健康管理と健康法にまつわる思い出など 高嶋 宏尚
誰に言われなくても健康であることが一番大事と判っているつもりではいるのだが、改めて自分の健康管理について思い起こしてみると、本当に「健康でいたい」と考えて生活してきたのかどうか、かなり怪しいものがある。
これまで、幸にして、大病を患ったり、入院をしたようなことはなかったが、田舎の両親に聞いてみると、ややひ弱な子供だったようである。勿論記憶はないのだが、赤ん坊の頃にはよく肺炎になったものだという。その度に、お袋が徹夜で胸を湿布してくれたということだ。
確かに、小学生の頃も、低学年の時期には余り丈夫ではなかった記憶がある。種目によらず、運動することは苦手だった。短距離を走るのだけは人に負けなかったが、走ると顔が真っ青になったし、腹痛を起すことも多かった。腎臓に軽い障害があり、浮腫んだ顔で太い注射を打たれるために医者通いした経験もあった。
中学で野球部に入り、徹底的に鍛えられたあたりから随分丈夫になってきたように思う。連日炎天下でしごかれ、倒れそうになったことがある。大先輩が練習を見に来ていて、「青汁をのめ」と教えてくれた。翌日からお袋がコップ一杯の青汁を作ってくれるようになったが、身体のために継続的に何かをすることを「健康法」というのであれば、この青汁は自分の生涯で最初の健康法であった。今にして思えば、ジューサーなぞない時代、お袋はどのようにして青汁を作ってくれたものやら。青菜やキャベツを刻んで、すりおろして絞ってくれたものだろう。難儀をかけたとは思うが、この青汁は不味かった。
社会人になってからは、文字どおりの不規則極まりない生活、不摂生がスーツを着ているような毎日だったと思う。どこでもシステム担当は似たような状況だったと思うが、連続の徹夜作業は当たり前、食事も不規則で日に4〜5回も食べていた。睡眠時間も極端に少なくなる。持ちこたえられなくなると、ジャージを着たままマシンルームの床にゴロリと寝転がってしまっていたものだった。健康のためには到底いいとは思えないが、夏場、空調の効いたマシンルームに寝転がるのはとても気持ち良かったことを覚えている。
この頃、胃の調子が悪くなったことがある。神経性の胃炎との診断であったが、一時的には、吐き気のため殆んど食事が取れないような事態になってしまった。勿論、医者に通い薬も貰ったけれども、玄米食を勧められ、一口で100回咀嚼することを教わった。固い玄米はよく噛まないと飲み込めないし、噛んでいるうちに甘味が出て来る。今は玄米食ではないのだが、この時から食事はゆっくり噛んで食べることがクセになったように思う。
以来、人に勧められて米国の“シャクリー”という健康食品(たんぱく質や、ビタミン、ミネラルなどの補給するもの)を食べたり、万病に効果があるというタヒチの“ノニ・ジュース”を飲んだり、帰宅時には駅から家まで歩くようにしたり、何種類かのダンベルを買い込んで家族一緒にダンベル体操を始めたりもしたが、いずれも長続きはしなかった。
三日坊主とは云わないまでも、当初の意気込みが次第に薄れて行き、それなりにかかるコストに見合う効果があるのだろうかとの疑問が湧き、やがて面倒くさくなって止めてしまうということの繰り返しであった訳だ。相変わらず不規則で、ストレスの溜まる生活を続けているとの自覚はあるのだが、真剣に健康の維持・管理のことを考えていないためだと思う。ただ一つだけ何年間か続いているのは、イソジンでのうがいである。自宅と会社に大ビンのイソジンを置き、出社時と帰宅時には必ずうがいをする習慣になっている。手軽に出来るからなのだろうが、以来、明らかに風邪を引きにくくなったと思う。
