[シリーズ投稿・枚方通信(その25)]
丸中 正量
はじめに
スカウトは8月の夏のキャンプで1年間の活動の総仕上げをする。大自然の下で自主性と友情を育みながら、生きるための技術を習得し、練磨する。そして9月、学校の周期では2学期だが、スカウトは新しい年次に進級することとなる。
通常団毎に開催する夏のキャンプは、今年、北大阪地区(
2万人規模の大集会(ジャンボリー)に比して小規模(キャンポリー)と言いながら、北大阪地区の在籍者約1千名の半分、500名規模のキャンプサイトを探すのは並大抵でない。1年以上前から複数の候補地の中から下見を繰り返して、今回、
ボーイスカウト創始100周年記念と第21回世界ジャンボリー
奇しくも今年は、ボーイスカウトが創設されて100年目に当たる。第21回世界スカウトジャンボリーが7月28日〜8月7日、発祥地のイギリスで開催され、世界155の国から4万人が参加した。日本から1500人、北大阪地区からも3人を派遣した。9月24日にテレビ放映がされたが、11日間のキャンプ生活の中で様々な活動に挑戦し、様々な国際交流プログラムに参加している様子が映し出されていた。スカウト達はまさしく人種、国籍、宗教、言語を超えた友情を築いて帰国したに違いない。
この世界ジャンボリーに呼応する形で、8月12〜16日、当地区のきゃンポリーを4泊5日で開催したことになる。
両キャンプのテーマとサイト
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第21回世界スカウトジャンボリーランド |
‘07年北大阪地区キャンポリー |
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サイト |
イギリス・チェリムスフォード州・ |
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期間 |
‘07年7月28日〜8月7日 |
'07年8月12〜16日 |
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テーマ |
One world,one promise |
うみ・やま・そら 〜そして旅立ち |
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バッジ (ワッペン) |
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シンボルの解説 |
ここに表わされているのは、スカウト活動新世紀の日の出で、さらにジャンボリー・サイトであるグリーン・パークランドの起伏と平和の象徴である鳩が描かれている |
二つの大橋を渡った |
スカウト発祥の地に立った北大阪地区の3人と大阪の仲間たち
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創始者のBP(ベーデン・パウエルが1907年、20人の子供たちと実験キャンプを張ったブラウンシー島に立つ看板 |
ブラウンシー島のBPの石碑の前で、北大阪地区から派遣されたM隊長と2人のスカウト |
大営火で河内音頭を披露した大阪隊 |
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キャンポリーの期間と規模
ベンチャー、ボーイ部門は4泊5日、カブ部門は3泊4日、ビーバー部門は2泊3日と、若年層はそれぞれ1日減じた期間としている。
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スカウト部門(区分) |
年代 |
キャンプ期間 |
形態 |
人数 |
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ベンチャー・スカウト |
中3〜 |
8月12〜16日 |
野営(テント) |
25 |
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ボーイ・スカウト |
小5〜中3 |
119 |
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カブ・スカウト |
小2〜小5 |
8月13〜16日 |
舎営(宿泊棟) |
177 |
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ビーバー・スカウト |
年長〜小2 |
8月14〜16日 |
104 |
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本部スタッフ |
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8月12〜16日 |
両形態 |
30 |
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計 |
(9月〜8月) |
− |
− |
455 |
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開会式(8月12日) |
林間の家型テント |
食卓 |
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プログラム
ボーイ部門(カブ、ビーバー部門は省略)
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時間 |
12日(日) |
13日(月) |
14日(火) |
15日(水) |
16日(木) |
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5:30 |
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起床 |
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6:00 |
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朝食・点検 |
起床・点検 |
起床・点検 |
起床・点検 |
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7:00 |
枚方出発 |
朝礼・国旗掲揚 |
朝食 |
朝食 |
朝食 |
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8:00 |
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8:00出発 |
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8:30 |
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(屋島での プログラム) 那須与一に挑戦 カッター 競泳選手権 |
朝礼・国旗掲揚 |
朝礼・国旗掲揚 |
朝礼・国旗掲揚 |
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9:00 |
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さぬきうどん づくり |
巡礼 お遍路の旅 80番 〜82番札所 |
撤営 |
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10:00 |
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11:00 |
五色台着 |
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12:00 |
昼食 |
昼食 |
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13:00 |
設営 |
閉会式 13:30出発 |
