個人的には"一歩前進"だった年        辻 淳二


 2001年は、21世紀の初年ということで、誰もが好スタートを願っていたと思う。しかし、年初に早くも米国のITバブル崩壊の直撃、秋にはハイジャックテロによる衝撃とダメージを受け、先が見えない不況の中で年を越すことになってしまった。平凡な一家である我が家も、そうした波風をジンワリと受けながら過ごした一年だったが、こういうご時勢に「何の不安も悩みもない」なんてあり得ないこと。そう考え、自分の意志に沿った生き方が7〜8割方できた(良くも悪くも"自分が当事者"だった)のをポジティブに捉え、「個人的には"一歩前進"の年」と総括することにした。

 本稿では、我が身の周りのこの一年を振り返りつつ、「なぜこのように思っているのか」を記すことにしたい。

1 この一年の記録

I. 家族構成の変化:

(1) 増員: 残念ながら「なし」(子供たちの結婚も、孫の誕生も)

(2) 減員: 幸いに「なし」

II. 家族の生活基盤の変化

(1) 我が家の建て替えが完工、7月上旬に転居

(2) 埼玉県で勤務している息子、秋に営業部門から生産部門へ転属

III. 私のビジネス活動

 コンサルティング活動、研修的な活動、ともに量的には手堅く、質的には概ね好結果で推移。お客様の固定化傾向あり、地道な開拓努力が課題。

IV. この一年で新たに生活に組み込まれた活動

(1) 高齢者の介護: 秋より、93歳になった義父の世話を"家人を含む3姉弟の週替 わり泊り込み"体制に切替え。家人の当番の週は、私も2回程度"泊り込みケア"を分担。 

(2) 幼児の遊び相手: 春より、少し親離れできるようになった孫っこ(2歳、女児) を休日に親から預かって(借り出して)、遊びに連れて行くのを楽しんでいる。年末までに、あんぱんまん展覧会、上野動物園、ゆりかもめ沿線、よみうりランド、葛西臨海公園と5回。4回は家人と一緒に、最後の1回は私だけで。これの変形で、保育園に娘に代わって迎えに行くのを、家人は5回位、私も1回(これは、両親が急に迎えに行けなくなった時の備え)。

V. 旅行

(1) 義父、孫を含む長女一家、わが夫婦の"4世代を跨る、年齢差91歳の家族旅行"が、年末に図らずも実現(長女の誘いがキッカケ)。行き先は、勝浦/鴨川/館山。

(2) 義父を伴っての温泉旅行を家人と3月に。あるメーカーが住宅展示場でやっていた抽選に当たったのを利用、義父の分を追加して出かけた。行き先は富浦/金谷/久里浜。前掲の旅と合わせて、一年の内に房総の海岸を内から外まで回る結果に。

(3) 夫婦で、3月に小樽(札幌に、甥の結婚式に行った機会を利用)、7月に新潟(大学の講義終了時。周辺=見付/月岡温泉/北方文化博物館/会津若松を案内)

(4) 一人で、4〜7月に良寛ゆかりの地めぐり(4回)、5月に滋賀県(両親の実家のある長浜/五個荘など)、11月に日光(社内旅行の帰りに立ち寄り)、同月に京都(庭園やお寺の紅葉を観に)、12月に長崎(首長選を闘った友人達の慰労に)。

VI. 読書

(1) 纏まって読んだのは、良寛関連。中野孝次「風の良寛」、吉野秀雄「良寛和尚の人と歌」、吉本隆明「良寛」、瀬戸内寂聴「手毬」、吉野秀雄「あるがままに生きる」、蔭木英雄「良寛詩偈五十音の世界」など

(2) 他に、津本陽「竜馬(上)」、中村修二「考える力、やり抜く力、私の方法」、寺島実郎「正義の経済学ふたたび」、五木寛之「大河の一滴」、高村賢治「ミレニアム妻歌紀行」、中井純「危うし! 日本の次世代ケータイ」、藤沢周平「海鳴り(上下)」など。 [主なものを、ほぼ読んだ順に列挙]

VII. 健康維持

(1) スポーツ: テニスは、久々に年10回をクリア(主に、多摩市のシニアのクラブの仲間と。大学時代の部の仲間とも2回)。ただし、腕は上達せず。高尾山は、春、夏、秋の3回(特段のハイライトなし)。

