「難病からの復活」記
新田 謙治郎
六年間アメリカ(ボストン)に駐在し、帰国直前になって健康を害して成田から病院に直行する羽目になってしまった。以後一年三ヶ月入院生活が続き、退院してからも約一年は入退院を繰り返す生活だった。ようやくここ八ヶ月入院生活とは縁が切れ、発熱しても自己快復力がつくようになった。結果として慢性気管支拡張症が残り、咳と痰に悩まされる生活が続いている。風邪を引き易く、肺炎になりやすいのでもっぱら抵抗力(体力、免疫力)をつけることが肝心な状況にある。
私の病気はアスペルギルスという黴(真菌)が肺の中に浸食する難病である。病気の原因を見つけるまでに一ヶ月かかった。真菌だから細菌に対する抗生物質のような特効薬は無い。しかも症例が非常に少ない。最初は比較的最近(といっても1990年頃)に発売された副作用の少ない薬を飲んでいたが、じわじわ悪化するのみ。医者から与えられる情報があまりにも少なく、面会を求めても「学会があるから」「他の約束があるから」とすぐ逃げてしまう。これでは駄目だと思ったので、外科手術の可能性を探るという口実で紹介文を書いて貰い、日赤医療センターに転院させて貰った。但しここでもアスペルギルスの症例は無きに等しかった。担当医にとっても初めての患者だった。(と後になって解った。)
当初はこれまでの薬に1960年頃からあるファイギゾンという薬(毒薬というラベルが貼ってある)の吸入や気管支への直接注入を試みたが病状は悪化するばかり。ついに最後の手段(と医者は言った)としてファンギゾンの24時間静注点滴をすることになった。これは副作用の強烈なやり方で、中でも発熱(38度以上)嘔吐(何も食べていなくても一日10回くらい)何よりも腎臓への負担が重く、人工透析一歩手前で薬の量を加減するとアスペルギルスが進行してしまうから、又注入量を増やすという繰り返し。これ以上続けられないところで点滴を止めたが、体重は水膨れで12kgも増え、肋膜にも水がじゃぶじゃぶ溜まっている始末。但しこの時点で運良く真菌は押さえ込むことが出来て、今日に至るまで検痰でも、血液検査でも真菌はマイナスになっている。
病院生活を通じて医者や看護婦と患者の関係について考えさせられることが多かった。両者の信頼関係を築くことは必須である。その為には何でも聞くこと、患者としての希望を遠慮なく申し出ることだと思う。「インフォームド・コンセント」(すなわち医者が病気に対して、必要なことを患者に伝え検査や処置に対して了解を得る。)は当然の要求として、それだけでは足りない。患者によっては何事も医者委せ、自分の病名さえ知らない人がいる。
自分に与えられる注射や薬が何であるか知らない人がかなり居て、医者もしつこく聞かないと話してくれない。私の場合、病状にも依ったが少なくとも月一度は内科部長と担当医に30分から1時間は時間を貰って、レントゲンや検査結果を前にして病状の経過報告を受け、またこちらからいろいろ質問もした。さらに症例が少なかったのでインターネットで症例を引き医者に見せて意見を聞いた。病院ではインターネットが使えないので、息子が検索してくれた。日本の事例は少なく(数十件)アメリカは3000件 ぐらいあるので選んで検索して貰い、例えば投薬例などを医者に見せて、健保の制限の二倍の投薬量を出して貰ったこともある。こうなると医者も本気にならざるを得ない。真菌症の学会に出たりアスペルギルスの症例の多いと思われる病院に出向いて、治療の適不適を聞いて来てくれたりした。その意味で担当医の誠意には感謝している。
