「研究会ホームページ月刊100号達成」の記    辻 淳二
 

   
 
 私たちの「経営と情報通信」研究会ホームページ(HP)は、この2007年7月号で、月刊のネット同人誌として通算100号の刊行を達成しました。1999年4月1日に創刊号を開示した時にここまで続くことを想定していた訳ではなく、「良くぞここまで」の感慨は一入のものがあります。この達成は「会員みんなで創るHP」を掲げて力を合せて刊行を積み重ねてきた賜物に他ならず、会員を初めご支援を賜りました皆様と喜びを分かち合いたいと思っています。
 私は、編集・発行に関わってきた当事者として、当HPがミニメディアながら研究会の外向きの顔としてその役割を果たしてきたことを誇らしく思っています。一方で、最近はそのあり方について会員間で話し合うことも少なくなって、ひたすら愚直に刊行を重ねている感じの現状をもどかしくも感じています。100号と言う区切りは、原点に帰る何よりのタイミングです。そこで、ここまでの刊行を総括し、このHPへの思いを共有し直す一助に供する思いで、この稿を書くことにしました。

小さく産んで粘り強く育てた!

今でこそHPは、企業では当り前、個人でも多数の人が公開していますが、当HPを始めた頃は持っていれば時代に先駆けているというイメージがありました。情報畑のコンサルタントをしていた立場上、HPを当事者として体験しておきたい気持があった私は、ある日、それまでは年一回印刷物として出していた当研究会の「同人誌」をHPという形に切り換えられないかと思い当たりました。どれほどのお金と手間隙が掛かるかの算段もなしの、ほんの思い付きでした。早速、当時アシスタントとして私の仕事をサポートしてくれていたKさんに「雑誌で言えば、こんな目次構成で会員から投稿されたコンテンツを登載するHPを」とその時念頭にあったラフ・イメージを伝えた所、彼女は数日を置かずして、HP編集ソフトを調べ、私が伝えたイメージのHPの骨格を試作して見せてくれました。後で思えば彼女の一を聞いて十を察する応用力に助けられたのでしたが、その時に、欲しいものが手の届く近さにあるんだとワクワクし、直ちに実現に向って動き始めたのでした。ミニメディアとしての体を表わす「投稿広場」とか「感動の体験」とか「創作」とかの今もそのままの欄構成も、当時私がKさんに渡したラフスケッチに書いたものを試作段階で見て「まあ、いいか」という感じの気軽さで決めてしまいました。従って、当HPを産んだ時には特段の苦労はなかったと記憶しています。
 世の中には「難産の子は良く育つ」という謂れがあるようですが、当HPの場合は、100号まで来れたことで「小さく産んで粘り強く育てた」事例になるようです。立上げ後は、月末に翌月号を編集する作業がルーティンワークとなりましたが、最初の8号まででKさんに地均しして貰ったのをその後は私が引き継いで、各月の初日の朝一番にHPを覗く読者に間に合うように、ひと月の遅刊もなく継続して(これには、当HP運用サービスのプロバイダ役の会員・米谷共比古さんに助けられました)今に至っています。


 データで見る「同人誌HPとしての実績」

100号と言う節目に当って、これまでに登載した投稿コンテンツを集計して、「会員みんなで創るHP」と謳いながらの実態を分析・考察してみようと思い当たりました。幸いに、全コンテンツがブラウザで数回のクリックで閲覧できますので、集計は簡単でした。

 そのサマリーは、以下の通りでした。

 

登載コンテンツ集計表

 

 

 

 

 

 


順位

「登載欄」名

登載コンテンツ総数

投稿者数

1

投稿広場

141

20

2

創作

132

6

3

路上観察・写真館

109

6

4

ライフワーク

82

9

5

特集企画

80

17

6

感動の体験

67

13

7

某月某日

35

2

8

オピニオン

30

6

9

ペンリレー

20

20

10

ショートエッセイ

19

3

11

B級グルメ

11

2

12

目より耳より情報

11

5

 

総計

740

(延べ)109

 他に、これでは読み取れない基本的なデータとして、以下の情報を得ています。

1 総アクセス件数は、07年6月末日時点で33,000件

2 投稿者の総数は、会員35人、会員外8人

  (登載コンテンツ数ベースで見た会員外の人による投稿比率は17%)

3 投稿数の多い上位10人の投稿数の合計は、586(全体の79%を占める)

 このようにデータ化して見るのは、編集に携わってきた私にとっても初めてで、興味深く精読しました。結論として、念頭にあったアバウトな数字感覚と比べてのサプライズはなく、この期間中にアクティブに活動していた会員数の平均は凡そ30人前後、投稿するかしないかは基本的にボランタリーという運用実態だった同好者の集まりの会のHPとしてはこんなものではと納得できる実態と受け止めました。100回の総平均として、一回の刊行当りの投稿数は7.4稿、それらに対するアクセス件数は330件。この数字がまさに超ミニメディアだったことを映していて、少数でもこのメディアを心の励みにしてくれている人たちが居て下さることを頼りに、ここまで継続できたというイメージになっています。

 編集役ゆえに出会えた感動あれこれ

 編集作業は、表紙の写真を何にするかや、多めに送って頂いた写真の中から何を選んでどうレイアウトするか等の知的な判断も含まれますが、多くは正確に読み易くアップロードするに付随する単純作業です。それでも、毎回それなりの時間は掛かります。通常、月末に数日に跨っての合計で10時間は掛けていますから、100号となるとこれまでに合計で少なくとも千時間は時間を投じてきたことになります。短期間にこれだけの時間を捻出するのは不可能ですが、月末の数日に集中と言うことで作業にメリハリを付けられること、会員を初めとする投稿者に自己表現の場を提供し続けるという使命感等にポジティブに駆動されて、楽しみながら継続することができました。その積み重ねが100号になったんだ、「継続は力なり」だなと、編集者冥利を感じています。

