「遠藤青汁」 黒木 靖生
「私の健康法」というテーマをいただきましたが、風呂上りに冷水シャワーを浴びること以外は、健康法と言えるものはことさら実践していません。また冷水シャワーを習慣にしていても、数年に一度は風邪をひきますので、効果のほども定かではありません。
そこで、健康法とは趣が違いますが、健康補助材(サプリメント)として私が長年付き合ってきた「遠藤青汁」のことを書くことにしました。
時代は昭和45年に遡ります。当時、私は倉敷市の臨海工業地帯にある製鉄会社に勤務していました。その年の初夏、私は、友人の車に便乗して会社から退出途中に追突されてムチ打ち症(頚椎捻挫)になり、2週間くらい入院を余儀なくされました。その入院の最中に胃に痛みを覚え、胃カメラによる診察の結果「胃潰瘍」と宣告されました。ムチ打ち症の治療薬の副作用が原因だったのでしょう。ムチ打ち症は一応治ったので退院し、会社に出勤しながら薬と食事療法で胃潰瘍を治療することにしましたが、その治療の補助材として、職場の上司であったI氏に紹介されたのが「遠藤青汁」です。
「遠藤青汁」はキャベツの原生種であるケールの葉を搾ったジュースで、倉敷市民病院に勤務されていた(後に院長を勤められた)遠藤仁郎博士が入院患者の治療の補助材として開発したものであることをI氏から教わりました。なお、ケールは、写真で見るとキャベツの芯が開いて軸と葉っぱがどんどん成長した感じのタバコに似た形状の植物で、高さも1メートル以上に育つそうです。
また、倉敷市民病院は倉敷紡績の創業者で大原美術館の創立者でもある大原孫三郎氏が開設した病院で、病院内には入院患者が憩える大温室(アトリウム)があり、創立当時は東洋一の威容を誇ったそうです。数年前、台湾の大統領であられた李登輝氏が病気の治療目的で来日した時にこの病院を訪れましたので、久しぶりに病院の姿をテレビで見ることができました。
私が遠藤青汁を飲み始めた当時は独身だったのですが、ヤクルトおばさんが毎日職場に配達してくれ、また結婚してからは牛乳配達の人が自宅に配達してくれましたので、毎日欠かさずに飲んでいました。倉敷では遠藤青汁が有名だったので、このような配達制度ができたのでしょう。ところが、昭和55年に神戸に転勤になりましたので、そこで遠藤青汁との付き合いも無くなってしまいました。
その後、昭和57年に東京(本社)に転勤になりました。そして、昭和60年だったと思いますが、会社の定期健康診断で胃潰瘍が発見されました。倉敷での発病以来それまでは特に異常は無く、また自覚症状も無かったのでビックリしたのですが、ちょうど厄年だったので、体にガタが来る年齢になったのだろうと思いました。
胃潰瘍が再発した年だったと思いますが、ある日の帰宅途中、本社ビルのある内幸町からJR新橋駅までの道順を変えて歩いていると「青汁」の小さな看板を見つけました。これは奇遇と中に入ってみると「遠藤青汁友の会」という名称の青汁スタンドでした。新橋の八洲電機本社の裏にあるビルの地下1階の4畳半くらいの狭い店で、5人くらいが掛けられるカウンターがあるところを見ると、バーかスナックだったのをそのまま使っているようでした。カウンターの中には男性(後で経営者とわかりました)と女性が各1名おり、注文に応じてガラスのコップに青汁を注いでくれます。コップは1合(180cc)と2合(360cc)があり、常連客の多くは2合を注文しているとのことでしたので、私も通うようになってからはいつも2合を頼んでいました。また、常連客のために、1合の券が11枚付いた回数券も用意されていました。
このようにして、東京で再び「遠藤青汁」を飲むようになりました。私の勤務先には社員食堂がありましたが、12時過ぎは混むので、お昼になったら先ず青汁スタンドに行き、その後で社員食堂に行くのを日課にしました。また、休日は青汁が飲めないので、最初はスタンドで売っている青汁の錠剤や顆粒を利用していたのですが、そのうちに登山用の水筒を持参してそれに詰めてもらい、家に持ち帰るようにしました。
