「部分」シンドローム      黒木 靖生



 
最近、テレビやラジオ番組の中での会話で「部分」という言葉を聞く機会が増えたような気がします。例えば、「投手力が不足しているという部分」とか「精神的なものが長年優勝を逃している部分」などという表現で出てきて、私は何となく違和感を覚えていました。最初はゲストや解説者が使っていましたが、最近ではアナウンサーの会話の中にも徐々に広がって来ているようです。  

また、先日は、民主党の鳩山幹事長が、衆議院議員の補欠選挙の応援で、北朝鮮の核実験への対応に慎重な姿勢を求めて、「窮鼠猫を噛むという諺がありますが、そのような状況が戦前の日本を無謀な戦争に突入させた部分があります」と演説していました。このように、政治演説の言葉としても使われています。  

この「部分」という言葉の意味合いを考えて見ますと、「部分」というのは「全体の一部」ですから、上のような表現は、例えば「某プロ野球チームに関し弱点は幾つかあるが、その中の一つとしての投手力」、「あるゴルフ選手が優勝を逃している原因は幾つかあるけれども、その中の一つとしての精神力」ということを簡潔に(ある意味では手抜きして)表現したいのではないかと思います。ただし、影響力の大きい人たちに「部分」、「部分」と多用されると、「手を抜かずに、もっと日本語本来の正しい(綺麗な)表現を考えてくれ」と言いたくなります。  

それでも私は、上記のテレビやラジオあるいは選挙の応援演説などは「口頭」の表現でもあり、幾分は見逃せると思っていました。ところが、遂に文書の世界に、しかも最も厳密性を要求されると思われる司法関連の公文書にも「部分」という表現が侵入して来ました。  

10月22日(日)の毎日新聞の朝刊に、「2002年7月に 宇都宮市 で男が主婦ら二人を散弾銃で殺傷した事件に関し、男に銃を所持することを許可した宇都宮南署の生活安全課長が不起訴になったことに被害者の家族が異議を申し立てたのに対し、宇都宮検察審議会は不起訴を不当と決議した」との記事が掲載されました。そして、その議決で「身元調査などを十分に行うべきだったのに、不安な部分を抱えたまま許可した過失は否定できず、予見可能性がなかったとまでは言い切れない」と指摘したと報道されています。  

 私は、先述のように「部分」という言葉が頻繁に出てくるのが気になっていたところに、上記のニュースが10月21日(土)のNHKのラジオで報じられるのを聞き、議決の中に「部分」という言葉があったので興味を引かれ、これを文書で確認すべく翌日(22日)の新聞記事を調べました。すると、幸い毎日新聞の朝刊に掲載されていて、上記の議決の箇所は、その全文を引用したものです。  

宇都宮検察審議会のこの議決の中の「不安な部分」とは何を言っているのでしょうか。「身元調査が不十分であった」と言いたいところを、そういう直裁的な言い方は官公庁の文書としてそぐわない(穏やかでない)ので、わざとぼかした表現にしたのでしょうか。

この議決の中の「部分」の使い方は、上の三つの例における「全体の中の一部」と言う意味合いからは少し外れているように思いますが、いずれにしても、官公庁の公文書には「部分」などという曖昧な表現でない、もっと標準的な(綺麗な)日本語を使ってほしいと思います。

                           (以上)
 
 
投稿広場 目次へ