「100回達成」に寄せて 新田 謙治郎
100回の記念が足掛け20年と聞いて、時の流れの速さに驚いている。20年前というと、私のサラリーマン生活の中でも最も忙しいときだったと思う。辻さんから会長を引き受けてくれと頼まれたとき、「私は何も役に立つ活動は出来ないが」といったら、「名前だけで良いから」と押し切られてしまった。以後今日に至るまで、会長らしいことは何一つやっていないのは、誠に申し分けない限りである。
この会が100回も続けられたのは、もっぱら辻さんのパーソナル・ネットワークを通じた、彼の熱意と執念の賜物であり、それを歴代の幹事が支えて下さって今日があるのだと思う。
80年代の活動は随分活発だったと記憶している。その一つの成果が、会員有志で「ソフトウェア進化論」という立派な本に結実した。当時の定例会には辻さんがまだ辻システム計画事務所を経営しておられたこともあってか、何人かの著名人にも話題提供者になって頂いた記憶がある。
100回の定例会のリストが目の前にあると、いろいろ想い出すこともあろうが、印象に残っている講演を2つあげると、その一つは、今は亡きヴァル研の島村社長のエジプト学に関する話だった。毎週のごとくエジプトに関する古本を求めて古本屋や古本市に出かけ、珍しい古本に出会ったときの興奮を我々にも伝わるように話して下さった。ヴァル研の商品名に「ぱぴるす」、「ファラオ」とか「ナイル」とかつけたのも、趣味の延長だった。もう一つは、ジャーナリストの飯沼和正さんの「『気球』を上げて、東京と長野を結ぶ交通手段として使おう。」という話で、実に当時としては夢のある且つ説得力のある話で、飯沼さんはまじめに資金集めに奔走しておられたと記憶している。
会長を引き受け、何もしないといっても80年代に一度くらいは話題提供者に成ったのではないかと思うが、何について話したか全く記憶にない。ひょっとして何も話題提供をしなかったのかも知れない。1991年にアメリカ駐在になり、出張で日本に帰った時に何かアメリカのことを話してくれと辻さんに頼まれ、確か1992年に「米国パソコン事情」と1995年暮れに「日米企業文化比較論」というテーマで話題を提供したことは記憶している。前者について印象深いのは、河野慶子さんが私の講演を細かく記録して下さって、その年の年会報に掲載して下さったことだ。読み返して見て、その無駄のない議事録に「本当にこんなに立派な話をしたのだろうか?」と疑ったことを覚えている。後者については、当時はまだハイテク・バブルと呼ばれた3〜4年前のようにシリコンバレーの様子が新聞、雑誌を賑わす事もなく、ベンチャー・ビジネスの重要性も今日ほど叫ばれてはいなかった頃なので、私の話は出席者にそれなりにインパクトがあったろうと自負している。
4年半前から始まった研究会のホーム・ページのお陰で、これまでの定例会だけのときよりも、会員同士の交流を深めるのに役立っているだけでなく、もう10年以上も休会員になっている人でも「ホームページを読むのを毎月楽しみにしていますよ」という話を聞く。更に、会員でなかった人にまで輪が拡がりつつあるのは喜ばしい限りである。
いずれにしろ、この20年間の活動の原動力は一重に辻さんの情熱と努力の賜物であり、ここで改めて感謝の意を表したい。これから、事務局長の役割が実質的に次第に若い石井さんに移され、それと共に若い会員の増加が望めれば、こんな嬉しいことはない。
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