「8月15日の甲子園」

                     倉石 英一

 日本の夏を彩る風物詩といえば何でしょうか。おそらく誰もが思いつくのが夏祭り、花火大会、お盆の帰省ラッシュと言ったところでしょう。その中の一つに「夏の高校野球」というものも挙げられると思います。

 野球というのは、私のように小学生で終戦を迎えた世代にとっては殆ど唯一の娯楽というか楽しみであったと思います。そういうわけで、私も野球少年でした。当時はラジオしかない時代で、NHKの志村アナウンサーの実況放送に胸をおどらせたものです。しかし、野球は何と言っても遊びの中心でした。当時は物が全くない頃でしたので、ゴムボール一つで、それ以外は全く道具を使わずに「三角ベース」という野球もどきの遊びを毎日のようにやっていました。誰がルールを考えたのか、わずかの広場のスペースと数人のメンバーがそろえばすぐに始められた、まことに省資源型の遊びでしたが、それでも十分に楽しめたものです。

 私の野球に対する関心の原点は、まさにこの子供のころの経験ですが、高校野球についてはまた別の思い入れがあります。高校在学中には野球部が甲子園に出たほどの強豪校であったことも多分に影響しています。当時、その高校は県立校ながら、その県でもトップの進学校でしたが、野球に限らずスポーツも結構強くて、いわゆる「文武両道」の校風でした。最近の母校は、ご多分にもれずというか、「文」の方は私立校に先を越され、スポーツなど「武」の方も二流に甘んじており、私のような大先輩からしても嘆かわしい状況になっているようです。

 閑話休題(話を元にもどして)。

 そのようなわけで、高校在学中にも、母校の応援に何度も球場に行きました。長じて社会人になっても、たまたま関西在住だったこともあり、春も夏もずいぶん甲子園に通ったものです。

 高校野球の人気は今でも全く衰えていないようですが、その要素がいろいろと考えられると思います。野球を純粋に見るという目的であれば、プロ野球観戦に行けばよいのですが、なぜ、甲子園にあれだけの観衆が集まるのでしょうか。

 一つには郷土を背負っているという意味、つまり「おらが国さの代表」を応援したいということもあるでしょう。また、球児たちの青春と情熱を賭けた熱いプレーにおのれの日頃できない夢を仮託するといった面も多分にあると思います。

   しかし、先日テレビである人が「観衆は高校野球を見ながら、実は"野球以外の何か"を見ている」と語っていました。高校野球人気の秘密はこのあたりにもありそうです。それは、プロ野球では味わえない感覚です。プロ野球はやはり特定のひいきチームの勝負であったり、技術や監督の作戦などを楽しむものでしょう。甲子園ではなぜか目の前の野球を通して、自分の過去、現在、未来を思ったり、家族や親・兄弟やまわりの人のあれこれを思ったりするのです。

 こういう要素は特に夏の甲子園において強いように思います。なぜかと考えると、その時期が日本の終戦記念日と重なることで、私のような世代、つまり「戦後派」でありながら、一部「戦中派」の影をも背負った世代、またはそれ以前の世代の人達にとってさまざまな思いがより強くなるような気がします。このような心情を託すことのできる対象が高校野球ではないでしょうか。

 それでなくとも夏の甲子園のスタンドに座っていると、つくづく平和のありがたさをかみしめる気分になります。屈託なく野球が楽しめる時代に生きているという何ともいえない幸福感につつまれます。それ以外にも、この1年間での自分や家族や周りの人あるい環境の変わったこと、変わらなかったことなどざまざまな感慨が胸に去来するのです。それらが凝縮されるのが「8月15日の甲子園」というわけです。

 この日、正午になると試合が一時中断されて、プレー中の選手も審判員もその場に脱帽して立ちます。その他の選手達はベンチ前に整列します。スタンドの観衆も全員立ち上がります。応援や声援がやんで、そして一時の静寂に甲子園が包まれると同時にサイレンの音とともに全員が黙祷をささげます。

 サイレンが鳴り終わって、わずか一瞬の静けさが訪れます。そして再び応援合戦が始まり、元の喧騒に戻りますが、この「間」が何ともいえないのだなぁ。静から動への誠に微妙なうつろいというか何というか、うまく説明できませんが、実は、この一瞬が楽しみでわざわざ8月15日に甲子園に行ったことも何回かあります。行けないときは必ずテレビを見ますが、テレビでは残念ながら、もう一つこの微妙な感じがつかめませんね。この感覚を味わうためには現場に行くしかないと思います。

 もちろん、この一瞬のためだけでなく、上に述べたような高校野球の楽しみ方を楽しむことをも期待して、この日の甲子園を目指すのです。そして、それが8月15日であれば、なおさら一層、何か「しんとした」思いにとらわれるのもいつものことです。

 まあ、「8月15日の甲子園」に特別な思い入れを持つこと、ましてや正午の黙祷前後の動―静―動の「間合い」などにこだわるのは、単なる私の個人的な感性のレベルの話なので、他人に理解していただくつもりは全くありませんが、こういう高校野球の楽しみ方もあるのだということで駄文を締めくくらせていただきたいと思います。

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