それではこの遠藤青汁の効果はどうだったかと言いますと、その後5年くらいは毎年の健康診断で胃潰瘍と言われ、胃カメラも飲んだと思います。遠藤青汁と言っても、魔法の特効薬ではなく、漢方薬のようにジワジワと効くもののようです。
平成になって暫くして勤務場所が幕張に変わり、新橋の青汁スタンドに行けなくなりました。そこで、本社(新橋)に仕事で行った帰りに青汁スタンドに寄って、持参した水筒に2リットルを詰めて家に持ち帰り、冷蔵庫に保存して飲むようにしました。ある年の夏の金曜日、幕張の事務所にいったん運んだ青汁を家に持ち帰るのを忘れたため、土曜日に車で取りに行く途中にスピード違反で白バイに検挙された(罰金1万5千円)ばかりか、青汁も冷房の切れた部屋に1晩置いていたので腐って飲めなかったという2重の悲劇(?)もありました。
なお、この頃には、なぜか定期健康診断で胃潰瘍とは言われなくなりました。
平成6年、勤務場所が豊洲に変わりました。通勤経路は、総武線(快速)で東京まで行き、そこから1駅のJR有楽町駅で地下鉄有楽町線に乗り豊洲まで行くルートにしました。あるとき、会社の帰りに買い物をするために有楽町線の銀座1丁目駅を下りて歩いていると、不思議な運命の糸に導かれるように遠藤青汁のスタンドに邂逅しました。この銀座のスタンドは、新橋のスタンドの3倍くらいの広さで、男性1名が機械でケールの葉を搾り、女性2名が青汁を給仕していました。新橋のスタンドは、八千代市の農場で搾った青汁を運んで来ていましたが、ここでは搾りたての青汁を飲めるわけです。また、1合・2合のガラスのコップや回数券制度などは、新橋のスタンドと同じでした。
せっかく勤務場所の豊洲に近い青汁スタンドを発見したのですが、昼休みに青汁を飲みに通える距離でもありません。ここでも、1週間に1〜2回、会社の帰りに立ち寄って水筒に2リットルの青汁を詰めてもらい、家に持ち帰るスタイルを続けました。
ところが、平成7年5月、今勤務している会社に出向することになり、勤務場所の最寄駅がJR大森駅になりました。JR有楽町駅や新橋駅は大森駅までの通勤路の途中なので帰宅途中に立ち寄ることも可能ですが、銀座や新橋の青汁スタンドの閉店時刻が夕方6時なので、仕事を持っている身としては現実的には不可能です。このようにして、遠藤青汁とのコンタクトは途絶えてしまいました。
その後、遠藤青汁の代替品をいろいろ試しました。私が遠藤青汁を知った頃には類似品はほとんど無かったと思いますが、現在では沢山の「青汁」が販売されています。ケールを使ったものの他に、麦や稲の青葉を原料にしたものなども売り出されています。私が試したのは、冷凍青汁では「キューサイ」や「ファンケル」、また粉末状のものや錠剤タイプのもの、あるいは青汁を冷凍乾燥したものなど10指に余ります。しかし、全て感じが違うのです。一番の違いは、遠藤青汁を飲んでいたときは便秘には無縁だったことです。
ところで、この小文を書くにあたり、インターネットで「遠藤青汁」をキーワードにして検索してみましたところ、全国各地に「遠藤青汁」の伝統を守って青汁を製造している団体が存在していることが分かりました。遠藤博士は1997年にお亡くなりになっているのですが、その後も遠藤博士の精神を継承している人たちがおられることに感激しました。
試しに、インターネットで注文を受け付けている一つの団体に発注してみました。冷凍パック(180cc)が30個で、クール宅急便で送料・代引き料込みで9800円です。毎日、ビール1本の晩酌代わりに「遠藤青汁」を飲むわけです。その効果のほどは、後日ご報告しましょう。
また、このテーマを選んだからには新橋と銀座のスタンドに行って旧交を温めるべきと思っていたのですが、時間切れで果たせませんでした。ご参考に、両スタンドの住所と電話番号を記します。インターネットの「お出かけ案内」に住所と電話番号が掲載されていましたので、両スタンドとも今も営業しているものと思われます。
新橋スタンド:港区 新橋3−2−12 電話 3591−1093
銀座スタンド:中央区 銀座1−6−7 電話 3535−2046