大阪・天神祭を船から楽しむ      瀬川 滋
 

 大阪の夏の到来を告げるお祭りといえば、天神祭。毎年7月に、24日の宵宮・25日の本宮の2日間行なわれる。東京の神田祭、京都の祇園祭と共に、日本の三大祭に数えられている。そのクライマックスが船渡御。25日の本宮の夜、篝火が水面に映え、花火が夜空を彩る中で行われる。

 私の天神祭は、打ち上げられる花火が夜空に打ち響く下、川岸から眺めるというのが通例であった。ところが仲間が、今年は船渡御に船から参加したいと言い出した。しかし、氏子でもないのにどうして乗るか、うーん。しかし、そこは百戦練磨の諸氏のこと、どこからか権利をみつけてきて、「乗れる」ということになった。そんなことで、梅雨明けが遅れて例年のカンカン照りの中でとはいかなかったが、天神祭の船渡御に参加した。  

 当日、家を出かける時には襲雨が降ってきていささかあわてたが、会場に着くと晴れ。ヤレヤレ傘を差さずに船に乗れると思いきや、とてつも無く蒸し模様。汗を垂らしながら集合地の神社の門の近くで待っていると、先頭から太鼓、そして神馬に乗った天狗,山車、獅子舞そして菅原道真公の神霊を乗せた神輿・・・・が進んでくる。

 よその祭りと違って、おっとりゆったりしていて、回りの喧騒とは対象的。この、船に乗るまでの渡御行列を陸渡御と言う。それを途中まで見て、我々は淀川の支流の大川にかかる天神橋袂に急ぐ。川岸には、きれいに化粧直しされ、灯が煌々と点った泥運搬船が沢山並んでいる。船には講の名前が書かれた旗や提灯が付けられていて、とても賑わしい。
 18時、船はゆっくり大川をさかのぼって動き始める。川の両岸は篝火が焚かれているが、周りが未だ明る過ぎる。でも、厳かさは十分醸し出されている。先程見た行列が担いでいたものを乗せた奉安船が、我々の船と一緒に上っていく。両岸は人・人・人、橋の上には鈴なりの人が埋まっていて、下を行く我々を見下ろしている。

 川上からは、奉安船を迎えるための奉拝船が下って来る。船がすれ違う時、どちらかから威勢良く「打ーちましょ」と声がかかる。すると、両方の船に乗っている全員が手拍子でパンパン。すかさず「もひとつ」でパンパン、さらに「祝うて3度」との声にパパン・パン。最後に「天神祭おめでとうございまーす」。この応酬があるおかげで全員に参加意識が生まれて、実にいい。川の中程に固定された舞台船からは、賑やかな天神祭囃子が天に届けとばかりに鳴り響いている。  

 陽が落ちると辺りは真っ暗になり、並んでさかのぼる船の灯が川に沿って点々と続く。折り返し点に近づく頃には、打上花火が上がり始める。かなりの距離を上ってきているので小さく見える。船が下るにつれ、花火は徐々に大きく華麗になっていく。花火が上がった時、最近めっきり増えた高層ビルがシルエットで浮かび上がり、興を添えてくれる。乗船地の天満橋に近づくと、造幣局辺りから打ち上げられている仕掛け花火もこれに加わって乱舞。真っ暗の夜空の中に、船の灯や花火が水面に映える。山下清の世界だ。やがて船着き場。  

 正に水の都の火と水の祭典の、誰でも乗れるというものではない船渡御に川から参加するという、貴重な経験を味わうことが出来た。このお祭りは千年を越える伝統と歴史を誇っており、約4百年前の太閤秀吉による大阪築城の頃に今日のような船渡御の形式が整い、元禄以後は商人の町・大阪の繁栄と共にますます隆盛を極めていったという。また、数多くのエピソードが残っていて、元禄時代には、討ち入りを控えた大石内蔵助の妻の理玖と末息子が見物に来たとも、大阪に縁の深い西山宗因や井原西鶴や近松門左衛門といった文化人もお忍びで観覧し、祭りを肴に文学論で熱くなっていたとも言われている。何とも、浪漫を感じさせてくれるではないか。そんな浪漫に浸り興奮覚めやらぬままに、陸で見ていた大勢の人をかき分けながら家路に着いた。


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