あけましておめでとうございます 高 嶋 宏 尚
新しい世紀となりました。小学生の頃に「世紀」という言葉を知った時、「21世紀には自分は50歳を超えている」と考えたことがありました。21世紀は気が遠くなるほどの遥かな彼方の世界で、山育ちのぼんくら小学生の頭では、どう考えても50歳を過ぎた自分と2001年になった世の中を想像することは出来ませんでした。しかし、今まぎれもなく自分は21世紀の社会の空気を吸っています。重苦しく、悩ましいことの多い世の中だとは思いますが、何がしかの希望もないことはありません。21世紀は「公正」が実現される世紀であってほしいと願っております。
昨年10月に30年勤めた農林中央金庫を退職し、投資信託会社に転籍しました。新たな職場環境と課題の大きさ、多さに右往左往しておりますが、今年も元気で楽しくやっていきたいと思っております。
(我が家の正月)
文字通り「十年一日の如し」ですが、我が家の元旦についてもご紹介いたします。まず大晦日です。夕食後、家内と子供たちはお菓子をつまんだり、みかんを食べながら紅白歌合戦を見ています。小生は自室にこもってベートーヴェンの「第九」を聴くのが慣わしです。深夜になって全員で年越しソバを食べ、テレビの「ゆく年来る年」を眺めているうちに家族は寝てしまいます。小生はそれから、ビデオでジャック・レモンとシャーリー・マックレーンのコメディ映画を見たり、衛星放送のベルリン・フィルのジルベスター・コンサートを録画したりして夜更かしをします。年によっては、年賀状をこの時に書いていることもあります。
前夜の夜更かしのせいで、元旦は日が高くなってから起きだします。その年によりピアノかチェンバロ演奏かの違いはありますが、決まってバッハの「平均率クラヴィア曲集」をかけたくなります。穏やかに新年を迎えたいとの気持ちに、この曲の単調さと清々しさがぴったりのように思います。バッハをBGMにして、家族揃っておせち料理と雑煮をいただきます。その後、やはり家族全員で(と言っても4人だけですが)写真を撮ります。場所も決まっていて、居間のソファのところです。毎年の元旦の写真を並べると、子供の成長や自分が馬齢を重ねていく様子が解るという訳ですが、いつまでこうして全員で写真が撮れるかなと思うのも毎年のことです。写真の後は、4人揃って近くの神社に初詣に行くことにしています。子供たちの楽しみは、御神籤を引くことのようです。
午後は、クラシックを聴きながら届いた年賀状を読みます。この時の音楽も決まっています。ひとつはモーツアルトの「フルートとハープのための協奏曲」で、優雅で華やかさとちょっぴりメランコリックな情感もあり、お祝いの気分にぴったりの感じです。もうひとつは、ドヴォルザークの交響曲第9番「新世界」です。この曲は演奏家も決まっていて、毎年イシュトヴァン・ケルテス指揮のウィーン・フィルのものです。伸びやかな広がりを感じさせる演奏で、まさしく新年に相応しいと思っています。
夜はNHKの衛星放送でウィーン・フィルのニューイヤー・コンサートを見るのが家族皆の楽しみとなっています。技術の発達のおかげで、 ウィーンの人達と同時にウィーン・フィルのコンサートを楽しむことが出来ます。ニューイヤー・コンサートの締めくくりは「ラデツキー行進曲」と決まっていて、これの演奏には聴衆も手拍子で参加するのが慣わしですが、我が家族もウィーン樂友協会大ホールのお客さんと一緒になって手拍子で演奏に参加しています。
「十年一日の如し」とはじめに書きましたが、振り返ってみればこの十数年まったく同じ正月の過ごし方をしています。