「一日一首ブログ」開設一年の振り返り    辻 淳二
 

   
 
 「時代の自己発信手段となったブログを当事者として活用する」と「自分の短歌詠み姿勢に揺さぶりをかける」、この2つの個人的な興味を重ね合わせて「一日一首」を中核の内容としたブログ開示を始めたのが、昨年の91日だった。ブログ名は「スロー人の暮しのアクセント」としたが(URL=http://mic.itconsult.co.jp/blog/tsuji/)、この名前に託した思いは以下のようだった。

「ビジネス活動を卒業して時間的なゆとりは増えたが、努めてメリハリのある一日一日の積み重ねとして一年一年を過ごしたい。その暮らし方を身に付けるために、その日のアクセントとして心に残ったシーンを短歌に詠んでブログに(日記替りに)開示し、励みにしよう」

 ちょうど一年経って、イメージ通りではなかった点もあるが、全体としては「やって良かった」というポジティブな手応えで順調に継続の軌道に乗っているので、これまでの実績報告と振り返りを記し、ご参考に供したいと思う。

「隔日ベースの日記」として定着

実際にどれだけ「日記」が書けたかと言うと、0691日から07831日までの365日の内の191日(全日数の52%)という結果となった。この間に登載した短歌数は、一日に2ないし3首を出している日もそこそこあるので220首近くになっているだろう。始めた直後は「なるべく毎日」と気負い気味だったが、数ヶ月経つと「毎日を意識すると、窮屈になって楽しめない」ことが分かってきた。そこで、自分の力に見合うように調整した結果、「平均して隔日」に落着かせたものである。

 効用その一:「暮しのペースメーキング」に役立てている 

多くの人にとって、やろうとしているワークに期限があることが「何かをなす」「成果を出す」上で大きな力になっていることは言うまでもないだろう。私の場合も、ビジネス人だった一年半前までは、まさにその通りだった。自由人になったら、それが、一日の中で期限が決まっていることへ投じている時間は急速に少なくなり、行動原理が「今日できることを明日に延ばすな」から「やろうと思っていたことを明日に延ばす」になりがちとなってきた。

スローライフであるからには、それも効用の一つと受容していいのかも知れない。ところが、長年に渡って期限をテコとして行動を組み立てて来た性なのだろうか、その生活習慣にドップリ浸かってしまうのは何とも心許なく、趣味を中心に暮らすとしてもそこに期限的な縛りを組み込んで生き甲斐や成果を大きくして行く工夫が必須と感じるようになった。

このブログ開示は、まさにこの問題意識とベクトルが合う筋のものだった。上記のように私のブログは平均的に隔日なのだから、確定的に期限があるものではない。ただ、何日か歌想が沸かない日が続くと「今日辺り、詠まなきゃ」と気持が高まって来るし、家に篭っているよりも外に出た方が想は沸くので出て行くとそこでその日のアクセントになるシーンに出会う、といった好循環を下支えしてくれている。

実際には、これらは、ごく他愛ないことの積み重ねである。一つ一つは、次のような小さなことが多い。
 今年は8月がすごい猛暑で、そのさ中には私も腰が引けて、陽射しの強い日中の外出を避けがちだった。ところが、ブログは毎回短歌に添えて花の写真を一葉づつ載せる作り方にしていて、それを撮り溜めるには陽射しのある時間帯に出かけないといけない。そこで、真昼間に、駅前のコンビニでコピーを取るという雑事と合せて出掛けた時にできたのが次の歌だった。

コンビニでコピー取りつも汗が湧き買いて出でたりアイスキャンディーを

私にとって、コンビニでアイスキャンデーを買うと言うのは、前にいつあったかとの感慨が伴う、珍しいできごとだった。

 効用その二:日付入りで「感興/感慨の記録」の蓄積ができている

 ブログの性格上、日記的な効用があるのは当然であるが、私の場合もそれは十分に享受できている。上の例のような些事が多いのだが、「暮しのアクセント」として私の心に留まったシーンや話題を歌にしているので、かなりの歌は、登載してから相当の年月が経った後でも、それを詠んだ時の背景や感動を思い出して例えば2分くらいその話題で話すことはできそうである。他にも、身近かなコミュニケーションを活性化するよすがになることに思い当たっている。歌のシーンに同席した人には「あの、一緒に・・へ行った時のことだよ」と話すことができるし、割に頻繁に登場する孫には十歳とか成人式とかの節目に「・・歳の時に・・へ一緒に行った時のだよ」と冊子にして渡してあげることもできる。この時には中に含めるだろう歌の一例を挙げると、この8月上旬に次の歌を詠んでいる。

