椿 正明
私はやまうどが山菜の王様だと思う。やわらかい部分を茹でて酢みそで食べるのが一番。独特のかおりが特徴的である。毎年初めてこれを口にすると決まって「最高の贅沢だね。こんなにおいしいものはあるだろうか」と言い合う。大げさだが生きている喜びを実感する。義父は自分の庭にうどを栽培していて、これをさんしょと一緒に甘くつくだに風に煮ていたが、これが二番だ。これなら少し固いところも食べられる。
八百屋で売っている白いうどは陽に当てないために、白いのであってまったく同じ種類である。色とともに、かおりも少なく、やや物足りない。
毎年5月の連休は、地元鎌倉でのうど採りに忙しい。20年くらい前はたくさん採れた。ナップザックに入らないくらい採れて食べ切れず、老人ホームに届けたこともあった。今は生えているところが少なくなって、秘密にしている。決して私が乱獲した所為ではない。植生が変わってしまったのだ。伐採などをして2、3年目あたりの木の陰に多いようだ。
満足するほど採れないということで、丹沢や信州の山まで採りに行ったこともある。道路脇に結構生えている。目はうどだけをスキャンしているので、遠くにあってもすぐ分かる。そのかわり景色などは見えない。太くて柔らかいのが見つかるとかなり無理をしてでもとりたくなる。
それで今年は酷い目にあった。5月3日のこと、5日に昔の山仲間が何人か来るので、ご馳走しようと自転車に乗って鎌倉の秘密の場所に出かけた。崖のかなり高いところに、柔らかそうな太いうどの群落がある。なんとかして採りたい。登山用の伸縮できるストックに鍵型の金具をつけ、これを木の根にひっかけてその崖を登ろうとした。もうあと少しでその木の根に手が届くと思ったとき、ストックの繋ぎ目がきれた。ずずっと落ちて石の角に右太腿をしたたか打った。
「痛い!」。
しかし歩くのは大丈夫。腰でなくて良かった。うちどころが悪ければ救急車ものだった。そのうどはあきらめざるをえない。それでもそれから1時間くらいあまり危険のないところで収穫し、帰ろうとしたが、大分腫れている。自転車を漕ぐのも力をいれると痛む。だんだん痛みが増す。しかたなく左脚でこぐようにして何とか家にたどり着いた。
ズボンを脱いでみると、右大腿部がこちんこちんでひどく腫れている。かなりの内出血だ。医者に診て貰っても手の打ちようがないだろうけど、ともかく病院に行った。ちょうど休み−−怪我をするのはいつも夜や休日なのだ−−なので若い当直医が、痛み止めと湿布薬を出してくれた。帰宅後、痛みはどんどんひどくなる。右足をついて歩けない。トイレに行くのもキャスターつきの椅子を使いながらということになった。結局8時間後がピークだったが、出血した血が右脚全体に広がり、ぱんぱんになって神経を圧迫し痛む。脚を高くして寝ている外ない。
脚全体が黒ずんで、ぱんぱん。しかし少しずつ痛みがとれ、5日の朝は、せり、クレソン、あしたば、よめななど他の山菜をとりに行くことができ、無事山仲間の接待ができた。6日、7日は会社に出てちょっとびっこ気味だったが、半年経たないうちの怪我ということで、目立たないようにしていたこともあり、社員に気付かれない程度、だんだん良くなるものと思っていた。
ところがである。7日の夜あたりから痛みがぶりかえす。歩いたため、また血管がきれたのか。心配になって医者にいく。中にたまった血を注射器で抽こうとしたが、もうかなり固まっていてあまり抽けない。脚を高くして寝てろというが、痛い。とくに怪我をしていないふくらはぎが腫れて痛い。怪我は日柄ものとかいう。だんだん痛みが薄れ直っていくはずなのに痛みがぶりかえすとは。
結局2日休んで、社員にもばれ、普通に歩けるようになるのに1ヵ月近くかかってしまった。黒ずんだ血は薄くなっていったが、替ってリンパ液が溜まって腫れていたものらしい。なぜ腫れるのか、医者に聞いても明快な答えは返ってこなかった。これは私の素人考えだが、筋肉が切れ、その復旧に−−ちょうど阪神大震災で復旧のトラックが渋滞するように−−大量のリンパ液が動員され、渋滞して腫れていたのではないか。ともかくそんなことで、痛みのピークが血とリンパ液とによって2回来て、一時は一体直るんだろうかと心配したのであった。
今年のやまうど採りはひどい犠牲を伴ったが、うど採りをやめる気はない。来年は「どうせ落ちてもかすり傷」と安易に考えず、もう少しリスクアセスメントを考慮して、しかも何か新兵器を考えてやらねばと反省している。
1999.6.23