オシム・ジャパン誕生      黒木 靖生



 
7月21日、日本サッカー協会は、日本代表チームの監督としてイビチャ・オシム氏と正式に契約しました。オシム氏は、私が昨年6月に「千葉の名監督」の題名で本誌に投稿した際に「ジーコ氏よりも日本代表監督になってほしかった」と書いた人で、これが4年遅れになったもののひとまず実現したことを喜びたいと思います。ただ、前稿の時も私はオシム氏の年齢(今年で65歳)を気にしていて、日本代表チームの監督を次回(2010年)のワールドカップまで務めるとすると最終年は69歳ですから、この点が一番の心配事です。  

 オシム氏は、2003年にJEF市原(当時の名称:現在はJEF千葉)の監督に就任し、J1リーグの下位に低迷していたJEFを上位5チームの常連に引き上げ、昨年は、リーグ戦の総合順位では4位でしたが「ナビスコ・カップ争奪戦」で優勝を飾りました。このオシム監督がJEFの監督に就任して先ず選手に求めたのは、「走る」ことでした。当時のJEFは下位常連のチームでしたから、抜きん出た才能を持った選手は集まりません。そこでオシム監督はひたすら走ることで基礎体力をつけ、「走り勝つサッカー」を目指したのです。その効果は、JEFのリーグ戦の成績の急上昇で示されています。  

 今回の2006FIFAワールドカップの日本代表チームに欠けていたのは、第一にこの「走り続けることができる基礎体力」であったと思います。その象徴が、大会前の5月30日に行われたドイツとの親善試合における高原・柳沢の両フォワードです。この二人はドイツ戦では目を見張る動きを見せ、特に高原選手は2ゴールを奪う活躍をしたのですが、二人とも試合中に足首(高原選手)や太もも(柳沢選手)を痛めて最終親善試合のマルタ戦(6月4日)を欠場し、ワールドカップの最初の試合であったオーストラリア戦(6月12日)でも、ケガの影響もあってか好調とは言い難い動きでした。  

 私は、サッカーの選手が一試合出場しただけで足を負傷して次の試合を欠場するなんて、特別の事情の無い限り「プロにあるまじき」姿であると思います。柳沢選手に関しては、足に故障を抱えていて治療中であったにもかかわらずジーコ監督が「大会までに十分に回復する」と判断して代表に召集し、「大会前の強化合宿で体が悲鳴を上げ、別メニューで調整が必要」と報道されていましたから、ジーコ監督の重大な判断ミスであったと思いますが。この判断ミスも含めて、ジーコ監督の日本代表の招集基準は「現在」よりも「過去」の実績を重視しているようで、海外の代表チームでは若い選手が何人も活躍したのに、日本代表では次回のワールドカップ戦を背負うような人材が少なかったのは寂しい思いでした。  

 このため、オシム監督の最初の仕事は、次のワールドカップ戦の中心となるべき選手を自分の視点で発掘し育成することであるのは明白です。同監督は、日本代表チームの監督に就任した際の記者会見で、日本のサッカーが世界で互角に戦うためのキーワードとして「スピード」を上げていました。これは、JEFをJリーグの中で進化させるために採った戦術(つまり、選手を相手よりも早く/長く走らせる)と同じです。  

しかし、選手の育成作業は、基本的にはその選手の所属するチームに任せられます。オシム監督がJEFを「走り勝つチーム」に育てることができたのは、自らが監督で「選手の練習メニューを自分で作り、実践させることができた」からです。ところが、日本代表チームの監督は試合の1週間くらい前でしか選手を集められませんから、そのような短期間の中で「走り続けることのできる基礎体力」をつけることは至難の業です。オシム監督の目指すサッカースタイルをJリーグの全チームが十分にサポートすること(あるいは日本代表チーム入りを狙う選手が主体的に走り抜く力を身に付けること)ができるかが、オシム・ジャパンの成功の鍵を握っていると思います。  

 なお、JEFフアンの私としてはオシム監督が去った後のJEFが心配ですが、幸いにして、同監督の下でコーチを務めていた長男のアマル・オシム氏が監督に就任しました。アマル監督就任後のJEFの戦績は2勝2敗(7月30日現在)、J1リーグの6位を保っていますが、私としては、「オシム監督の下で日本代表チームがどのように進化するか」と共に、「アマル監督就任後のJEFの成績」にも目を離すことができません。
                                                                                      (以上)

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