孫と行く夏休み計画定まれり友と行く如く会話を重ねて

我が家では、春休みとか夏休みとかになると、孫を12日預かってその時にしか経験できない所に同行しているが、これまでは孫の母親である長女と相談して行く場所を決めていた。それを今年は、2年生になったから自分の行きたい所の方が良かろうと、私からいくつかの切り口の案を提案し、それを基に電話やFAXで会話しながら決めていった。そのやり取りの中で、小児の成長の一歩前進を感じて詠んだものである

 効用その三:「歌詠みの前進」の手応えを感じている
 
 「一日一首」ブログを始める前の私の歌詠みは月単位型、つまり、旅行したとか梅を観に行ったとかの、その月の主要行事の場でまとめて十首程度を詠むのが実態だった。従って、「日々に詠む」への切替えはそれなりの行動変革が必要なものだった。前は、臨場した場で歌に詠むシーンを十前後手帳に書き留めて来て、数日以内に短歌にまとめ、メールで松本東亜先生(歌会グループ「すぎなみ」主宰)の添削指導を受けて推敲して仕上げるというやり方だった。それを、一日の行動の中で歌にするシーンだけは掴まえておいて、夜の11時頃にパソコンに向かい短歌にまとめて即アップロードするというやり方に切替えた。当然ながら、「暮しの中の些事だけど、そこに心が動いた」ことに歌材を求めるのだから、対象は多様になるし、歌数は多くの日は一首だけということもあって、読む人から見れば分かりにくいものもかなり含まれるという時期を通らなければならなかった。

 一年経った今は、「自分の短歌詠み姿勢に揺さぶりをかける」という当初の狙いに照らして、中途半端よりも思い切った揺さぶりを掛けた意義は大いにあったと受け止めている。それは、「暮しの中の些事」に歌材を見付け、何回か推敲して歌に仕上げる(この過程で、松本先生に添削、大河原惇行先生(アララギの流れを汲む歌会グループ「短歌21世紀」主宰)に面接指導を頂いている)という一連の行動の中に、少しづつではあるが、前進の手応えが自分なりに感じられるようになっているからである。そしてそれは、「この世界、かなり奥行きが深い」「まだ、自分はやっとその入り口に達した所」との実感と表裏一体となっている。
 
 その感触の一例を記すと、次のようである。
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月の下旬に横浜に出掛けた時に、私は、久しぶりに南武線に乗ったことでこまめに乗換駅を気にしている自分の仕草に「これは、老いかな」と感じたことから、次の歌を詠んでいた。

少しばかり我も老いしか乗り換えの駅かと目をやる仕草増えしは

その後、大河原先生が「島木赤彦文学賞」を受賞されたのを機に、8月下旬に歌友で赤彦ファンのAさんと赤彦が生まれ育った信州・ 下諏訪町 を訪ねた旅で、赤彦にも同じような感慨から詠まれたと思しき次の名歌があることを知った。

谷かげに苔むせりける仆れ木を息づきゆる我老いにけり  赤彦

この歌に接して、清澄で格調高い写生歌で知られる赤彦にして「暮しの中の些事」を掴まえた詠み方の名歌があることを知って意を強くした一方で、同じ老いを感じた歌でも私のは何と深さのないことかと追い付き難い格の差を感じたのだった。

それでも、今までは、自分の歌と世に知られる名歌とを並べて自分の歌創りに思いを馳せることは全くなかったに近く、そういう気持が出てきたことは前進の方向にあると受け止めているのである。
 

 「ファン読者の存在」が励み

 ブログはインターネットの一つの活用法なので、そこにコンテンツ(私の場合は短歌)を登載することで読者とのコラボレーションや思わぬ出会いが得られることは、始めた時にはかなり期待していた。ところが、コンテンツが短歌で、しかも修行中の身の半端な作品に留まっていることがブレーキになっているのだろう、まだ、未知の人から私のブログを読んでコメント等を頂いて親しく交流する流れに入るという実績を作るまでには到達できていない。

今の所は、当研究会の会員の人も含めて、かねてからの知人・友人の十人余りの人が私の近況を時折ブログで覗くことに活用して下さっている段階に留まっている。面談や電話/メール等での会話で、ブログの内容に関わることが話題になって、「読んで下さっているんだ」と分かった時はとても嬉しい。そういう人たちが居て下さるのだからしっかりと前進させて行かなければ・・と、大きな励みになっている。

率直に言って、思わぬ人との出会いやコラボレーションという点に関しては、その感動を実感できていない。ここに至るには、まだまだ一日一首のブログの地道な継続とその中で短歌のレベルを上げて行くことが必要なようだ。その延長線上に、私と同じように短歌でブログを開示している人に出会い、そういう人たちとのネットワークが広がっていく日があることを楽しみに、2年目の活動に進んで行こうと思っている。[2007.8.31

 
 
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