(2) 気功: 朝の動功(河野さんの教室の流儀の気功の体操)はおよそ毎日(新しい家に戻ってから)励行(週日は15分程度、休みの日は30分)。健康維持に効用。

VIII. 当「経営と情報通信」研究会活動

(1) 01年6月から第14期に入り、年末までに4回研究会を開催。

(2) この一年の特記事項: 当会のホームページが投稿も充実、アクセス件数も月当たりの件数で見て一年前と比べてほぼ倍増となって、「ミニメディアとして育ちつつある」こと。

2 02年の年賀状(原文のまま転載)

 年末に年賀状の印刷を頼む時に書いた挨拶文は、以下の通り。

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明けましておめでとうございます

 年初にあたり、皆様のこの一年のご健康とご多幸を心からお祈り申し上げます。

 昨年は、我が家の家族構成上の変化なく前進とは云えないのですが、孫(2歳)の成長を折々に見ながら、一同健康で大きな屈託なく過ごすことができました。

ペンギンと 聞き返す我に 孫っこは バッグのマーク 差しつ応えり [行きの電車内]

二周り目 岩にペンギン 立ち居りし 我に知らせつ 孫見入りたり[葛西臨海公園内]

 年齢等からギリギリのラストチャンスだった我が家の建て直しが無事に終わって、約半年が経ちました。とりあえず、全室が蘇生し、私自身も自分の部屋にいる時間が適度に増えたことを良しとし、これから暮らし勝手を良くして行きたいと思っている所です。

 個人的には、還暦後に増やしたゆとり時間の活用に少し個性的な色合いが出せるようになった感と、その一つとして関わっている仲間内の同人誌的なミニメディア(ホームページ、URL=http://mic.itconsult.co.jp)が三年目に入って何とか育ちそうな手応えになってきたのを前進と受け止めています。そして今年も、この流れを繋いで、少しでも日々新たな気持ちで過ごせるように努めて行きたいと願っております。どうぞ、皆様のお変わりないご支援/ご指導をよろしくお願い申し上げます。

3 01年の総括

 実は、タイミング的には年賀状の方を先に書いて、約一週間後にこの稿を書いている。当然ながら、年賀状の文章も上記のこの一年の記録を念頭に置いて書いている。そこで、この二つを関連付けながら、「この一年の総括」をすることにしよう。

 年賀状の冒頭の一文は、「息子や次女におめでた話はこの年もなかったなあ」との思いと、「それでも、孫娘は順調に育ってくれていて何より」との思いを重ねている。短歌もどきの歌は、12月初旬の日曜日に、義父の世話が頻繁になってなかなか夫婦揃ってはできないからと、初めて私一人で孫っ子を葛西臨海公園に連れて行った時のもの。両親から「ペンギン居るよ」と言われたのだろうか、往きのJR線の中で「ペンギンさん・・」と小さく口にしたのを私が聞き取れず耳を近付けたのに、孫は、持っていたバッグにキャラクターとして付いていたペンギンを小さな指で差して教えた。臨海公園の水族館に入ったら本物のペンギンが居て、最初に見た時は、コンクリートの通路にたむろしていた。一旦外に出て他を回った後、彼女がまたペンギンを見たがった。そこでもう一度行ったら、その時は高い岩の上にペンギンが立っていて、孫は「あそこ・・」と歓声をあげて私に教え、そのままじーっと見入っていた。この、"2人の交流の、この日のハイライトシーン"を表現しようとしたものである。

 左:一回り目

 

 右:二回り目

 中ほどに書いている家の建て直しは、やはり我が家のこの一年のトピックスのトップに来るもの。ただし、断熱性など住宅メーカーの謳い文句ほどではなかったなと感じる面なきにしもあらずで、"万々歳"と言うことにはなっていない。それでも、私の歳などを考えると「この時期を逃したら、もうできなかったろう」という狭いストライクゾーンを通したとの手応えは強くあって、巣立っていった長女と息子が利用していた部屋がうまく使えずにジワジワと物置化していたのを蘇生できたことを良しとし、満足度いまいちの部分は今後の改善に委ねる書き方としたものである。

