「いとこ会」と嘉穂劇場 黒木 靖生
私の父親の兄弟姉妹は既に全員鬼籍に入っており、その子供たち(いとこ)も親元を離れて各所に住んでいますが、細々ながらも親睦を継続するために、毎年1回「いとこ会」の名目で温泉の一泊旅行を行っています。幹事は各人の親で分けた「いとこグループ」の持ち回りですが、「いとこ」の多くが父母の実家のある大分県と隣の福岡県に住んでいるため、会場は両県内が原則となっています。
今年の「いとこ会」は、私の父親の末弟の子供たちが幹事となって、7月21日(土)〜22日(日)にかけて、福岡県飯塚市近くの嘉穂郡庄内町の庄内温泉にて行われました。私は、21日のお昼前の飛行機で羽田を発ち、14時過ぎに福岡空港に到着、空港から飯塚経由田川・後藤寺行きの路線バスに乗りました。飯塚市の町並みを見るのは初めてでしたが、バスの道路沿いに近畿大学の工学部やポリテクニカルセンターの建物があり、炭鉱の後の市の中核となるべきものを必死に模索している行政の姿勢を垣間見ることができました。バスは飯塚市を出ると間もなく降車する「筑豊遊園」バス停に到着、そこから歩いて15時過ぎに会場の温泉ホテルに到着しました。なお、「筑豊遊園」は、グランドや屋内プールにテニスコートが何面も並んでいる、県立の広大な運動施設でした。
「いとこ会」の参加者は、私以外はマイカーで三々五々到着、温泉でユックリ汗を流した後、18時から恒例の宴会を開始しました。今年の参加者は、いとこ全員の13名と、その一部の配偶者を含めた総勢18名でした。宴会は、各人の近況報告から始まり、食事が終わった後は、カラオケで恒例の「のど自慢」をして21時にお開き、その後は部屋にビールを持ち込んで24時近くまで歓談しました。
なお、宴会では鶏肉(のようなもの)のシャブシャブが出されたのですが、幹事の話では、これは嘉穂郡の古野隆雄氏という有名な「あいがも農法」の実践者の「あいがもの肉」で、同氏のことが来週24日(火)にNHKの「プロフェッショナル」という番組で放送されるとのことでした(私は、この話に興味を喚起され、帰宅後、放送を見てしまいました)。ただし、「あいがも」の肉は普通の鶏肉に比べてコシが強いようで、また「いとこ」の多くが60歳以上(最高齢は81歳)ということもあり、残念ながらかなりの量を残してしまいました。
翌日は、希望者のみ、幹事の案内で有名な「嘉穂劇場」を見学しました。「嘉穂劇場」は飯塚市内にある木造の芝居小屋で、車で行く途中に麻生・現外務大臣の立派な実家の前を通りました。「嘉穂劇場」でもらった資料によれば、同劇場は昭和6年に落成していますが、前身は大正11年に開場した「中座」という劇場で、その建物が昭和3年に火災で全焼し、昭和4年に再建されたものの翌昭和5年に台風で倒壊した後を受けて建てられたものです。なお、「中座」は木造3階の堂々たる建物でしたが、「嘉穂劇場」は「中座」の台風倒壊の教訓をもとに2階建てにされました。それでも収容人員は1,400人ですから、「中座」の大きさが想像されます。
「嘉穂劇場」は、平成15年に九州北部を襲った豪雨ですぐ側を流れる遠賀川(おんががわ)が氾濫したため、建物の地下および1階部分が水没して甚大な被害を受け、再建が危ぶまれたのですが、平成16年に復旧のためのNPO法人が設立され、また、津川雅彦氏を始めとする多くの芸能人のかたがたの応援により、同年9月に復旧工事を完了し、今日に至っています。
「嘉穂劇場」は、使われていない時は内部の見学が可能で、私たち一行も、1階の桝席や桟敷席、地下の廻り舞台の機構などを見学できたのですが、間口15間(27m)、奥行23間(42m)の建物の桝席には柱が1本も立っておらず、炭鉱で栄えた当時の財力を惜しみなく投入することによって得られた優れた建築技術で建てられた建物であると実感できました。
なお、「嘉穂劇場」内の展示室で見た資料によれば、北九州が炭鉱で栄えた当時、遠賀川沿いには合計で48棟もの劇場が建っていたということで、当時の繁栄ぶりを十分に物語っている数字であると思いました。この48棟もの劇場は、今は「嘉穂劇場」を残すのみと思われますが、この貴重な文化遺産がいつまでも保存・活用されることを祈って、飯塚市を後にしました。(終り)