山本七平氏のこと         黒木 靖生
 
  

 私は、タンパクな性格(子供のころ、大豆=タンパク質を食べ過ぎた?)で、あまり物事にこだわりを持たないため、今回のテーマの取り扱いに困ったのですが、比較的こだわりを持って著作を読んだ「山本七平」氏のことについて書いてみます。
 

 私が山本七平氏の名前を知ったのは、ご多分に漏れず『日本人とユダヤ人』を読んだときです。当時、この本の著者の「イザヤ・ベンダサン」氏の素性についてはいろいろ詮索され、山本氏ご本人ではないかとも言われましたが、同氏は明言しませんでした。

山本氏は平成3年12月にガンで亡くなられたのですが、平成4年3月に発行された『Voice 山本七平追悼記念号』に掲載された同氏ご自身による「語りおろし半生記(未発表)」によると、その真相は以下のようです。同氏は、昭和33年に聖書学関係の出版社として山本書店を創立したのですが、出版物の校正の仕事を、手狭であった出版社を兼ねた自宅ではなく、氏の好きなフランク・ロイド・ライトが設計した帝国ホテルのロビーで行うのを常としていました。其処で、同じくライト・マニアで帝国ホテルに定住していたジョン・ジョセフ・ローラーというアメリカ人と、その友人のミンシャ・ホーレンスキーというユダヤ人と知り合いになり、同氏の仕事との関連で日本においてキリスト教の伝道が成功しない理由についてしばしば雑談した内容をまとめたのがあの本だと言うのです。おそらく、雑談で得た幾つかのヒントを材料にしているものの、山本氏が独力で全体の構想を練り、書き上げたものであると思います。

なお、ベンというのはヘブライ語で息子とか子孫という意味(英語のMacと似ています)で、イザヤ・ベンダサンという名前は、「ダサンの息子のイザヤ」という意味とのことです。  

 この『日本人とユダヤ人』は、昭和45年5月に山本書店から出版されたのですが、売れると思わなかったので、初版は2千5百部(それでも同書店としては多いほうということです)しか刷らなかったそうです。ところが、広告もしないのに在庫がどんどん無くなり、わずか10日後に緊急で1千部増刷したそうです。ところが、この在庫もすぐに底を尽き、増刷に増刷を重ねなければならなくなったのですが、同書店は部数の少ない出版物しか出していなかったので小規模の印刷会社としか取り引きがなかったため印刷や製本の能力には限りがあり、いつも品切れ状態だったそうです。そのような苦労をしているうちに、角川書店から文庫本にしたいという申し出があって版権を譲ったのですが、このとき既に75万部を出していて山本書店の財政の大きな支えになったそうです。  

 私が『日本人とユダヤ人』を読んだのは、昭和46年印刷の角川文庫版ですが、そのとき以来「山本七平」という名前がずっと記憶に残っていました。そして昭和51年、書店で偶然に『私の中の日本軍(上)、(下)(初版は昭和50年)』を発見したのがきっかけとなり、続いて『ある異常体験者の偏見(初版は昭和49年)』、『一下級将校の見た帝国陸軍(初版は昭和51年)』という、山本氏のいわゆる「日本陸軍3部作」を読み、すっかり山本七平ファンになってしまいました。これらの著作の中の山本氏の論理の進め方は事実・証拠に基づく緻密なもので、どちらかと言うと文学者というより科学者のようで、私には本当に新鮮でした。  

 それ以来、私は書店に行くと山本氏の著作を意識して探すようになりました。同氏は、昭和52年には名作『「空気」の研究』を出して日本人の物の考え方の原点に迫り、続いて、昭和54年には『勤勉の哲学』で日本人を動かす原理を探り、昭和57年には『日本的革命の哲学』を、平成元年には『日本人とは何か(上)、(下)』を世に問い、いわゆる「山本日本学」を完成させて行きます。これらの著作の中でも、同氏は基礎資料(文献)に基づいて緻密な論理を展開しており、粗雑な私にとっては、その論理を咀嚼するのは一苦労でした。  

 先に挙げた『Voice 山本七平追悼記念号』に山本氏の著作目録が掲載されています。この目録を見ますと、同氏は、単著が52冊、共著が76冊、対談が51冊、翻訳が18冊、その他が14冊、そしてイザヤ・ベンダサンの名前による著作が6冊と、本当に多彩な分野で多くの仕事をしていることが理解できます。なお、この目録には、今年角川書店から出版された「日本はなぜ敗れるのか 敗戦21カ条」など追悼記念号の発刊以降に出版された同氏の著作は当然のことながら含まれていませんから、実際はもう少し多いと思います。

 山本氏が『日本人とユダヤ人』を書いたのが49歳ですから、著述業としての出発は遅いほうと思います(49歳までに翻訳書を9冊出版)。そして69歳で亡くなっていますから、わずか20年の間にこのような膨大な量の仕事を遺していることに本当に驚かされます。  

調べて見ますと、私は、山本氏の単著52冊のうちおそらく31冊を読んでいます(共著などを含めるとおそらく45冊)。同氏が著作を世に問うていた多くの期間を、私は 岡山県倉敷市 で過ごしていました。今のようにインターネットで著書の検索ができる時代ならともかく、地方都市の小さな書店で氏の著作をこれだけ見つけることができたのは、かなり運が良かったのでしょう。

仕事を退いて時間ができたら、山本氏の著作をもう一度読み返してみたいと思っています。私が同氏の著作を読んだのは主として私の30〜40歳代であり、60歳を越えた今読み返してみると、また新しい発見が得られるかも知れません。それを楽しみにしています。(以上)



  
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