「セカンドオピニオン」を求めることも治療の役に立つと思う。但しこれには現在かかっている医者が快く同意してくれないと診断書も書いてくれないし「医者が信用できないのか。」と後で面倒を見てくれないリスクがある。私の場合たまたまアスペルギルスの権威者だという医者を紹介してくれる人がいて、是非その人の意見を聞きたいと思ったので思い切って担当医に話し診断書も書いて貰った。丁度入退院を繰り返していた時で病状の安定の目途が立たない時期だった。診断書は病歴、治療歴も含めてかなりくわしいものだった。権威者という人も即断せず「かなり複雑な病歴なので、来週の院内会議にかけて議論をしておきます」と約束してくれた。結果として「今の治療が最適でしょう」と言われ安心した。そして「これだけの病歴をまとめたことは何よりもその担当医にとって勉強になったと思いますよ。学会への発表準備も出来たようなものですしね。」といわれた。最初はやや考え込んだ「セカンドオピニオン」だったが、思い切ってやって良かったと思う。
看護婦とのコミュニケーションも大切だ。委せっぱなしにしておくと薬を間違えたり、その量を誤ったり、して貰うべき処置を飛ばされたりしかかったことが何度もある。これは看護婦自身のミスもあるが、医者との連絡がリアルタイムでついていないとか、三交代の看護婦間の連絡ミスも多い。例えば点滴の時、薬の名前と量を確かめた後、2時間で落とすとすると1秒に何滴落とすかの計算をする。よほどのベテランの看護婦を除いて大抵私の暗算の方が早いから、計算の間違いを指摘することになる。「新田さんには随分鍛えられました」といった新米の看護婦が何人かいた。こうなると看護婦との間に適度の緊張感が生まれてミスも少なくなるのではと思う。なにしろ病状に応じた抗生剤に加えて抗真菌剤、鎮咳剤、去痰剤、止血剤、血圧降下剤、増血剤、胃薬、整腸剤、時には頓服の咳止めや解熱剤、ステロイドなど薬の種類だけでも大変である。しかも50人の患者に対して看護婦は6,7人(夜間は3人)だから、廊下を歩いている看護婦はほとんどいない。(走っている。)病院での手違いが新聞を賑わしているが、これはちょっと油断すると起きて当たり前のような気がする。後は自衛手段しかない。
家族の支えがないとここまでやって来れなかった気がする。毎日少しでも栄養のある物をと運んでくれたり、新聞すら読めなかった時にニュースの要点を話してくれたり、正月には家族全員でおせち料理を運んで来て一緒に食べたりしてくれた。後で知ったことだが、ファンギゾンの静注で腎臓機能が限界になり薬を減らして病状が悪化し、一方では薬の副作用に医者が怖れをなし頭を抱えていた時、(ひょっとしたら「治療には全力を尽くしたから、これ以上は病状が悪化しても仕方がない」と医者が思っていたかも知れない)家内が「先生、人の命と腎臓とどちらが大切と思っているのですか」と喰ってかかったことがあるらしい。その結果、医者は静注の量を増やし、腎臓は何とか耐えて、病状が改善していった経緯がある。まさに家内に命を拾って貰ったようなものだ。
現在は再発を防ぐために体力、免疫力を付けるためにいろいろと努力している。その為にやっていることを上げると
・バランスのとれた食事。(家内が気を使っていてくれる。)
・気功(河野二郎さんに紹介していただいた中国気功センターへ毎週。「香功」を毎日)
・「みんなの体操」「ラジオ体操T&U」か、30分から1時間の散歩。
・ 飲み物は「ゲルビタン」(ゲルマニューム)、プロポリス、ビタミンC&E、漢方薬「ツムラ補中益気湯」、ビフィーズス菌(整腸剤)など。他に多くの人からいろいろ薦められたが飲みきれない。
おかげでここ8ヶ月は次第に抵抗力が付いて来ているのを実感している。
人間健康が一番大切と解っていても病気になるまでその本当の有り難さがわからない。拾った命を大切に細くても長く家内と二人三脚で生きて行たい。未だ会社勤めだが第二の人生をどう充実させるか考え始めたところだ。