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14:00 |
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15:00 |
竹細工 |
記念品作り (焼き板) |
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16:00 |
屋島発 |
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17:30 |
夕食準備 |
夕食準備 |
夕食準備 |
夕食準備 |
枚方着 |
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18:00 |
夕食 |
夕食 |
夕食 |
夕食 |
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18:30 |
国旗降納 |
国旗降納 |
国旗降納 |
国旗降納 |
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19:00 |
開会式 |
飛脚への伝言 |
月光・肝試し ハイク |
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20:00 |
天体望遠鏡 |
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21:30 |
班長会議 |
班長会議 |
班長会議 |
班長会議 |
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22:00 |
消灯・就寝 |
消灯・就寝 |
消灯・就寝 |
消灯・就寝 |
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22:30 |
隊長連絡会議 |
隊長連絡会議 |
隊長連絡会議 |
隊長連絡会議 |
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二つのプログラム
○巡礼・お遍路の旅
五色台は標高370mの高台に、四国88か所霊場巡礼の最終に近い80番国分寺、81番白峰寺、82番根香寺が並んでいる。80→81→82番札所のルートで5時間コースを設定した。記録的な猛暑の中での歩き巡礼は、途中で2、3名ではあるが落伍者が出るほどきつかったようだ。
当団の一人のスカウトの感想文から
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「このキャンポリーで学んだこと」 R・S(小6) ボーイスカウトに入団して初めてのキャンポリーでぼくはいろいろな経験をつんできました。 まずは、他団との交流です。僕たちの班に枚方9団が入っていました。スカウトは全部で80〜90人ほど来ていましたが、5団以外の人は顔見知りはほとんどいませんでした。 僕がこのキャンプで一番楽しかった、だが辛かったことは、お遍路です。 前日に話を聞くと、このお遍路の間には88個ものお寺があり、そのお寺にある像をひとつ一つ巡礼していくもので、道のりは1,440kmもあるそうです。今回は80〜82番札所を歩きました。 最初は順調だったけれど、最初から2kmあたりのところで長い階段や坂が出てきてきつくなってきました。また、一本松のところでは上田君がリタイアしたので一人減って5人になってしまいました。そこからは下り道で、ずいぶん楽になりました。そして、白峯山にお参りしてから昼食を食べて、また歩きました。そこから6km程で根香寺に着いてお参りしてから五色台にもどりました。一番きつかったところは、五色台へもどるときの坂道だったと思います。出発して5時間で着きました。 他にも、屋島で塩水プールやビーチフラッグ、七人八脚をしたし、手打ちうどん、肝試し、大集会、天体観測など、いろいろなプログラムがあってとても楽しかった。 キャンポリーは、一つの団だけでなく、みんなが力を合わせてできるものという意味で、いつものキャンプとはまたちがう経験ができたと思います。 この経験を今後の活動に活かしたいです。 |
○大営火
スカウトのキャンプの最大のプログラムは、何といっても大営火(キャンプファイアー)だろう。営火を囲んで自分たちの歌やスタンツを思い切り出し合ったほか、地元の和太鼓クラブやよさこい踊りグループによる郷土色豊かな賛助出演まであった。ハイライトは、サックス奏者の、”つぼ健”こと坪山健一氏の出演だった。当団の出身である氏は、スカウト時代に音楽家になりたいという夢をあきらめることなく追い続け、音楽教師の身分を捨ててプロの夢を見事に実現した先輩として招かれた。スカウトソングをポップ調に編曲したものや持ち歌を取り交ぜた演奏は森の木々とスカウトの心に深く沁み込んだ。
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“つぼ健” |
巡礼姿のR・S君 |
毎朝新聞の発行
本部スタッフの一員として参加した私の担当は、広報。同じ枚方5団の団委員のAさんと共同し、スカウト達の活動を取材して、翌朝、「毎朝新聞」を発行して全員に配布することであった。このため、パソコン、プリンター、デジカメのそれぞれ2セットを軽四輪に積んで現地に乗り込んだ。軽四輪を持ち込んだのは、取材活動に機動性を確保するためと、少しでも安い印刷センターへ持ち込み印刷をするためには、キャンプサイトから16kmも走る必要もあったからだ。
意気込みは良かったものの、A3版サイズ×裏・表(A4版×4ページ分)の速報を毎日速報することは実際には困難を極めた。3部門の活動の取材と写真撮影を2人の担当でこなすのは不可能に近いことが判明し、結局、隊活動中のリーダー達が自前で撮られたデジカメのカードと取材メモを夕食時に拝借して編集する方式に変えた。その簡便方式を取っても、結局3日3晩とも徹夜作業となった。速戦、速攻に弱いシルバーエイジを恥じた。
五色台という高台にあるキャンプサイトから最寄りのコンビニまでが約5km。A3版の裏表コピーは1枚の単価が20円。16km離れた印刷センターに出向くとコピーに劣らない高品質のリソグラフによる簡易印刷で、セルフだが単価7円50銭でやれた。そもそも
U氏とは、今から50年前、異なる大学のE.S.Sに所属した者同士がディベートなる対抗試合で一度同席しただけで、以後一度もすれ違うことなく過ごしてきたが、最近、別の共通の友人を介して再会した。O大法学部を卒業後も英文学への思いを断ち切れず、再度、文学部に再入学(学士)され、T大の英文学教授を退職された後も
おわりに
8月12日(日)、朝7時にスカウトを乗せて枚方を出発したバスは、お盆の帰郷組や高知のよさこい祭り(8/9〜12日)、徳島の阿波踊り(8/12〜15日)の観光組とぶつかり大幅に遅れまいかというスタッフの心配もよそに、4時間強で無事に到着した。到着後、間髪を入れず開会セレモニーが順調に滑り出したなと思う間もなく、気分を悪くしてバタバタと倒れるスカウトが続出し始めた。冷房のきいた大型バスで到着し、いきなり炎天下に放り出されたせいとはいえ、内心、スカウトが、、と舌打ちをした。
13日のカブ、14日のビーバー到着時のセレモニーは、このため場所を隅の木陰に極端に寄せてセレモニーをとり行った。4日経った16日の閉会式は、すべての部門とも真黒に日焼けしてたくましくなった面々を目の当たりにして、さすがスカウト、、と内心ほくそ笑んだ。
ボーイスカウト日本連盟の登録人員は、1983年の33万人をピークに減少に転じ、'06には18万人となった。‘83年は任天堂からファミコンが発売された年というのが象徴している。すでに'60年代の日本経済高度成長時代から都市化の進展とともに野原が消え、川が汚染され、都市からは空地がなくなり、裏道にも自動車が侵入して子どもたちの遊び場を取り上げていった。子どもの集団の少数化、遊びの室内化、遊び道具の商品化が進み、ファミコンがその流れを決定的にしてしまった。子どもたちから遊びとバランスを奪い、ボーイスカウト運動を減衰させた元凶は、過度の文明の進展にある。しからば、子どもを、スカウトを救うものは、スカウト運動であるということ乎。 (’07年9月30日記)