私の宝物 高嶋 宏尚
私の宝物としてご紹介したいのは、「1980年ウィーン・フィル特別演奏会」のプログラム、それにウィルヘルム・バックハウスの「ベートーヴェン、ピアノ協奏曲第3番」と「最後の演奏会」のレコードである。なぜかということについてはいささか長くなるのだが、以下でご説明したいと思う。
モーツアルト/レクィエム 二短調 K.626
クラシック音楽をよく聴くようになってからかなりの年月が経つ。日本のオーケストラや来日した演奏家のコンサートを聴きに行くこともあるが、なんと云ってもレコード(CD)やFM放送での鑑賞が中心である。手当たり次第に聴いているうちに自ずと好きな曲、作曲家、演奏家が出来てくる。曲の、あるいは作曲家の、また演奏家への好き嫌いというのは、スコアも読めず、楽器の演奏が出来る訳でもなく、何一つ音楽的な素養のない身にとっては、体質的なもの以外説明がつかないような気がするのである。
ミーハー的なモーツアルト好きを自認して憚らないのだが、仮にこの世の中でたった一つしか曲を選べないということがあったとしたならば、躊躇いなくカール・ベーム指揮、ウィーン・フィルのモーツアルト「レクィエム」を自分は選ぶ。30年も前の年末近い時期だったが、FMでベーム、ウィーン・フィルの「レクィエム」が流されたことがあった。新譜レコードのコマーシャル放送であり、出だしの“キリエ”のほんの一部分が聞こえてきたに過ぎないのだが、魂の奥底を揺さ振られるような圧倒的な迫力のオーケストラと合唱に鳥肌が立つ思いだった。名前しか知らなかった指揮者を意識したのは、この「レクィエム」がきっかけだった。
1894年にオーストリアのグラーツに生まれ、法学の博士号も持つカール・ベームは、写真でみる限りとても音楽家というような感じにはみえなかった。芸術や学問とは余り縁のない、ごく身近にいる頑固一徹のおっさんといった風情に見えてしょうがなかった。この指揮者の演奏は、モタモタした感じを与えかねない程ゆったり重々しく、およそ現代的なテンポとは合わないように思える。まだるっこいと感じられる面もなくはないのだが、時として強烈な迫力をもって聞き手の心に迫る演奏を聴かせてくれる。現代の多くの演奏家が忘れてきてしまったもの(不遜な言い方で申し訳ないのだが、敬虔さや高い精神性、魂の奥行きの深さなどである)を色濃く感じさせてくれるように思えたのである。当時、カール・ベームは世界で最も人気のある指揮者の一人であり、何回か来日もしている。今度日本に来る事があったら聴きに行きたいと強く思うようになっていた。
シューベルト/交響曲第8番ロ短調 D.759「未完成」
「レクィエム」に痺れるような気持ちを味わった後、程なくしてベーム、ウィーン・フィルが来日することになった。1975年にNHKが招聘したのであるが、チケットは一人一枚往復ハガキで申し込んで抽選ということだった。世界最高級の実力と人気を誇る指揮者とオーケストラである、かなりの競争になるものと思われた。職場の同僚にも協力してもらい、20通ほどの申し込みをしたのだが、残念ながら全て選にもれてしまった。演奏会はNHKのFMで同時中継されることになっていた。かくなるうえは、録音しながらFMの放送を聴くしかない。当日は終業と同時に帰宅、オープンリールのデッキにテープをセットし、スピーカーの前に座って聴いたのであった。
最初にシューベルトの「未完成」が演奏された。スピーカーの前に蹲ったまま言葉もなかった。身体の中にポッカリ穴があいて、ふわふわと風が吹き抜けていくような、いかに人生が頼りないものであるかを思い起こさせられるような演奏だった。こんな虚無的な「未完成」は聴いた事がなかった。甘美な旋律を溢れるように書き残したシューベルトの心の奥はこうだったのかとの思いがし、初めて「未完成」という曲の真髄が分かったような気がしたものだった。同時にカール・ベームという指揮者の力量を改めて認識したように思った。スタジオ録音より、実際の演奏会が素晴らしいと評価されていた指揮者でもあり、これで益々実演を聴きたいと思って当然であった。
