明けましておめでとうございます     黒木 靖生

 

 さて、一昨年・昨年の年末・年始は、いわゆる「西暦2000年問題」が世間を賑わしていました。皆様がたの中には、「勤務先あるいは得意先に泊まり込んだ」かたも、大勢いらっしゃるのではないかと思います。

 かく言う私は、

 @ ホストコンピュータおよびパソコン・サーバーの西暦2000年問題対応は、年内に終えていた。

 A 勤務先の業務は、年末・年始は例年どおり「お休み」であった。

ため、一昨年・昨年の年末・年始は、家でゆっくりと過ごすことができました。

 

 一昨年、私を一番悩ませた「2000年問題」は、お客様(企業)からの「当社の2000年問題の対応状況に関するアンケート」で、私どもの会社は取り引き先が多いため、アンケートが引っきり無しに送られてきて、その回答を書くのに私の多くの時間を費やしました。

 今年の新年の話題は、何といっても「新世紀」でしょう。今年は、21世紀の最初の年であり、この「100年に1回しか巡って来ない記念すべき年」の新年を迎えられることは、何とはなしに「おめでたい」と思ってしまいます。

 また「新世紀」を出しにしてお祝い気分を盛り上げ、わが国の沈滞した消費気分に「カツを入れる」という効果を期待できるかも知れません。

 しかし、この西暦2001年という年は「イエス・キリストの世になって2001年目の年」ということであり、これは「キリスト教文化の年号の数え方」と言えると思います。

 恐らく、回教徒には違った年号の数え方があるでしょうし、ユダヤ教徒も異なっているかも知れません。仏教徒が、お釈迦様の生まれた年を起点として年号を数えても不思議ではないような気がします。

 また、ご存じのように、我が日本には「元号」がありますし、戦前は「皇紀」というものもありました。これらは、日本文化に基づく年号の数え方であると思います。

 私がここで意識しているのは、

 @ 年号の数え方は文化に根ざしたものであり、

 A 「西暦」とは「キリスト教文化」の一つであり、

 B 今現在、世界が広く西暦を採用しているのは、「キリスト教文化(キリスト教徒)が世界で支配的である」ことの象徴ではないか。

ということです。

 もし、過去何世紀かにおいて、キリスト教文化以外の文化が世界で支配的であったならば、世界は「西暦」とは違った年号の数え方を採用していたかも知れません。

 また、昨年話題になった「ミレニアム(千年紀)」も、当然「西暦」に基づく考えかたであり、もしキリスト教文化が世界で支配的でなかったならば、この「1000年に1度のお祭り」も祝われなかったかも、そしてWindowsME〔Millennium Edition〕と言う名称もなかったかも、更に、昨年、世界を振り回した彼の「2000年問題」も、或いは発生しなかったかもしれません。

 ここまで「キリスト教文化が世界で支配的」などと「肩肘張って」書いて来たのですが、今や「西暦」は「キリスト教文化」の枠を超えて「世界共通の文化(グローバルな文化)」に昇華しているとも考えられます。

 そうは言いながらも、人類(と言うより全ての生命体)が気候・風土に合った生活を続けるために、「地域固有の文化(リージヨナルな文化)」も大切にしたい、と考えています。

                                  (以上)

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