が明けた5月6日、長女に子供が生まれた。私たち夫婦にとっての初孫の誕生である。予定日は連休の直前で、「それなら旦那もお休みでいいね」と言っていたら何事もなく日々が経過して、終わろうとする5日の午後になって「陣痛らしい」との電話が入った。ちょうど、3月に還暦になっていろんな意味で気持ちの切り替えに掛かり始めていたこともあり、オジイチャンになることも「頃合いはいいな」と待ち望んでいた。そこで、思いのほかウキウキとする気分で次の連絡を待つことになった。結局、日が変った夜中に婿殿から「入院したがまだ暫くは掛かりそう」と電話が入り、「今日中には生まれるな」との見通しが見えた。朝になって「もう少し掛かる」との連絡を受けて出勤し、午前中の会議が終わった昼前に家内からの電話で「女の子が無事に生まれた」ことを知った。

  

 仕事が終わると、新潟に行く前に一目見ておきたいとすぐ飛び出し、娘の間食用に大学芋を買い込んで病院に向かう。三階のエレベータを降りた所で、ガラス越しに生まれたばかりの赤ちゃんが並んでいるのを見つけ、名札をたどって我が孫との対面を果たす。彼女は口元を毛布に隠して、左隣のカゴの子が声を上げて泣いていたのと対照的に、おとなしく寝入っていた。デジカメで数枚写真を撮って病室に行くと、大役を果たし、夕食も終わって気持ちが緩んだ娘がウトウトしていた。彼のご両親が早々と見舞って下さったとのことで、先方も待ち受けておられた感じがうかがえた(そちらにとっても、初孫だった)。その後、家内が見舞い、一晩中付き合った彼も家でもうグッスリ寝ている筈とのことで、「今日はゆっくり寝るだけ」とサバサバしていた。初産だから勝手がわからないまま、予定日を過ぎて待ちが続き、入院してからもほぼ半日緊張し続けた不安感から開放された安堵が感じられた。そこに、仕事を終えた次女が合流し、彼女が持ってきたビューカムでビデオを撮って、お尻が痛くて身動きがままならない娘に今の表情を伝えたりしながら、しばし雑談した。程なく「面会時間終了」のアナウンスが聞こえ、「先ずは親子とも元気で何より」と次女と話しながら病院を後にした。          

 入院中は、家内が身の回りの世話でこまめに訪ね、日々「お乳を飲み始めた」「飲み方がまだ少ない」等の話がもたらされた。私が次に会ったのは退院予定の前日、母子の顔を見がてら、退院の見通しと後の手はずの確認に寄った時だった。赤子は前よりは少ししっかりした顔になり、ちょうど見舞いに来ていた父親にガラス室の中で抱かれておとなしくしていた。名前はまだ確定していなかった(その後、美貴と命名)。そして、彼が食事を作ったりできる人だし、直前に引っ越した自宅の方が冷暖房や入浴などの便宜がいい、病院にも近い等から、当初予定していた我が家でなく、自宅の方で育てることで行こうとの気持ちに傾きつつあるようだった。その日は、彼と帰路の駅前で夕食を共にし、しばし話し込んだ。5年位前に初めて会った時に「彼はいい」とすぐ感じた青年で、親子というよりは年が離れた先輩・後輩という距離感で接していたが、二人きりで食事をするのは初めてだった。彼も一児の父親になり、人並みにローンも抱える立場になって、「気持ち、引き締めていかなくては」との感触は伝わってきた。自分のローン返済の実体験の話から、問われるままに「30代半ばに大組織を脱藩した時の話」に進み、娘にも話したことがない節々を結構きちんと話した。思いがけず、楽しいひとときだった。                            

 退院後は、専ら家内が、週に数回買い物を肩代わりしたり、食事を作り溜めしたりの手伝いで(嬉しい?)悲鳴を上げながら忙しくしている。私は、たまに帰宅途中に夕食を付き合いがてら孫の成長ぶりを見に寄ることにしている。初めて寄った下旬の日には、二時間くらい居た間の半分位は寝ていて、あとは目を覚ましていたが、娘があやしてやると特にむずかることもなかった。私がややぎこちなく抱き上げても泣くことはなく、揺らすと落ち着くが、まだこちらの顔などはわからないようだった。ベビーベッドの中でのしぐさを見ていると、掛布を蹴飛ばしたり、両手を動かしたり、顔を真っ赤にしたり、と結構面白い。娘も、本人も「いつもこんなじゃない。夜中に泣かれたりすると大変」と言っているし、家内も「今日は感情的になっていた」とコボす日があったりするが、・ ) 分なりのママさんぶりが板についてきたようで好ましく見えた。最近読んだ「五体不満足」(乙武洋匡著)の著者の例も、本人を取り巻くプラス思考の連鎖は「お母さんが初対面の時にまあ可愛いと言った」のがすべての起点になっているようで、母親の心の持ち方が大切と感じさせられている。娘にも、「さあ、美貴ちゃん」「ほらね、美貴ちゃん」とプラスのストロークをこまめに送って欲しいと思う。時間のある時には友達に「新米ママの奮闘記」をメールで送り始めたようで、そういう外界との接点を持つこともいいのではないかと感じている。

 かくして長女の所では大きな変化が現実化したが、目を周囲に転じると「これで、いいのかな」と気になることが一方にある。今年の初め、私の方の兄弟の家族が集まった食事の席で、我が長女以外に全員が20代で7人いる各家の子供たちで「今年、結婚しそうなのは誰か」が話題になった。何と、「可能性は見えている」という話さえゼロだった。暫く後であった家内の実家の方の新年会で同じ問いかけをしても、こちらも我が長女を除いて20代ばかり8人もいるのに、「今年は一人もなさそう」とのことだった。そう言えば、婿殿のお宅でも、こちらは30代のお兄さんが2人ご両親をヤキモキさせていると聞く。「これから、どうなるんだろう」と日本の人口問題を考えさせられる縮図が、我がファミリーの姿なのである。これを思い出したらさすがに人ごととは思えなくなって、我が子2人を含めて総勢15人の若き予備軍に「若気の至りの、自我の発揮(結婚ってそういう所が大切と思うのだが)」を期待している昨今でもある。 [1999.5.30]

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