45年振りの同期会で詠んだ歌
      黒木 靖生


 3月初め、私の卒業した高校(久留米大学付設高等学校)の同期生(10回生)の同窓会が九州で開かれました。それに出席した折の感慨を短歌に詠みましたので、以下に披露します。なお、私は東京で開かれる母校の同窓会には出席しているのですが、今回の同窓会の出席メンバーは九州在住の人が多く、大半の人とは昭和37年に卒業以来45年振りに会ったことになります。  

 32日(金)、羽田発1240分の飛行機に乗り福岡空港に1435分着、空港で高速バスに乗り換えハイウェイを九州道から大分道へ走ること約1時間、同窓会会場のホテル(福岡県うきは市の筑後川温泉)に16時過ぎに到着しました。たまたま同じ頃に到着した遠来組(東京2名と広島1名)と同じ部屋になり、宴会の始まる前に一風呂浴びました。  

      露天湯に枕並べて朋(とも)と聞く筑紫次郎の春のせせらぎ

  19時から宴会を開始、最初に記念写真の撮影、続いて幹事挨拶・乾杯があり、その後は自由歓談で旧交を暖めあいました。私にとっては大部分の人が45年振りですが、高校時代の面影の残っている人、全く変わっている人など様々です。なお、今回の同窓会出席者は26名、同期生は150名(全て男性)ですが物故者も10名近くいますから出席率は2割弱、ちょっとさみしい感じです。宴会は2130分過ぎにお開きとなり、恒例のごとく最後に全員で校歌を歌った後、2次会・3次会に移行しました。  

      宴(うたげ)終え全員起立し十代の心に戻り校歌斉唱

  33日(土)、友人に車で同行者2名と共に母校まで案内してもらいました。車は筑後川の土手道を下流(久留米市)に向かって走り、川岸を埋めた自然繁茂の菜の花の黄色が印象的でした。

      還暦を越えて集いし友垣と菜花(なばな)愛で往く故郷の川  

 1時間弱で母校に到着。なお、私の実家は、久留米市から汽車で1時間ほど離れた大分県日田市にありましたので、高校卒業後は母校を訪問する機会が無く、今回の訪問は、私にとっては卒業後初めてのものでした(何たる不孝者!!!)。  

母校は昭和25年に久留米大学商学部構内に創立され、昭和43年に、中学校を併設するために現所在地に移転しています。友人は先ず旧・高校の跡地に案内してくれました。旧・高校は木造平屋建てのこじんまりとしたものでしたが、跡地には久留米大学のコンクリート造りの校舎が建てられていて当時の面影は無く、「久留米大学附設高等学校発祥の地」との記念碑を残すのみでした。  

      学び舎の発祥の地の記念碑に木造校舎の温もり偲ぶ  

 続いて、近くの現・中高校に案内してもらいました。旧・高校の自前の施設は校舎のみで、体育館やグランド・図書館・学生食堂などは全て久留米大学商学部の施設を使わしてもらっていたのですが、現・中高校はこれらの施設は全て自前で持っており、また学生寮も備えるようになっています。創立以来50有余年、徐々にですが大きく育ちつつあるようです。

      半世紀無沙汰し母校の庭に立ち緑なす樹をまぶしく仰ぐ  

現・中高校の前庭には初代の校長先生の胸像が建てられており、その傍には胸像建立当時の校長先生の賛詞の碑がありましたその校長先生は、私が学んだ頃は国語の先生でした。  

      還暦を過ぎて訪ねし学び舎の恩師の言葉石碑にたどる  

 このようにして、私の45年振りの同期生との同窓会と母校訪問は終わりました。

                      (以上)

 
 
 
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