わたしのふるさと 河野二郎
わたしのふるさとは瀬戸内海の小豆島である。風光明媚であろうが、オリーブの島であろうが、二十四の瞳の島であろうが関係なく、そこで生まれ育ったところである。夏は海で遊ぶ以外にすることはなく、その他の季節は野山を駆け回っていた。子供の目からは輝きに満ちた島だった。しかし、ここ数年に肌で感じたふるさとはちょっと様相が違っていた。
七年前に父が死んだとき、わたしの属する部落の人たちが、頼みもしないのに「何もしないのは面子に係わる」と十何人がドヤドヤ入ってきて、あっという間に葬式の祭壇を作って帰っていった。呆気にとられてただ見ているだけだった。わたしは高校から島を離れていたので、こういう風習があるのを何も知らなかった。また、お看経(おかんき)といって七日おきに四十九日まで、‘拝みや’と称する黒装束の女性数人が鈴を鳴らしながら主に弘法大師の御詠歌を中心に謡いに来るなんて知らなかった。これまた頼みもしないのに。父母の葬式のおかげで、へえーと思うことがいくつもあり結構感心したり驚いたりした。田舎の裏のしきたりに始めて出合った。子供の頃知っていた風習は夏祭りであり秋祭りだったが、これは表の風習だった。でも子供の頃知っていたお祭りは表面的なものであった。大人になって初めて、秋祭りの始めは山神さまへの感謝の儀式から始まることを知った。祭りの裏舞台を体験して、なんとなく真面目だが陰鬱なガランとした雰囲気に出合った。神主がいて巫女がいて神事を行うのだが、屋外の自然の中ではあまりにちっぽけでみすぼらしかった。
幼馴染に「小豆島はいいなあ。空気はきれいだし、魚はおいしいし」というと、彼は「それはたまに来るからや。住んどったらたまらんで」「弟はいい、親の面倒も見ないで大阪に出て生活している」「こんな田舎どうしょうもないで」といい、隣で彼の奥さんがうんうんと頷いていた。その二人を見ていると、パアーっと田舎の持つ陰鬱さが広がって見えてきた。
例えばの話である。子供の頃、ある家のある部屋でその家の主人が首吊り自殺をした。そして何十年が経って、全く同じ部屋で息子のお嫁さんが首吊り自殺をしたとしよう。その時、近隣の人はどう囁いているのだろうか。これが都会の話なら人はすぐに忘れてしまうだろうが、田舎ではそうはいかない。代々語り継がれるだろう。こういう陰鬱さはやりきれない。
子供の頃よく行った山の中腹から湾を見渡すと、海が埋め立てられ、湾がずいぶん狭くなっていた。横のみかん畑も、継ぐ人がいないのか荒れている。段々畑のあぜ道も、横にコンクリートの道ができ草ぼうぼうだ。夕日は昔と同じくきれいだが、その取り巻く風景はあきらかにみすぼらしくなっている。わたしが幼稚園に行く前の頃に毎日一人で登っては降りて遊んだ巨大な石は、なんと自分の背丈しかないのには驚いた。はるかに小さく、みすぼらしかった。
わたしから見るとこんなになってしまった島だけど、いま育っている子供から見ればきっと昔と同じように輝いているのだろう。彼らが大人になった時、ここはどうなっているのだろうか。