3年程前のこと、人並みにゴルフが出来るようになりたいと無茶な練習を重ねて膝を痛めた。変形性膝関節症なる病名をもらい、毎週外科医院で膝の関節に注射を打たれ、薬を飲み、湿布も続けたが、はかばかしくない。むしろ、当初の膝の痛みは“ノニ・ジュース”を飲用することでだいぶ治まった感があった。関節への注射も、度々種類を変えて打ってくれた。「これが劇的に効く人もいるんですよ」との医師の言葉に、何度儚い期待を裏切られたことか。
半年もこのような状態が続いたのだが、どうも西洋医学の治療法では効果が薄いようであった。医者から「今度は針を試して見ましょう」といわれた時、河野さんの気功教室(常春気功ネット)のことを思い出した。万策尽きてとは若干大袈裟であるが、医者も薬もさしたる効果なしと失望し河野教室の門を叩いた時には、そんな感じだった。
早速会員にしてもらい、しばらくは土曜日の教室に通い、動功のやり方を教えてもらった。毎晩就寝前に動功をするのが習慣になったのだが、仕事が忙しくなり深夜帰宅が重なるようになると、さっさと動功を終えて眠りたいとの思いが先に立ち、次第に手抜きになっていってしまった。
最初は、ヒーリング音楽などを流しながら真面目にフルコースの気功を行っていたが、やがてハーフコース(36回行うところを半分の回数にしてしまう)が常態になり、ショートコース(各動作を5〜10回で済ませてしまう)になってしまうのにさほど時間はかからなかった。さらには、疲れで背中に痛みが感じられた時だけ3つほどの動作を行うという超手抜きコースまで開発してしまった(こんなことを書くと河野さんに叱られそうだが・・)。教室への出席も間遠になり、最近はたまにしか出席しなくなっているのだが、心やさしい河野さんだからなんとか破門されずに済んでいる。
かくのごとく落第生のような自分でも、気功のおかげでリラックスすることを身体が覚えたというような感覚がある。背中に痛みが出るとか、多少身体のリズムが悪いように感じた時に動功を行うことで楽になるようになったし、もともと悪くなかった寝付きが更に良くなった感がある。会社での激務が続き、ヘトヘトになって帰宅すると、そのままソファや床にゴロリと横になってしまうのである。これが、なんとも気持ちがいいのである。スーツやYシャツ姿のままで床に寝転がってしまい、明け方家内に起こされたことが何度あったことか。ただ、不思議なことに風邪も引かず、身体はどこも痛くならないのである。
昨年の後半は、生涯でも何回もないというくらいの激務が続いた。11月には、総ての営業日に深夜にタクシーで帰宅する有様だった。強烈なストレスを受ける事態が次々に生じ、自分でも消耗し切ってしまっていることが自覚でき、ある種本能的な恐怖感を覚えざるを得なかった。会議で社外に出たのを幸いと河野さんを訪ね、整体を施してもらった。消耗し切った私の身体が気を吸い取ろうとし河野さんの手先が痛くなってしまったとのことだったが、おかげで体調を取り戻すことが出来た。この時の「救われた」との思いは忘れ難いものがある。
システム更改のための戦争のような状況であったのだが、この時期、常春気功は自分の体調管理の鏡であった。週一回ほどの間隔で、胸につかえたストレスを取り除き、気を貰い、体調を整えてもらった。自覚している自分の体調と河野さんの見立てが一致することが多かったから、いかなる事態に立ち至っても「常春気功で立て直してもらえる」との安心感があった。何人かの当研究会のメンバーからの支援や励ましを頂いたことも大きかったが、孤軍奮闘のような形で何とかシステム更改を乗り切ることが出来たのには、常春気功が味方にいてくれたことが大きかった。
かくのごとく、気功には感謝しなければならないし、その効能も身を持って承知している積りだが、河野門下生としては相変わらず破門寸前の有様である。少し業務にも余裕が出来かかった今、「真面目に気功を自らのものとするよう努力すべき」と考えているところである。(2003.3.26)
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