 最後の「個人的には・・」とした部分は、11月から12月にかけて京都や長崎に人から見れば不要不急に見える(実際、"絶対に行かねば・・"ではなかった)旅に出かけてそれぞれに大きな感動に出会ったのをはじめ、類似のことが年間で結構あったのを拠り所としている。京都に紅葉を観に出かけたケースは、以下の経緯/顛末だった。10月の時点で同好の知人から「京都の『對龍山荘庭園』(個人の所有)が初公開中。一見の価値あり」との手紙を貰って、できれば出張のついでにとチャンスを狙うが、その機会がなかなか作り出せない。一旦は諦めかけたが、それでも僅かのこだわりはあって、11月の半ばに手帳を見て「この日なら行ける」との一日をマークする。それでもまだ、今の自分には「新幹線日帰りで京都の紅葉見物」はちょっと贅沢過ぎるとの意識があって、決めかねていた。そこへヒラメイたのが、東京駅近くの八重洲ブックセンターに折々に行く時に横目で見ていた地方行きの高速バスのこと。「もしや」と意気込んでJRの時刻表を調べると、京都行きもあった!。「夜行便だと、京都に昼間一日居られて費用は新幹線の6割くらいで行ける」と分かって、「よし、これで行こう」と決めた。結果は、名分とした對龍山荘庭園も紅葉のピーク、琵琶湖からの疎水の水を庭内に巧みに流している、手入れが見事などなど、前触れ通りだった。加えて、「夜間に、ライトアップで紅葉が見えるお寺」を地下鉄の吊るし広告で見つけて出かけた高台寺(秀吉の正室・ねねが秀吉を弔うために造った)の「池に映った紅葉のシーン」が圧巻で、大当たり!とガッツポーズしたいくらい、ワクワクした一日となった。因みに、このシーンのイメージは、およそ次のようだった。

 お寺の庭に池が2つあって、大きい方の池の周りを囲んでいる樹々が見事に紅葉している。これが、ライトアップ用の明かりを受けて、池に鮮やかな影を落としている。その上に、夜なので、池の水面が"消えてしまって"見えない。そこで、鏡だと片側の絵が鏡で左右にあるように華やかに見えるのと同じように、上下に円く紅葉があるように見えて、魅入られそうな幻想的な映像になる(写真が撮れればその片鱗をお見せできたのだが、私の持っていたディジカメでは全く歯が立たなかった)。

 私は、「一体、どうなっているの?」という感じで暫く見入ってしまい、一旦そこを離れてからも去り難く、また観に行くということになってしまった。2回目に観に行く時に、園内の案内板を暗い光の中で懸命に読んだら、私が還暦後の道楽的な関心の対象としている小堀遠州作の庭と書いてあって、「あの池は、遠州が造ったのだったか!」と、思わぬ出会いの感動を一段と大きくする結果となった。

 さらに補足すると、その半月くらい前の11月上旬、会社の社内旅行で鬼怒川に泊まった翌日に日光に紅葉を観に寄って、駅前で「もう中禅寺湖辺りは終わった」と言われ近場の東照宮までにしようと歩きながら最初に紅葉を観に入ったのが『逍遥園』という庭園で、そこも小さいが紅葉は見事で2回りした。やはり2回り目に、たて看板に気が付いて読むと「小堀遠州作と伝えられる」と書いてあった。当日の朝までは全く知らずに、たまたま当日の思い付きで入った所が2つ続けて遠州の作とは!!。「これは、想いがあると伝わるというテレパシー現象なの!!」と一瞬思ってしまうような、思いがけない重なりだった。

 さて、年賀状の最後の「当会のホームページ」の話に進もう。このミニメディアは、何とか育てたいとの想いはありながら、初めの2年近くはまさに"細々と命脈をつないでいる"という状態だった。2年目の終わり近くになった約一年前に、ダブル編集者として高嶋さんが加わってくれて、投稿の充実が加速された。しばしば投稿して下さる会員が増え、それに、この半年くらいでアクセス数が随いてくるようになった。これは、目立たないながら、私にとっては内心「うまく育つかも・・」と心が弾む変化!。この手応えから、「02年が正念場。ここでもう一回りの脱皮を!」と願掛けする思いで書き記したものである。

 以上、高嶋さんからの特集課題に応えようとした中で、年賀状の文章が舌足らずながら「この一年の総括」になっていることを確認した。でも、もうここまでは終わったこと。おそらく新年も日本を巡る重苦しさがスカッと消えてくれることはないだろうけど、また気分一新、"さらなる一歩前進"をめざして、明るくスタートを切りたいと思っている。[2001.12.27]

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