「運命の神様の気まぐれ」 黒木 靖生
私の学んだ大学の学科(工学部応用物理学科)には、4年生になる春休みに「見学旅行」という行事がありました。これは就職先を選ぶ時の参考にするために、先輩の勤務する会社(工場)を7〜8社訪問して現場を見学させて頂くもので、私の年次の場合、東京から太平洋工業地帯を西に向かって九州までの大旅行で、いま記憶している訪問先には、トヨタ自動車(豊田市)、島津製作所(京都市)、三菱重工(長崎市)などがありました。昭和40年3月のことです。
その訪問先の1つに、八幡製鉄(北九州市)がありました。私は、製鉄所を見学するのはこの時が初めてでしたが、根が単純なだけに、高炉や転炉から熔解した鉄が火花を散らしながら流出するのを見、また圧延工場では真っ赤な鉄の塊が建物を揺るがしながら高速で走るのを見てすっかり感激し、「ここぞ、男の職場だ」と鉄鋼業に就職することに決めました。
私たちの学科には、就職志望先は「1社1人」で「学生間の話し合いで決める」という不文律がありました。そこで、夏休みの終わりに、就職希望者は全員山中湖畔にある大学の寮に集合し、就職志望先の調整を行いました。この調整の結果、私は希望どおり八幡製鉄に願書を出すのを認められ、鉄鋼業では富士製鉄(当時は八幡製鉄との合併前)・日本鋼管・住友金属工業の各社にもそれぞれ1名が志望することになりました。
私は「これで、希望していた会社に就職できるだろう」と安心していました。ところが、2学期になって間もなく、今まで見たこともない人が授業に出て来るようになりました。そして何日か経つと、その人は「留年した人」で、しかも「八幡製鉄に就職を希望している」ことが判りました。先述のように、「就職志望先は1社1人」という原則がありますから、私とその人は完全に競合します。そして、今さら全体の調整をやり直すこともできません。
そこで、私とその人とで「クジ」を引いて、どちらが八幡製鉄に願書を出すかを決めることになりました。私はこの時点で「イヤな予感」がしました。と言うのは、私は小さい時から「クジ」に当たった経験は皆無だったからです。案の定、私は外れました。
全然予期していなかった事情で希望していた就職先がフイになって、その後しばらくは就職先を考えられませんでした。しかし秋になると、大学の教務室から「就職先が決まっていないのはあなただけだから、早く決めるように」と、何回も催促されるようになりました。
そこでようやく重い腰を上げて、再び就職先を考えました。「一度鉄鋼業に就職しようと決めたからには、初志を貫徹すべきではないか」と気を取り直し、鉄鋼業で学校に募集案内の来ているところを探すと、川崎製鉄と神戸製鋼所が残っていました。そこで、この2社の内、先輩が学校に来て会社を説明する「就職説明会」で印象に残っていた川崎製鉄を選び、時期遅れの「入社面接」を受けて、何とか入社することができました。
その当時は、「ほとんど手中にしていた就職先がクジでパーになるなんて、自分の人生は何と儚いものか」と、「諦観」と言うか「デカダン」と言うか、そのような気持ちに囚われていたのは確かです。
しかし、いま考えて見ると、私が八幡製鉄に入社していたなら、辻さんとの、また、そのご縁の「経営と情報通信研究会の皆さん」との邂逅も100%無かったと思われますので、「運命の神様の気まぐれ」も捨てたものでは無いのかも知れません。
(以上)
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