NHK招聘の2年後に、またベームとウィーン・フィルが来日することになった。今度は音楽事務所のプロモーションであり、チケットは通常の演奏会の倍もの価格であった。それでも発売と同時に売り切れてしまうだろうと思った。1〜2日徹夜で並べば手に入るかもしれぬが、連日深夜まで仕事のある身としてはそれは叶わない。チケットを販売する楽器店に友人の妹さんが勤務していたのを幸いと、「どんな席でも、どんなに高くても」と頼み込んだ。「なんとかやってみる」と引き受けてはくれたものの、当然の如く不首尾であった。徹夜で並んだお客さんだけで、発売開始から1時間ほどで、全て売り切れてしまったとのことだった。
さらに3年後、1980年の秋にウィーン国立歌劇場の日本公演が催されることになった。指揮はカール・ベームとロリン・マゼールである。オペラとともにウィーン・フィルの演奏会も企画されてはいたが、またしてもカール・ベームが指揮する演奏会のチケットは手に入れることができなかった。
指揮者はオペラの指揮が出来て一人前だといわれるし、オペラが鑑賞出来てこそ本当のクラシック・ファンかなとも思うのだが、小生はニガ手である。長時間椅子に縛り付けられて芝居を見せられるということだけで腰が引けてしまうのである。オペラやロリン・マゼールの演奏会のチケットなら手に入れることが出来そうだったが、カール・ベーム指揮の演奏会でないものはダメなのだ。残念だがオーケストラの演奏会は今回も見送らざるを得ない、ということになってしまった。ベームが日本に来たときに聴こうとするからチケットが手に入らないのだ。「最早、ウィーンまで出かけていって聴くしかない」と思ったものだった。
ウィーン・フィル特別演奏会
そうしてウィーン国立歌劇場の公演が始まったある日、友人から特別演奏会が開催されることを聞いた。日本のファンの強い要望で、急遽ウィーン・フィルの演奏会が1回追加されることになったとのことだった。すぐさま招聘元の事務所に電話を架けた。当初から計画されていたものではなかったので、特別演奏会のことは知らない人が多かったという事だろう。決していい席とは言えず高価でもあったが、前から10列目左端の席のチケットが手に入った。幸運だったと云うべきだろう。指揮台はすぐ目の前にある。
演奏会のプログラムはベートーヴェンの交響曲2番と7番であったが、どんな演奏であったかの記憶は全く無い。覚えているのは、コンサート・マスターがゲルハルト・ヘッツェルさんだったことだけだ。オーケストラが位置につき、チューニングも終了して、既に85歳になっていたカール・ベームが覚束ない足取りで舞台の右袖から出てきた瞬間から、「指呼の間にあのカール・ベームがいる」ということだけで茫然自失の態となってしまっていたのだった。叫び声こそあげないものの、ロックスターの舞台に陶然としてしまう若い女性と何等変わるところなど無かったのである。
カール・ベームは椅子に座って指揮をしたのだが、大仰なアクションはない。どんな指示を出しているのかさえ、よくは分からなかった。ただ、時々椅子から落ちそうになる程前のめりになることがあって、「大丈夫かなこの爺さん」と思ってしまう位のものであった。ボーッとしてベームが椅子からころげ落ちる事を心配しているうちに、ウィーン・フィルの演奏は終了してしまった。カーテンコールが何度も繰り返された。オーケストラが舞台から引き上げてしまった後もファンは帰ろうとしない。ベームは何度も何度も舞台に呼び出された。ファンが舞台下に殺到し、盛んにカール・ベームに握手を求めている。自分も出て行って握手をしたいとは思ったが、ベームは相当な高齢であり疲れてもいるだろうに、何度も舞台に呼び出すのはファンのエゴが過ぎているとの気持ちが先に立ち、それは出来なかった。ついには、主催者がホールの照明を消さざるを得ない状況になったのだった。