 加えて、この感を強めているものに、インターネットという開かれたネットワーク上に開示していることの効用として、この編集ワークをやっていなかったら絶対にあり得なかったユニークな出会いにさまざまに恵まれたことがあります。その中の、自分にとってとても印象深く心に留めているいくつかをここに記すことにしましょう。

 先ず、HPのインターネットを利用している人ならすぐにアクセスできるという効用。当HPにおいても、ズシリとした質量感のあるコンテンツを登載した号では目に見えてアクセス数が進んでいくのを見て、リアルに感じることができました。投稿者の周りに愛読者の輪ができて、それが投稿者を跨って広がって、アクセス数が相乗的に増えていくのも実感できました。

 次に、インターネットのすごさの象徴、つまりキーワード検索やネットサーフィンをしていた人が当HPのコンテンツに行き着いてその直前までは思いもしなかった出会いや感動や人生体験を得たという場面に臨場することも、多彩に体験できました。その一つは、当会の会長を長くやって頂いた新田謙治郎さんが、当HPの特集企画にズシリとした情報価値のある稿を投稿されて人気を博していた中で、そのことは全く知らなかったアメリカ留学中のお嬢さんがご自身の関心軸からネットサーフィンしていて当HPの存在を知り、さらに手繰っていたらお父さんの稿に行き着いて、すごく感動して私にメールを下さったという出会いでした。今では、結婚してアメリカに定住しておられますが、時に当HPを覗いて下さることがあると伺っています。次に、リタイア後に趣味のクラシック音楽に関して独自の鑑賞を楽しむ中で、熱のこもった大型稿を連作で投じて盛り上げて下さった大村英尭さん関連でも、いろんな出会いがありました。当の稿が過大の期待を誘発して贔屓にしておられたピアニストの後援会長にと請われて固辞するのに苦労されたとか、趣味の水泳教室に参加したプールで急逝されたとの訃報を当HPにて知り、前に難病のお子さんを大村さんに助けて貰ったという知人の方が問い合わせて来られたとか。このように、当HPを盛り立てて下さった少なからぬ人たちと、投稿者と編集者という近さで接したことでより気心の通じ合ったお付合いに進むことができたのも、「役得」の幸せでした。
 私が当HPに投じた稿に関しても、面白い出会いがありました。その一例は、滋賀県にある父方の実家の庭を約百年前に造った勝元鈍穴という庭師の追跡をしていて、インターネットから情報を集めようとしてキーワード検索をした所、出てきた関連文献/情報の5件のうちの3件が私が書いたものだったこと。その庭師は、地元では知る人ぞ知るではあっても、全国区レベルでは「誰も知らない」状態で、図らずも私の稿が「知られる」糸口を付けた形になったのでした。そして後日、同じような追跡をしている人から、検索したら私の稿にぶつかったからとの連絡があり、他にも同じ興味で動いていることを知って親しみを感じました。

 さらに、ちょっとした接点で「思い掛けない愛読者」に出会うという心和む体験も折々にありました。最近の例を言えば、私がまだ若かった頃にお客様として出会った仕事上の「戦友」で、その後も細く長くお付合いを続け、当HPに外部から投稿して頂いたこともある石塚信秀さんが亡くなられた御通夜の日のことでした。石塚さんが当HPに下さった投稿はただ一つだったのですが、それはリタイア後に多国籍の若者達に混じってドイツに短期の語学留学をされた時の顛末記で、まさに飄々とした持ち味が見事に投影した傑作だったのです。それが念頭にあったので、御通夜に出掛ける前にそのHP稿をインターネットからプリントして故人を偲ぶ会話の一助にと携行しました。そのお清めの席で隣合せたのが、石塚さんにとっては当時もその後も長く上司だった方で、私も「自分を育ててくれた、人生の先輩」と敬愛しているHさん。久しぶりに当時の苦労話などを語らう中で当のHP稿を持ってきたと話を転じると、何とHさんも同じ稿をプリントして来たとのこと。そこで、一瞬にして、図らずも思いが同じだったこと、Hさんが当HPの隠れ読者であることを知り、偲ぶ会話の余韻を奥深いものとすることができたのでした。 

 「会員みんなで創るHP」としては道半ば

 会員の中には、投稿することが好きでない人も、その気はあっても気後れする人も居られます。他に主として投稿するメディアを持っていて、当HPに投稿するバリアがもともと高い人も居られます。そういう中で、「投稿は、基本的にボランタリーな意志で」という姿勢をずっと通してきた結果が上記のデータのような実績になったということです。結果的に、35人の会員が少なくとも一回は投稿してくれましたが、当HPへの投稿を継続して自己表現のメディアとして活かしてくれた人が十人を超えることはありませんでした。投稿者と編集者との関係に関して言えば、長続きする側に入った人に、多少は推敲が足らなくても編集者に投げちゃおうと柔軟に振舞えるタイプが多かったと感じる点に、より活性化するヒントがあるように感じています。当研究会は、「・・のジャンルのことなら、個性的な自己表現ができる」というジャンルと意欲を持っている人たちが集まっている場。100号に到達した今の時期に、「多彩な人たちが、それぞれのユニークさを持ち寄って、刺激しあいながら楽しみながら育てて行く」ミニメディアとしての原点に回帰し、その可能性を有志の人たちと話し合ってみたいと思っています。

2007.6.30



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