ホールの明りが消され、外に出たところにオーケストラのメンバーの乗ったバスが停まっていた。開いていた窓から、ボールペンと一緒にプログラムを「ビッテ」といって差出した。サインをお願いするのに「ビッテ」でいいのかどうか全く自信はないし、サインをもらおうとするのは些か恥ずかしかったのだが、5〜6人ほどのメンバーがサインをしてくれた。なかには、ウォルフガングの名前の人もいた。プログラムを返してもらったときには「ダンケシェ―ン」と、これだけは自信があった。
これが宝物のプログラムの所以である。ベームはこの公演の10ヶ月後、1981年8月にザルツブルグで生涯を閉じているから、このときがベーム最後の来日となったのだった。好きな指揮者のカール・ベームとウィーン・フィルの演奏を最後の来日で聴くことが出来た。というより、ベームの姿を見たということが自分の大切な思い出であり、手許のプログラムはベームを見たということの証跡なのである。
ベートーヴェン/ピアノ協奏曲第3番ハ短調
op.37
もう一つの宝物はウィルヘルム・バックハウスの「ベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番」と「最後の演奏会」のレコードである。
ウィルヘルム・バックハウスは、1884年ライプツィヒに生まれ1969年に没している。バッハ、モーツアルト、ベートーヴェン、ブラームスなどがレパートリーの中心であり、“ドイツ流の神様的存在”と評された人である。間違いなく20世紀を代表するピアニストであり、小生の最も好きな(という以上のものがあるのだが)ピアニストである。
自分がクラシックを聴きはじめた時期にはバックハウスは既に亡くなっていたので、レコードで聴くことが出来るだけであるのだが、随分昔にさしたる思い入れもなく買ったベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番の演奏に以後何十年もの間慰められ続けてきたのである。
この協奏曲は、若さや未熟さゆえの苦悩、彷徨、傷心、憧憬というような情感に溢れ、“青春のコンチェルト”とでも呼びたいような印象の曲である。バックハウスは70歳になっていたのだが、余計なものを全て削ぎ落とし、淡々と弾くピアノの音は一つ一つが瑞々しく、明瞭であり、曖昧さを感じさせるところは全く無い。様々な人生の懊悩を乗り越えてきた人だけが表現し得る、枯れた味わいと慈愛に満ちているように思える。ハンス・シュミット=イッセルシュテットが指揮するウィーン・フィルとの協奏もこのうえない高みに達し、心地よい安定感がある。特に、第1楽章で2つの主題が示された後にピアノとオーケストラが掛け合いで第1主題を奏でて展開して行くところでは、清々しい躍動感、ピアノとオーケストラの絶妙なハーモニー、ゆったりと弾かれるピアノの連符の音のくっきりした輪郭と美しさなどに、これ以上完璧な演奏があり得るのだろうかと思う。いつ聴いても、ここにさしかかるとドキドキするのである。この演奏を聴くと、「人生には苦しいことがたくさんあるが、本当の苦しさ、つらさとはこんなものではないのだよ」とバックハウスが優しく語りかけてくるように思えるのである。平凡な自分の人生にも、失意、傷心、迷いなど苦しく辛いことも何度かあったのだが、このバックハウスの演奏にどれだけ慰められてきたことかと思う。
バックハウスのモーツアルト
バックハウスは「鍵盤の獅子王」と呼ばれ、正確なタッチ、リズム感など卓越した技巧と比類ない音の美しさを持つピアニストとして知られているが、自分には技巧より精神性に優れたピアニストのように思える。ただ、一つだけ理解に苦しむ演奏をしているものがあって、モーツアルトの有名なピアノ・ソナタ第11番がそれである。とにかく、滅茶苦茶な速さなのである。急行列車が息せき切ってひた走るように、当たるべからざる勢いで全曲を弾き切ってしまい、情緒も何も感じている暇がないのである。モーツアルトのテンポの指示がそうなのかどうかは分からないのだが、何故こうやって弾かなければならないのかと思うのである。大好きな曲でよく聴くのだが、これだけはバックハウスを聴く気にはなれない。カール・ベーム、ウィーン・フィルと共演したモーツアルトのピアノ協奏曲第27番など、第3楽章の天衣無縫に大空を駆け回るような風情のピアノには、これ以上の演奏はないと思うほどであり、同じモーツアルトの曲なのに、と思うのである。ただ、世に数多の優れたピアニストが存在し好きなピアニストも多いのだが、それでもなお、ウィルヘルム・バックハウスは自分にとって特別な思い入れのあるピアニストなのである。
バックハウス最後の演奏会
バックハウスは、オーストリア・アルプスのふもとオシアッハ湖畔のシュテイフト教会で1969年6月28日にリサイタルを開いている。「最後の演奏会」のレコードはその時の実況録音である。
ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第18番変ホ長調の演奏が始まるのだが、暫くすると音楽に勢いが感じられなくなる。演奏の途中で心臓発作を起こし、第3楽章までしか弾けずに小休止を取ったのである。レコードには、85歳になるバックハウスの小さな声が録音されている。「イッヒ・ビッテ・ウム・アイネ・クライネ・パウゼ」(少し休ませてください)と言っている声である。少し休んだ後、医師の制止にも係わらず、シューマンの小曲を2つ弾き、再度暫く休んだ後でシューベルトの即興曲作品142の第2を弾いてリサイタルを終えたのであった。
そしてその数日後の7月1日に、バックハウスは他界してしまうのである。文字どおりこの日の演奏がバックハウスの白鳥の歌だった訳で、それの録音が残っているというのも奇跡的なことのように思える。命懸けでピアノを弾きつづけたことに、人間的な尊厳性というようなものが感じられたりもするし、心臓の発作を起こしながらもピアノに向かっていた時には、もしかしたら神を見ていたのかもしれないとの感想も持つのだけれども、ともかくこのレコードを聴くと切なくなってくるのである。
16歳でピアニストとしてデビューし、20歳の時にはルービンシュタイン・コンクールで当時23歳だったベラ・バルトークを抑えて優勝し、「鍵盤の獅子王」と呼ばれるほどの技巧を身に付け名声を博し、円熟の境地に達し神様的存在と目され、枯淡の味わいで聴衆に語りかけるという、いわばピアニストとして完璧な生涯を送った人の最後の姿がこのレコードには刻まれている。「人はこうして朽ちていくのだよ」という、バックウスの最後のメッセージがこのレコードから聴こえてくるような気がするものだから切なくなってしまうのだろうか、とも思う。
今日では、CDでも「ベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番」と「最後の演奏会」は聴くことができる。しかし、何度も繰り返し聴いた所為でキズやホコリによるノイズもあるとはいえ、アナログのレコードの方が情報量が多く、繊細で豊かな音楽をスピーカーから流してくれるように思えるのは、自分の思い過ごしであろうか。それとも、レコードを聴いてきた幾つもの想い出がそうさせているのであろうか。
本当の宝物
自分の宝物といえば、上記のプログラムやレコードだけではなく、開高健の色紙やサイン本(大作家にして誤字があるので希少価値があるのでは、と密かに思っているのだが)だとか、稀に的中した馬券の儲けで買い求めた各国の馬の切手やロイヤル・ドルトンの馬の置物など、他にも幾つかある。すべて何がしかの忘れ難い思い出の証である。ただ、大っぴらに言うのは恥ずかしい限りだし、理由も一々書き上げられないほどあるのだが、本当は家族が一番の宝だと思っているのである。あらゆる時に自分の心の支えになってくれているのだから当然のことなのかもしれないのだが。 (2002.10.29)